「いやいや、なんか違うんだよなあ」
 2週間後に公開を控えた舞台の稽古中、主演の間宮と僕が抱き合う場面で演出の稲川先生が突然手を2、3度叩いてそう言った。
「身分差はあるものの、君たちは深い絆で結ばれた親友なんだよ。そんな中途半端な演技じゃ、それが見ている側に伝わってこないんだよね」
 本当は間宮とこんなことをするなんてあんまり気が進まないんだけど、これも俳優になるっていう僕の目標のためだから割り切ってるつもりなんだよね。そんな僕の考えを稲川先生は見透かしている。
 劇団員の舞台稽古を見ていた時から分かっていたけど、稲川先生の演技指導は役者に対して手取り足取りきっちり指示するんじゃなくて、どこが悪いのかを指摘するだけ。具体的な改善策は演じる僕達が見つけていかなきゃいけない。それができないと、何度でもやり直しを食らってしまう。最悪、降板なんてこともある。
「伊織くんは相手へ抵抗を感じてるのが丸分かりだし、間宮くんも上っ面だけで軽く演じてるんだよ。とても心が通じ合った親友同士には見えない。観ているお客さんにも嘘臭さが伝わっちゃうよ。つまりお互いに興味も理解も足りないんじゃないかと思うんだ」
 僕だけじゃなくて間宮までダメ出しされるなんて、結構深刻だ。間宮と初めて共演した去年の学園ドラマでは、僕ばかりNG出してたから。稲川先生に悪いところを指摘されて、一旦僕から離れた間宮のほうもどうすればいいのか困っているみたいだ。
 お互いを理解する、って言っても僕は間宮を深く知ろうと思ったことはなかったし、あくまで共演者という気持ちしか持っていない。間宮のほうもそれは同じだと思う。
 椅子に座って腕組みをしていた稲川先生は僕達の様子を見て、とんでもないことを言い出した。
「こうなったらあれだね、君達一緒に暮らしちゃいなよ」


***


「……ってわけで僕、明日から間宮とウィークリーマンションで1週間くらい同居することになったんだ。寺尾さんとも話がついてるってさ」
 僕はいつもの静かなカフェで、水無瀬に事情を話した。別に浮気するわけじゃないし、こういうのは正直に伝えておくべきだよね。
「お前大丈夫か、間宮を理解するどころか喧嘩ばっかりして終わるんじゃねえのか」
「えっ、そっちの心配!?」
「何を心配してほしかったんだよ」
「恋人でもない間宮と1週間以上2人で暮らすんだよ? なんかさー、もっと他のことをさー」
 頬杖をつきながら僕が言うと、水無瀬は呆れたようなため息の後でグラスの中のウーロン茶を一口飲んだ。
「まだそんなこと言ってんのか? 前のドラマの時もそうだったろ、俺に嫉妬させたいとか何とかよりも舞台のこと真剣に考えろよ。だから演技が中途半端だって言われるんだ」
「ちゃんと考えてるよ! だから1週間あいつと暮らすって決めたんだ!」
 僕は思わず椅子から立ち上がって、水無瀬を正面から睨みつける。怒った僕の声に驚いたのか、近くでノートパソコンをいじっていたサラリーマンがこちらを振り返った。
 稲川先生から同居のことを聞いて戸惑った僕の隣で間宮は『俺はお前みたいな腰抜けとは違う、演技のためなら同居でも何でもやってやる』と言い切った。
 みんな僕のことを中途半端だの腰抜けだの、ちょっと言いすぎだよね。これでもし、同居期間の後で間宮に差をつけられたら本当にまずいと思う。俳優になる夢が遠のくどころか、周りから僕への評価にも関わってくるからね。いつまでも研究生のまま、プロになれないのは嫌だよ。
 モデルとして本格的にファッションショーにも参加していて、世界41位のイケメンとして海外からも評価されて、もはや研究生として何を研究しているのか分からない篠原に先を越されるのを想像すると、燃えるような怒りがこみあげてくる。
 僕を舞台の準主役に抜擢してくれた稲川先生の期待に応えるために、何としても間宮には負けられない。


***


「伊織、シャワー浴びねえのか」
「ち、ちょっと! そんな格好で出てくるなよ!」
 同居初日、先にシャワーを浴びた間宮が腰にタオルを巻いただけの姿で僕の前に現れた。
 稲川先生が用意したウィークリーマンションには生活に必要な家具類は全部揃っているから、来た日からすぐに暮らせるようになっていた。でも寝る時はダブルベッドって……気持ち的に窮屈そう。
 でも僕も間宮もそれぞれ舞台以外の仕事があるから、1日中一緒じゃないのが救いだけど。帰れない日だってあるわけだし。それでも稽古場で顔を合わせるだけの関係よりは多少ましかもね。
「野郎同士で何恥ずかしがってんだよ、女じゃあるまいし」
 間宮はいつもの部屋着らしいスウェットの上下を身に着けて、ベッドに腰掛けた。ちょうど僕の隣に。
 水無瀬は僕が仕事で他の男と絡もうが同居しようが、嫉妬して文句を言ったりはしない。それだけ僕を信用してくれてるってことなんだろうけど、恋人なんだから少しくらい妬いてくれたっていいんじゃないの?
 今だってシャワー浴びたばかりの男とこんなに近くにいるんだからさ。
「なあ伊織、お前って料理作れんの?」
「定番の家庭料理なら大体作れるけど」
「へえ、俺は全然だめなんだよな。面倒だし、外食とかインスタントで済ませてんの。でもああいうのってすぐ飽きちまうんだよ。出来る限り手伝うからさ、早速何か作ってくれよ」
 家庭料理に飢えているらしい間宮はいつもの偉そうな態度じゃなく、料理の得意な僕に期待してますって感じで頼んできた。
 この状況、僕が水無瀬に初めて手料理を振る舞った時のことを思い出す。ちょっとだけ手間をかけたオムライスを喜んで食べてくれたっけ。
 簡単なものは作れる水無瀬とは違って、料理の出来ない間宮に手伝ってもらうのは心配だよ。僕は基本的に料理は1人で作りたいし、座って待っててくれたほうが有り難い。
 結局夕飯は僕が作って、食器洗いとか後片付けのほうは間宮がやることになった。


***


 部屋の電気を消して、僕達はダブルベッドでお互いに背中を向け合って横になる。明日は僕のほうが早く起きて、アイドル雑誌のグラビア撮影に行く。自分のと一緒に間宮の分の朝食も作って、食べる時は温めるだけの状態にしておこう。
 本人が言ってたとおり、間宮はびっくりするくらい料理が全然できない。5つ年下の僕が野菜の皮を包丁で剥く方法を教えてみたけど、危なっかしすぎて見ていられなかった。
 上京がきっかけで料理を覚え始めたらしい水無瀬は僕より遅いけど、しっかり包丁を使って剥いてたよ。
 とりあえずこの一晩で、それなりに演技が上手くて気取った間宮にも欠点があることを知った。
「……伊織、まだ起きてるか?」
「もう寝てるよ」
「起きてんじゃねえか」
 そんなやり取りの後、間宮は背を向けた体勢のまま話し始めた。
「お前ってまだ本気出してねえだろ、今の舞台での演技」
「どういう意味だよ、僕は手抜きなんかしてないよ」
「去年、俺と共演した学園ドラマあっただろ。俺に告白するシーン撮った時、お前別人みたいなすげえ演技してたの覚えてるか? 今だから言うけど台詞忘れるくらい圧倒された」
 水無瀬から誕生日プレゼントとしてもらった、指輪を通したネックレスを橋の上から川に投げられたことを思い出す。あの時は間宮が心底許せなくて、怒りのエネルギーを全て演技にぶつけた。とにかく抑えられないくらい暴走していた。
 あれがきっかけでドラマの中でも注目されて出番が増えたのはいいけど、運が悪ければ話の雰囲気や流れを壊してしまうところだった。
 そう、僕は仕事でも私生活でも自分を上手くコントロールできないんだ。


***


 間宮との同居が始まって4日目。
 今の生活の拠点はあのウィークリーマンションだけど、僕達は毎晩一緒ってわけじゃなくて、仕事で間宮が帰れない日は僕は夕飯を作ってひとりで眠る。
 僕が毎日間宮の分も作るのが習慣になっているせいか、料理の作れない間宮はコンビニで買ってきたらしいサンドイッチやお茶を『伊織へ』というメモを添えて置いていく。好意に甘えてそれを食べていると、少しだけ心が温かくなる。
 最初から印象は最悪で今もむかつくことのほうが多いけど、実はいい奴なんじゃないかって思った。




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