さっき、寺尾さんから僕にすごい知らせが届いた。
 稲川先生が演出を手掛ける舞台に、僕が準主役で出演することが決まった。僕が俳優を目指したきっかけが中学の頃に観に行った稲川先生の舞台だったから、まさか僕が出られる日が来るなんて夢みたいで信じられなかった。
 そして主役は、前もドラマで共演した間宮潤だ。間宮が演じる、市民を苦しめる残酷で非道な若い国王。そんな彼に惹かれてのめり込んでいく青年役が僕だ。
 稲川先生は僕が出た間宮との学園ドラマや、去年出したセミヌード写真集を見た上でキャスティングしたらしい。
 手渡された台本をめくってみると、さすがの僕でも目が滑りそうな難解な言葉が並んだ長台詞に圧倒されてしまった。その台詞の大半が間宮のものなんだけど。
 舞台では肌の露出シーンが多い間宮は早速身体を鍛え始めたらしいし、僕も負けてられない。スケジュールは更に詰まってきつくなったし、とりあえず今週末の劇場公演まではゆっくりできる時間はなさそうだ。


***


 テレビのレギュラー番組の収録や舞台稽古をこなしているうちに、あっという間に土曜の夜公演の日を迎えた。
 水曜あたり、僕に大切な話があるらしい佐倉からメールが届いてたけど、そのメールに気付いたのが真夜中だったから、話は公演が終わったらゆっくり聞くって返事を朝に送ろうとしたらずっと忘れてて、実際に送ったのが昨日の昼になってしまった。
 そんなに大切な話なら、ちゃんと時間が取れる時のほうがいいもんね。
「なあ伊織、佐倉から何か話あっただろ。聞いたか?」
 夜公演に向けたリハーサルが終わってロッカールームで円陣を組んだ後、久し振りに会った水無瀬が僕に囁いてきた。何で水無瀬がそれを知ってるんだろ。
「舞台の稽古とかあって忙しくてさ、今日の公演が終わったら聞くって返事はメールでしたけど」
「え、まじかよ! 聞いてねえのか!?」
「だって時間なかったんだよ! 水無瀬、知ってるなら教えてよ」
「俺から言うのか……いや、実はさ」
 気まずそうに僕から目を逸らしながらも話し始めた水無瀬だけど、急にスタッフに呼ばれてどこかへ行ってしまった。
 僕は直接佐倉に聞こうとしたけど、本番1分前を告げるスタッフの声に遮られて胸騒ぎが治まらないまま皆とステージに上がった。


***


 いつも通りに公演は順調に進んで、篠原から水無瀬への突っ込みMC(何度見ても腹が立つ)を経て最後の曲が終わった。本日は来てくださってありがとうございました、という観客へ向けた挨拶の後で全員で礼をして公演終了となるはずだった。
「待ってください! ぼくから皆さんにお知らせがあります」
 水無瀬の挨拶の直後、突然そう言って手を挙げたのは佐倉だった。高揚した雰囲気から一転して、ざわめく客席とステージ。今まで何度も経験した、この不穏な感じ。
「研究生になってから約1年半が経ちました。周りの仲間や先輩にご迷惑をかけながらも、初めてのCDではカップリング曲のセンターに選んでいただけて本当に嬉しかったです。でもこの春に高校生になるにあたって将来を考えて、決断したことがあります」
 もしこれから佐倉が言うことが僕の予想通りなら聞きたくない、言わないでくれ。それでも立ち位置が佐倉と離れている僕は、何もできないままその瞬間を迎えてしまった。
「ぼく、佐倉祐希(さくらゆうき)は……研究生としての活動を辞退して、普通の高校生になります」
 佐倉が僕に話したかったのって、これだったのか? 他の研究生達や観客が動揺する中、マイクを握り締めたまま泣いている佐倉に駆け寄って、その肩を抱いて励ます水無瀬の姿を眺めながら僕は棒立ちのまま動けずにいた。
 辞めることを、佐倉は僕にちゃんと話そうとしていた。なのに僕は忙しさに流されて後回しにした結果、こうしてステージの上で呆然とする羽目になったのだ。
 水無瀬に支えられながら佐倉は、今年の3月末……あと約2ヶ月後に自分の卒業公演が行われることを皆に告げた。僕の知らない間に、全てが決まっていた。


***


 ステージの幕が下りて公演が終わった後、ロッカールームへ向かう途中の廊下で僕は我慢できずに、捕まえた佐倉の背中を壁に押し付けた。周りの研究生達が立ち止まって僕達に注目してるけど、周りの目なんか気にしていられない。
「おい佐倉、何で辞めるんだよ!」
「いきなりですみません……ぼくは研究生としての活動も、学校の勉強も中途半端にしたくなかったんです」
 迫る僕が怖いのか、佐倉はまた泣きそうな顔をして訴えてくる。
「佐倉にはいつか、僕の後を継いで研究生の中心になってほしかった。だからダンスだってあんなに力を入れて教えてきたんだよ!」
 そう叫んで佐倉の肩を強く掴む。そんな僕の腕を後ろから誰かが引いて、佐倉から引き離した。振り返るとそこには水無瀬がいた。
 今は僕の恋人じゃなくて、研究生キャプテンとしてこちらを険しい顔で見ている。
「本当に、そんな理由だけで佐倉にダンスを教えてきたのか?」
「みなせ……」
「お前は佐倉を弟みたいに大切にしているから、忙しい中でも教えてきたんじゃねえのかよ!」
 動揺と悲しさで頭の中がぐちゃぐちゃになっていた僕は、水無瀬の言葉でじわじわと我に返る。そして身勝手に佐倉を責めていた自分が急に恥ずかしくなって、僕はステージ衣装のままでこの場を逃げ出した。
 必死で走って階段を駆け上がって、たどり着いたのは誰もいないレッスンスタジオだった。防音仕様のドアを閉めて、僕は床にうずくまった。分かってはいたけど当然誰も追いかけてこなくて、空しくなった僕は思わず笑ってしまう。
 確かに僕は佐倉を自分の後継者にって考えていたけど、それだけじゃなかった。慕ってくれる年下の後輩なんかいなかった僕に、佐倉はダンスを教えて欲しいと言って頼ってきた。
 本人には言ってないけど、あの時はすごく嬉しかった。だって佐倉は、僕が特にきつい態度で押さえつけてきた研究生だったから。昔は僕がそばを通るだけで怯えていて、それがすごく気に入らなくて嫌だったんだ。
 この先ずっと、佐倉とは普通に会話をすることすらないと思っていたくらいだ。水無瀬の言う通り、僕にとっての佐倉は本当の弟みたいに大切な存在だった。もちろん今でも……。
 やがてスタジオのドアが開いて、僕はその音に素早く反応する。水無瀬か佐倉が僕を気にして来てくれたのかもしれない。そう期待して顔を上げた僕の目に映ったのは、よりによって1番会いたくなかった篠原だった。何でこいつが?
「世界41位が何の用だよ」
「そんなに軽口叩けるなら大丈夫ですね、水無瀬先輩が来なくても」
 さっき篠原は、僕と佐倉や水無瀬とのやりとりを端から冷めた目で見ていた。いかにも他人事って感じで。
 こいつはいつもそうなんだ、初めてのCDで1人目のセンターに選ばれた時も、大して嬉しそうじゃない顔でさっさとセンターの立ち位置に向かっていった。
 僕が絶対に取りたかったあの位置に、篠原が平然と立っているのが悔しくてたまらなかった。最後は僕もセンターに選ばれたけど、こんな奴と肩を並べるなんて内心面白くなかったよ。
 篠原は僕よりずっと背が高くて足も長くて、落ち着いた大人っぽい雰囲気を漂わせている。
 去年のガールズフェスタで、篠原がセンターを務めたライブ動画を初めて観た時の衝撃は今でも忘れられない。夏本さんがあのライブのために書き下ろした曲のイメージにぴったりの、クールで陰のある眼差し。歌やダンスの表現力には自信のある僕ですら危機感を覚えるくらい、ぞくっとした。
 そしてキャプテンの水無瀬が、僕が抜けた後の次期エースとして推している存在だ。そう考えて僕は、爪が食い込むほど手を強く握り締める。
「佐倉先輩の気持ちが、俺には分かります」
「お前にあいつの何が分かるんだよ!」
「俺も芸能活動と勉強を両立できるほど器用じゃないんで、高校は行ってません」
 そういえば篠原は、中学時代に研究生オーディションに受かってからは進学していないと聞いた。普通の高校生になると決めた佐倉とは真逆の選択だ。僕はアイドルも勉強も両方やりたくて、芸能コースのある高校に入った。
「水無瀬はお前を、僕の後継者にしたいんだってさ」
「俺を?」
「ああでも、篠原はステージに立てればポジはどこだっていいんだよな。そんな適当な考えしてる奴、僕は認めな……」
 突然、篠原の目つきが鋭いものに変わった。まるでガールズフェスタでのライブを思い出させるような、完全にスイッチが入った状態だ。
「あの人が推してくれるなら、俺はそれに応えます」
「……へえ、それ本気で言ってんの?」
「もちろん、本気です」


***


 ロッカールームへ行くと、入口のドアに佐倉が立っていた。さっき、一方的に責めてしまったことを思い出して胸が痛んだ。僕を軽蔑したかもしれない。
「伊織さんと改めて話がしたくて、待ってました」
「ずっと、ここで?」
「あの、伊織さんに何も言えないまま発表してしまって、すみませんでした」
 ドアから離れた佐倉は僕の正面に立って、申し訳なさそうに謝る。悪いのはお前じゃなくて、話を先延ばしにしていた僕なんだよ。
「ところでさっきの話で、ぼくが伊織さんの後を継ぐっていうのは……そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど、でも」
「僕の勝手な願望だよ、でもせめてあと2ヶ月の間くらい夢見たっていいだろ」
 僕の後継者なんて無理、って佐倉の性格ならきっと言うだろうから、僕はわざと続きを聞かずに遮った。
 佐倉もまだステージ衣装のままで僕を待っていた。それが微笑ましくて、思わず佐倉を抱きしめたくなった。




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