3月末に行われた佐倉の卒業公演から約3ヶ月が経ち、季節は春から夏に変わっていた。
 あれから伊織は、準主役として出演した稲川幸也演出の舞台が大ヒットとなり、東京だけではなく他の都市での上演も決定した。以前は俳優志望としては致命的な演技力だった伊織が、稲川幸也の指導を受けるようになってからは見違えるほど上達していた。
 女子受けする顔のレベルは言うまでもなく、最初から歌やダンスは完璧で、更に演技まで上手くなったら芸能人としての伊織は敵無しじゃないかと思う。これで残された欠点は、主張の強すぎる性格だけだ。
 そして篠原のほうも初主演映画で見せた、普段の淡々とした振る舞いとは真逆の俺様系キャラが話題になり、早くもファンから続編希望の声が高まっているらしい。
 もちろんモデルとしての活動も順調で、イメージモデルを務める服のブランドのCMがテレビで毎日流れている。
 俺のほうは先月カツヤスSHOW!の企画で、俺の故郷でもある北海道でのロケに行ってきた。海に近い港町のK市で食べたカニは最高で、あれなら毎日食べてもいいというほど感動した。特に美味かった毛ガニの甲羅焼きの話を伊織に電話で伝えたが、土産にはタラバガニの脚を買ってきてほしいとピンポイントでねだられてしまった。タラバの脚は高くて買えないと言うと、愛が足りないだの自分ばっかりカニ食べてずるいだのと伊織に拗ねられ、面倒なことになった。俺は仕事で食べたんだよ……。


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 今年で還暦を迎えた、スベリ知らずとも言われている饒舌なお笑いタレントが司会を務めるトーク番組の収録中にとんでもないことになった。
 毎週火曜夜に放送されているこの番組は、毎回10〜12人程度の芸能人や各界の有名人がゲストとして招かれ、視聴者から募集したテーマに沿ってのトークが展開されていく。そして今回、寺尾プロダクション研究生から俺と伊織と篠原が揃っての出演オファーが来た。
 「どうしても私が理解できないこと」のテーマでトークが始まった頃、俺達から離れた位置に座っていた元雑誌記者でジャーナリストの立谷(たつや)という50代半ばの男が、司会者に指名されて語り出した内容で場の空気が凍りついた。
「俺が理解できないことっていえば、まあ最近の男アイドル連中? 特に女みたいな顔のチビとか、大してツラがいいわけでもないホモとか、あとは無愛想な中卒野郎が舞台だの映画だのに出て調子に乗ってるのが理解できないね。はっきり言って金取っていいレベルの演技じゃねえだろうが」
 他のゲストや司会者が一瞬沈黙する中で、俺の隣に座っている伊織が険しい顔で立ち上がろうとしたのを、俺が腕を引いて止めた。露骨に反応するなと、俺は伊織に視線だけで訴える。
 逆に篠原は、何事もなかったような様子でやり過ごしていた。スタッフが慌てているのを見て、この部分は放送されるのだろうかと俺は何となく思った。


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 収録が終わり、楽屋に戻った途端に伊織はそれまで抑えていたものを解き放つかのように怒り出した。
「何だよあれ! あのジジイ、僕達があの場にいるってわかっててあんなこと言って最悪だよ! 性格悪すぎ! 呪われて死ね!」
 伊織はそう叫んで、楽屋にある座布団を近くの壁に思い切り投げつけた。立谷は普段からアイドル嫌いとして有名だったので、今回共演すると知って嫌な予感がしていたのだ。そしてそれが的中してしまった。
 こういうトラブルを避けるためか、所属アイドルと立谷との共演NGを出している事務所もあるらしい。あくまでも噂だ。
「だからっていちいち反応してたら、あのおっさんの思うツボになっちまう」
「このまま泣き寝入りしろってこと!? 僕は許さないよ! 子供のいじめみたいじゃないか!」
 そんな俺達の様子を楽屋の隅で黙って見ていた篠原が、水の入った紙コップから口を離すと伊織に視線を向けた。
「あれは俺達のことなんでしょうか」
「はあ!?」
「別にどこの誰のことかまでは言われてませんよね、それならあの場にいなかった他のアイドルの可能性もありますけど」
 立谷が挙げた特徴だけで俺達のことだと勝手に思い込んでいたが、確かに篠原の言うとおりなので、俺も伊織も言葉を失う。まさかそういう考え方が出てくるとは思わなかった。
「もし最後の中卒云々が俺のことだとしても、俺が納得して決めた進路です。どうでもいい他人にとやかく言われる筋合いはありません」
 冷静な篠原の言葉に伊織は怒りの気持ちが萎えたのか、床に膝をついて俯いた。今回は研究生としての出演で俺や篠原もいたが、もし伊織1人で出ていたら収録中に暴れて大惨事になっていたかもしれない。
 研究生の中で次のプロデビューに最も近いのは伊織だと噂されているものの、こんなに感情的な性格のままで1人立ちしても大丈夫なのか、後輩の立場から見ても不安だった。


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 夜公演でアンコールの1曲目が終わった後でステージに現れた寺尾によって、1ヶ月後の7月末に研究生の3枚目のシングルが発売されることが告げられた。
 そうなると同時に行われるのはもはや恒例となったイベント、今ここでの立ち位置発表だ。そして新センター誕生の場でもある。次の曲が出るまでの期間限定だが、歌番組やCDジャケットではかなり目立つ位置に来るので重要なポジションだ。
 1枚目は伊織と篠原、2枚目は伊織と佐倉のダブルセンターが続いている。このパターンで行くと今回もセンターとして伊織と誰かが選ばれる可能性が高い。伊織自身は、そろそろ単独センターをやりたいと言っていたが。
 今回は1枚目と同じく、再びタイトル曲とカップリング曲で17人をそれぞれ2グループに分ける構成らしい。タイトル曲のメンバーは3列目から、1枚目ではカップリング曲を歌っていた小林や西野が入ってくるなどのサプライズ展開で盛り上がった。特に小林は本当に感激したようで、3列目の発表が終わった後もまだ泣いていた。
 そんな祝福ムードの中、寺尾はやけに冷静な口調で2列目のメンバーの名前を告げた。
「2列目、伊織」
 おそらくこのステージにいる研究生も、今日来ている観客も、誰も想像していなかったに違いない。研究生の中では絶対的な存在である伊織がタイトル曲のセンターから外れるという展開は、それほどの衝撃を皆に与えた。
 伊織ファンを始めとする観客は、どう反応していいのか分からないまま沈黙しながら、魂が抜けたように2列目の端に向かう伊織を見守っていた。
「続いて篠原。2列目は以上になります」
 伊織と共にセンター候補だった篠原すらも2列目で名前を呼ばれ、今回のセンターが誰になるのかますます読めなくなってきた。伊織が自分の後継者として推していた佐倉はもういない。
 ステージ端に残されている、俺を含めてまだ名前を呼ばれていない10人のうち誰がセンターになっても、人気ツートップの伊織と篠原をバックにして踊るという大変なプレッシャーを背負うことになる。
 緊張感が漂う中、いよいよ寺尾の口からタイトル曲のセンターが発表された。
「1列目センター、水無瀬」
「……えっ」
 名前を呼ばれて返事をする代わりに、俺は間抜けな声を出してしまった。いや、だって、何かの間違いではないかと耳を疑ったからだ。今までずっとダブルセンターを真後ろから支える役目だった俺が、まさかセンター?
 さすがに驚きの声やざわつきが止まらない中で、俺は今度こそ返事をすると未だに信じられない気持ちでセンターの位置に移動して、そこに立った。背後には現エースの伊織と、俺が次のエースとして推している篠原。
 篠原はともかく、毎回何がなんでもセンターにこだわっている伊織からの視線を痛いほど感じる。更に客席にいる伊織ファンからの強烈な敵意も。もしかすると今回もダブルセンター制かと思ったが、タイトル曲は俺が単独でセンターを務めるらしかった。
 その後カップリング曲を歌う9人の立ち位置も発表されて、公演は終了した。伊織は俺の顔すら見ないまま着替えて帰ってしまった。
 ネットでは大勢の伊織ファンによるCD不買宣言、俺や運営へのバッシングなどが溢れ、俺のブログのコメント欄は、目も当てられないほど酷く荒らされていた。応援のコメントが書かれていても、「ゴリ推しホモ野郎」「しね」などの書き込みですぐに流されてしまう。
 寺尾は一体どういうつもりで突然俺をセンターにしたのだろう。しかし、この先どんなことになっても指名されたのならそれをやり遂げるしかない。
 俺も芸能人だ、ちゃんと分かっている。




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