『水無瀬さんは、美園純子(みそのじゅんこ)を知っていますか』
『ああ、有名な女優だろ』
『それだけではありません。40年ほど昔から制作されていた、ロマンポルノと呼ばれる成人向け映画の黄金期を支えた名女優の1人です。30歳を前にテレビドラマやCMへと活動の場を移しました。当時、ロマンポルノ出身の女優が一般向けの作品に出演するのは珍しかったそうです』
 そう言ってアヤは、食べかけの生姜焼きを再び口に運んだ。
 美園純子といえば映画やドラマのエンドロールでは、必ずキャストの最後に名前が出てくる50代半ばの超大物だ。俺が知っているのはその程度だったので、ポルノ女優だった過去は今アヤから聞いて初めて知った。
 アヤは俺にそんな話をした理由を語ることなく、女将さんに生姜焼き定食の代金を払って店を出て行った。


***


「いいか佐倉、お前はこれからセンターとしてミューパラのステージに立つんだ。思い切り目立って輝いて、前に味わった屈辱を晴らすんだよ」
「はい、伊織さん!」
 本番前の楽屋で、伊織は大して緩んでいない佐倉のネクタイをわざわざ締め直しながら、強い口調で佐倉にそう言い聞かせた。
 俺達が今着ているのは卒業シーズンを意識した新曲のイメージに合わせた、学校のブレザー風の衣装だ。
 伊織と佐倉をダブルセンターとした新曲を、俺達研究生は音楽番組・ミュージックパラダイスで披露することになった。ミューパラといえば前の曲で、佐倉がセンターのカップリング曲の件で色々あった番組だ。特に佐倉はかなり傷付いただろう。
 今回は伊織がダブルセンターの片割れにいるためか、立ち位置の変更は無しで歌えることになった。
 ミューパラは後から編集もやり直しもできない生放送だ。本番の時間が近づくにつれて、特にセンターとして初めてテレビで歌う佐倉は、口数も少なくなり見るからに緊張していた。
 円陣を組むために楽屋の真ん中に全員が集まった時、俺はある提案をした。
「佐倉、今日の円陣担当任せていいか」
「えっ! ぼくが……!?」
「センターのお前が、今からみんなを盛り上げてほしいんだ」
 去年、急に公演に出られなくなった伊織の代わりに俺がセンターとしてステージに立つ前に、当時キャプテンだった藍川から俺はその日の円陣を任された。その直前までは緊張や不安でいっぱいだったが、俺の掛け声に皆が合わせてくれたのを見て勇気づけられたのだ。
 他の研究生達も異論はないようで、佐倉に応援の言葉をかけている。もうひとりのセンターである伊織も、佐倉の肩を軽く叩いて励ます。
「わ、分かりました、やってみます!」
 佐倉が引き受けてくれたのを見て研究生全員が輪になり、その中心にそれぞれが右手を重ねていく。
「せーのっ……ぼく達は孤独じゃない! 研究生、心をひとつに全力で……」
「行くぞー!」
 劇場でもテレビの仕事でも共通して使う、藍川の代から受け継がれている掛け声に合わせて、俺達は本番に向けて気合いを入れた。
 やがて本番が始まり、オープニングテーマと共に今日の出演者達が決められた順番通りにセットの階段を降り、観客の前に登場していく。
 とうとう俺達が出て行く直前になっても震えが止まらない佐倉の手を握った伊織は、佐倉と手を繋いだまま俺達の先陣を切って階段を下りる。眩しい照明と、観客からの歓声や拍手に包まれながら。
「寺尾プロダクション研究生の皆さんです、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
 出演する歌手やグループが全員揃ったオープニングのステージで、俺達のそばに来たスーツ姿のベテラン男性司会者の挨拶に、俺達は声を揃えて応える。
「今日で2回目の登場ですね、前とはセンターが変わったんだって?」
「そうなんですよ、今回は僕と、来月末で卒業する佐倉がセンターをやります! 佐倉は僕の可愛い弟みたいな存在なんです。是非覚えてくださいね〜!」
 伊織がいつも通り全く緊張せずに司会者にそう言うと、そばに立っている佐倉の肩に手を乗せた。カメラを向けられた佐倉はまだ落ち着かないのか、自分の名前を噛みながら言った後で慌てて頭を下げた。初々しい反応の佐倉に、客席から笑いと共に再び拍手が上がる。
 それを見ている伊織はもっと自分をアピールしろと言いたげだが、今の佐倉にはこれだけで精一杯だろう。
 そして俺達が歌う番が来た。あんな調子で佐倉は大丈夫かと心配だったが、音楽が始まった途端に佐倉の背筋が伸びてしっかりアイドルの振る舞いをしていた。さすが伊織にしごかれただけある。
 今回はゆったりとした曲調のバラードなので、ダンスもそれほど激しくはない。それもあってか、佐倉は大きなミスもなく伊織と一緒にミューパラでのセンターを務めた。


***


『ねえ水無瀬、僕ずっと前から気になってたんだけどさ』
 マンションに帰ってシャワーを浴びた後、伊織から突然電話がかかってきた。何かと思えば、予想外にも話題は篠原のことだった。伊織から篠原の話をするのは本当に珍しい。
『篠原って去年の12月で17歳になったんだよね? でもさ、あいつが中学を出たのも去年だよ? ってことは16歳で中学を卒業したことにならない?』
「……そういえば、そうだな」
 篠原は中学3年でオーディションを受けて、合格した後は進学せずに研究生になった。卒業前から篠原はすでに16歳になっていたのだ。
『すごい気になるしさあ、あいつにどうしてなのか聞いてきてよ』
「なんでお前が聞かねえんだよ」
『嫌だよ、水無瀬が聞いてよ。僕、あいつに興味あると思われたくないんだよね』
 篠原の歳のことが気になる時点で実際興味あるんじゃないのか。まあ、伊織が普段からあれだけ敵意むき出しの相手に、今更話しかけるのは抵抗があるようだ。
 深刻な事情があってのことかもしれないし、興味本位で聞いてしまってもいいのか。しかし俺も、気にならないと言えば嘘になる。それから一晩かけて迷った。


***


「それは中学1年の時に病気療養でほとんど学校に行けなかったので、同じ学年を2回繰り返したせいです」
 翌日、劇場のロッカールームで篠原と2人きりになった時に「もし言いたくないなら言わなくていい」という前置きをした上で、例の件を聞いてみた。すると篠原は意外にもあっさりと答えてくれた。
「そうか……ごめんな、どうしても気になっちまって」
「履歴書を見せた時に寺尾さんにも聞かれたことですし、何故謝るのか分かりません」
 篠原は着ていたシャツを脱ぎ、それをきっちりと整頓されたロッカーの中から取り出したハンガーにかけた。これからダンスレッスンが始まるのでジャージに着替えるのだ。
 無造作に何でもロッカーに突っ込んでるだけの俺とは違い、篠原はかなり几帳面だ。テレビ局で出た弁当も飯粒まで残さずきれいに食べるし、伊織が適当にゴミ箱に放って外れた紙屑を、何も言わずに拾って捨てる。
 それにしても同じ学年をやり直すくらい長い間学校に行けなかったのは、かなり重い病気だったのか。今の篠原を見ているとそんな過去があったとは思えない。
「回復するまでに時間はかかりましたがもう大丈夫ですよ。でも、もしものことがあったら葬式くらいは来てください。キャプテンとして」
「縁起でもねえこと言うなよ」
 確かに研究生として入ってきた篠原が、今までのレッスン中や公演で体調を崩したことは1度もなかった。
 篠原は2回目の中学1年生が始まってから卒業までの3年間、クラスメートが全員年下という状況で過ごしてきた。よほど上手く周囲に溶け込める性格じゃないと、浮いてしまうだろう。
「俺、中学の時みたいに周りから気を遣われるの嫌なんですよ。だから水無瀬先輩も、俺の身体のことは気にせずに皆と同じように扱ってください」
「ああ……分かった」
「それに最近、新たに目標ができたので」
「目標? どんな?」
「今は秘密です」
 俺より先にジャージに着替え終えた篠原は、そう言うとロッカールームを出て行った。
 相変わらず篠原の口調は素っ気ないが、俺との会話は昔よりも長く続くようになっている。ようやく心を開いてくれた可愛い後輩を、俺はこれからも大切に支えていく。




7→

back