俺達研究生がCDデビュー曲をテレビで歌えることになった、という知らせを持ってきたのは、寺尾と俺達の間を繋ぐ役目も兼ねたダンスの先生だった。
 出演するのは毎週金曜夜に生放送されているミュージックパラダイス、略してミューパラ。歌とは関係のないゲームやクイズのようなバラエティ路線に走ることなく、あくまでゲストの歌をメインにしている、正統派の歌番組だ。それが30年近く安定した視聴率を保ちながら続く大きな理由でもある。
 そんな番組に出演できるのだから当然俺達は盛り上がっていたが、
「でも実際に出られるのは、タイトル曲を歌うメンバーだけなんですよね……」
 1人がそう言うと、夢から覚めたかのように俺達は静まり返った。ミューパラに限らずどこの歌番組でも、披露されるのはCDのタイトル曲だけだ。
 俺達はそれぞれタイトル曲とカップリング曲を歌うメンバーが分かれているので、出られる可能性は前者のほうが高い。理想としては全員で出演することだが、人数的に考えてそう簡単にはいかない。
「実はその件なんだが、ミューパラ側からの条件をクリアすればカップリング曲も、タイトル曲に続くメドレーという形で歌えるようだ」
「じ、条件……?」
 誰もが諦めかけていたこの状況に希望の光が差し込んだのも束の間、ダンスの先生が気まずそうな顔で口に出した「条件」は残酷なものだった。
「その……カップリング曲を歌う時はセンターを伊織に変更する、というのが向こうからの条件なんだ」
 それを聞いて俺達が言葉を失う中、本当のカップリング曲センターである佐倉は魂が抜けたように呆然としていた。
 番組サイドとしては約2曲分の時間を俺達のために割くならまだ知名度の低い佐倉よりも、世間ではすでに存在の知れた伊織をセンターに置いて放送したいのだろう。1パーセントでも多くの視聴率が欲しいテレビ局にとっては当然の判断だ。それにCDの売り上げさえ未知数の状態なのだから。
 しかし俺達の気持ちは違う。
「伊織、お前はどう考える?」
 研究生達がざわつく中、ダンスの先生が最前列に座っている伊織に話を振った。目立ちたがりの伊織でも、弟のように可愛がっている佐倉の立ち位置を奪うことに対しては乗り気ではないようで、
「……あの曲のセンターは佐倉です、僕が立つわけには」
「ぼくのことは気にしないでください、伊織さん!」
 伊織の言葉を遮るように声を上げたのは佐倉だった。皆が床に腰を下ろして座っている中で、1人だけ立ち上がって伊織のほうを向いている。
 皆に注目されながら、佐倉は更に訴えを続けた。
「ぼくは後ろに下がっても、出られなくなっても構いません。だから伊織さんが、みんなをミューパラに連れていってください。どうかお願いします」
 佐倉の声は震えて、目からは涙があふれていた。自分の存在を否定するような出演条件を聞いてショックを受けながらも、伊織に全てを託そうとしている。伊織は黙ったまま唇を噛み、俯いていた。
「佐倉お前、何勝手なこと言ってんだ! いい加減にしろよ!」
 沈黙を破ったのはカップリング曲メンバーの1人である小林だった。よほど驚いたのか、佐倉の目からは涙が止まった。
「カップリング曲のセンターはお前なんだよ、分かってんのか」
「でも、ぼくが納得すればみんなはミューパラに」
「俺達はお前1人を切り捨ててまでテレビに出ようなんて思わねえよ。まだデビューが決まったばかりなんだ、これからはバカな条件付けられねえようなアイドルになればいい。俺達はこのままじゃ終わらねえ! だからもう泣くなよ、佐倉!」
 そう言って立ち上がり、改めて佐倉に向き直った小林の目にも涙が浮かんでいた。小林以外のカップリング曲メンバーも同じ気持ちのようで、皆が次々と佐倉に励ましの言葉をかけている。
 キャプテンの俺が口を挟む間もなく、ミューパラに出演するのはタイトル曲を歌うメンバーのみに決まった。


***


 バラエティ番組も、CMも、雑誌のグラビアも。伊織は特別だから選ばれて当たり前。俺達の努力が足りないわけじゃない。俺達は精一杯やってるのに、それが報われないだけ。
 俺が加入した頃から研究生達の間に漂っていた、そんな淀んだ空気。自分達に劇場公演以外の仕事が来ないのを全て伊織のせいにして慰め合い、励まし合う。
 長い間続いたそんな空気は少しずつ薄まってきていたが、完全に消えたきっかけはCDデビューだった。タイトル曲とカップリング曲、それぞれ約半数に分かれて歌うことになった。しかしそれは単なる人数の振り分けではなく、歌番組に優先的に出演できる「1軍」と、曲を披露する場が限られている「2軍」であることに、俺達は口に出さずとも気付いていた。
 1軍で気を緩めるか2軍で腐るか、寺尾はそれを試しているのだと思う。その結果を元に、いつか次の曲を出す時は全てのメンバーがシャッフルされて、俺達は再びどちらかに振り分けられるのだ。あの寺尾なら、今後の判断次第でエース格の伊織すら2軍に落とすことも充分に有り得る。
「伊織とその他研究生」だった力関係が、今では「伊織を含む10人と、そこに選ばれなかった8人」というものに変わった。自分の不遇を伊織だけのせいにして、皆で傷を舐め合うことはもうできない。
 芸能界の濁流は、アイドル界のトップグループであるシトラスでさえ飲み込んでしまう。半人前の俺達が抗えるわけがない。


***


 着替えを終えてロッカールームを出る頃には、もう伊織はいなかった。次の仕事に向かったのかもしれない。
 最近はあまり、ゆっくり話をする機会も少なくなっている。そろそろあいつの新しい指輪も買ってやりたいが、この感じだとまだ先になりそうだ。
 劇場のドアを開けると、真正面に伊織が立っていた。夜の冷えた風が吹く中で、無言で俺を見ている。
「……お前、ずっとここにいたのか」
「ねえ水無瀬、今から僕の両親に会ってくれる?」
 俺の問いには答えず、伊織は突然そんなことを言ってきた。やけに真面目な口調なので胸騒ぎがする。
「今からって、もう9時過ぎてるじゃねえか。こんな遅い時間に行ったら迷惑……」
「時間なんて関係ないから、いいんだよ」
 伊織は自分の家だから気にしないだろうが、俺は気にする。ちょっとした手土産も必要だろうし、しかもレッスンの帰りなのでジーンズにパーカーというかなり適当な格好だ。せめてもう少しましな服に着替えさせてほしい。
 さあ早く、と強引に手を引っ張られて俺は渋々ついていくしかなかった。
 暗い夜道を会話もせずに30分近く歩いて、ようやくたどり着いた場所を見て俺は言葉を失う。大きな木々に囲まれたそこは、多くの墓が並ぶ霊園だった。
 迷いもせずに更に進んだ伊織は、自分の名字が刻まれている墓の前に立った。
「僕の両親はここにいるよ。中学生だった僕を残して事故で死んじゃったんだ。1人になった僕は親戚に預けられることになったけど、そこでの生活に馴染めなくてね。 そんな時、寺尾プロダクションの研究生オーディションを雑誌で知って応募したんだ。小さい頃から歌やダンスには自信があったし、夢だった俳優に近づけるのを期待して応募したら合格したのはいいけど、親戚にすごい反対されてさ。頭に来て、そこの家を飛び出して1人で生活することにした」
「1人で、どうやって」
「寺尾さんに事情を話したら、所属タレントが何人か暮らしてる寮に入れてくれてね。でもそのうち仕事が軌道に乗ってお金を稼げるようになったからそこを出て、今も住んでるマンションを借りて引っ越したんだ。 僕は未成年で親戚とも縁が切れた状態だったから、難しい手続きは寺尾さんがやってくれたんだけど。今の高校に入る時も学費は卒業まで全額僕が出す約束で、寺尾さんが親代わりになってくれたおかげで入学できた」
 前から気になっていたが聞けずじまいだった伊織の家族の話は、想像以上に深刻なものだった。まだ親に甘えたい年頃に両親を失い、親戚とも上手くいかずに1人になった。
 しかも手続きは寺尾がしたものの、家賃や高校の授業料を全て伊織自身が払っているのだ。いくら芸能人でもその歳では考えられない話だった。
 前に寺尾は、伊織のことをたっぷり儲けさせてくれる存在だと言い切っていたが、話を聞いていると両親のいない伊織のために色々と力を貸していたことが分かった。
 急に決まった男性限定公演などで振り回されている先輩研究生達からも、寺尾の悪口は1度も聞いたことがない。
 俺の家族になると言われた時、両親に見捨てられた俺に同情しているのかと思ったがそれは間違いだ。自立した生活をしながらも、本当は家族が欲しかったのかもしれない。
「昔のドラマか漫画みたいな話だけど、本当のことだよ。可哀想な奴だって思われたくなくて、ずっと黙ってた」
 俺は伊織の手に触れて、何の迷いもなく手を繋いだ。驚く伊織をよそに、俺は伊織の両親が眠る墓の真正面に立った。
「伊織のお父さん、お母さん、初めまして。水無瀬です。俺の両親はずっと行方不明で、今どこで何をしているのか分かりません。全部俺のせいで……そんな俺に、伊織は家族になると言ってくれました。家族って簡単になれるものじゃないです。でも俺は伊織の気持ちが嬉しかったから、今では伊織を本当の家族だと思っています」
 手を繋いだ伊織からの視線を感じながら、俺は一呼吸置いて続きを口に出す。
「俺は男ですが、伊織のことが好きです。ずっとそばにいて、伊織を守ります」
 墓前でそう言った時、伊織が繋がっている俺の手を強く握ってきた。そして泣いているのか寒いのか、時々鼻をすする音が聞こえてくる。
「水無瀬が僕を好きだって、普段なかなか言ってくれないんだよね……」
「だから言ったじゃねえか、今」
「今のは僕の両親に向けて言ったんだろ!」
 俺は普段、伊織に好きだとか愛してるだとかをめったに囁かない。冷たいと思われそうだが、そういうのが苦手な性格だから仕方がない。


***


「続いては寺尾プロダクション研究生の皆さんです! すでにバラエティや歌など各方面で活躍中の伊織くんと、モデルとしても人気急上昇の篠原くんの2人がセンターを務めるデビュー曲は、航空自衛隊の協力で撮影した迫力のPVも話題の、硬派なダンスナンバーになっています!」
 女子アナウンサーからの紹介後、俺達とスーツを着たベテラン司会者のトークに入る。ミューパラ生放送がついに始まり、テレビ初公開のデビュー曲をこれから歌うのだ。
 司会者のすぐ隣に伊織が座り、そこから順番に俺と篠原が並んでいる。そしてすぐ後ろの列に残りの7人が座っていた。
 司会者とは別の番組で顔見知りらしく、伊織は緊張ひとつせずに笑顔で喋っている。人数が多いから俺と伊織が代表で行った放送前の挨拶回りでも、伊織の顔の広さが幸いしてスムーズに済ませることができた。
 伊織とのトークが一段落した司会者は俺のほうを見ると、
「水無瀬くん初めまして、君キャプテンなんだって? これだけ大勢の男の子をまとめるのは大変じゃない?」
「そうですね、でも先輩方が俺を支えてくれるし、後輩の篠原とも最近は仲良くできてるので楽しいです」
「仲良くなったつもりはありませんが、キャプテンとしては有能だと思います」
「違うよ! 水無瀬は僕と仲良しなんだもんね!」
 劇場公演と同じノリで毒を吐く篠原に我慢できなかったのか、生放送でも構わずに伊織は俺の腕にしがみついてくる。客席からは研究生ファンらしい女性客の黄色い歓声が上がり、女性はメンバー同士のスキンシップが好きなんだなと何となく思った。
 もしかして、俺と伊織の関係は薄々とファンに気付かれているんじゃないか。
 呆れたように篠原がため息をついた頃、ステージの準備が終わりいよいよ歌う時が来た。俺達10人はスタッフの指示を受けてステージのほうへと移動する。
「それでは寺尾プロダクション研究生の皆さんで、デビュー曲『Miracle』です、どうぞ」
 いつも立っている劇場のステージよりも眩しく広いこの場所で、俺達はカップリング曲メンバーの想いも背負って歌う。
 トップへの階段を駆け上がり、奇跡を起こせるように。




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