「伊織先輩、間宮潤と一緒に暮らしているそうですね」
 公演の後で立ち寄った牛丼屋で、俺の向かいの席に座っている篠原が空になった丼をテーブルに置いてからそう言った。普段通り、中には飯粒ひとつ残っていない。出てきたものはきれいに食べるのが、几帳面な篠原のポリシーのようだ。
 『篠原っていちいち細かいし、あいつ絶対A型だよ!』と、B型の伊織が言い切っていた。
 世の中に4種類しかない血液型で人の性格を決めつけるのはどうかと思ったが、篠原本人に確認してみると伊織の予想通りにA型だった。
 伊織と俳優の間宮潤が期間限定で同居している件は、芸能ニュースでも話題になっていた。そもそも同居は伊織が出演する舞台の演出家が決めたもので、2人は男同士ということでマスコミもそれほど面白おかしくは取り上げていない。
 同居の期間は大体1週間から10日くらいだと聞いている。そして今日でちょうど1週間目だが、未だに伊織はウィークリーマンションで間宮と暮らしているらしい。
「ああ、何か掴んで帰ってくればいいんだけどな。今度の舞台はあいつの将来もかかってるし」
「付き合っている相手を、他の男の元に気持ち良く送り出したんですか、完全に信じ切ってますね」
 俺に限らず篠原はいつも、話をしている相手の顔をじっと見つめる。恐ろしく整った顔立ちの中にある目は、澄んでいてきれいだった。
 前に公演後の観客見送りイベントが恒例のハイタッチではなく、その日に出演した16人の研究生全員との握手を行った時があった。
 公演が終わった直後に突然発表されたそのサプライズ企画は大好評で、中でも篠原に真っ直ぐ見つめられながら握手を交わした女性客の何人かが、他の研究生から篠原へと『推し変』したという噂が流れたのを、今でも覚えている。
「だって仕事だろ? 俺がいちいちうるさく束縛してどうすんだよ」
「物分かりが良すぎるというか……水無瀬先輩らしい」
 俺もようやく牛丼を食べ終わり、何となく篠原の真似をして最後に残った飯粒まできれいに食べた。
 店に入ってきた女子高生の集団が、こちらを見て急に騒ぎ始めた。向けられている視線の先は俺ではなく、篠原だ。
 篠原は女子高生達に愛想を振りまくどころか、気にせずにグラスの中の水を飲んでいる。
 伊織はプライベートで街の中にいるとあっという間にファンに囲まれるが、篠原のファンはただ遠くから眺めながら騒ぐだけで、本人には近づこうとしない。今もそうだ。
 仕事中は笑顔を絶やさずファンサービスの巧みな伊織に比べると、近づき難い雰囲気を感じさせるからかもしれない。
「水、まだ飲みますか」
「え……ああ」
 中身の少なくなった俺のグラスを見た篠原はテーブルに置かれている、水と氷の入った大きなポットから新しい水を注いでくれた。決してファンの前で良いところを見せるためではないのは、篠原の性格を考えればすぐに分かる。


***


 牛丼屋を出てからしばらく篠原と歩いていると、歩道の向こうに身長差のある2人組が見えた。
 辺りはもう暗くなっているので分かりにくいが、片方はさっき話に出たばかりの間宮潤だ。そしてその隣にいるのは、久し振りに見た伊織だった。
 2人は買い物をした帰りなのか、スーパーの袋を手から提げて歩いている。伊織は間宮を毛嫌いするどころか、話が盛り上がっているようで楽しそうだ。この1週間で、ようやく心の距離が縮まったのだろう。
 伊織と間宮の様子を眺めながら俺は、どこか寂しい気持ちになった。同居の話を聞いた時はあくまで仕事だからと自分にも言い聞かせていたが、こうして2人が並んでいるのを見てしまうと……。
「水無瀬先輩、大丈夫ですか」
 隣の篠原に軽く顔を覗きこまれて、俺は我に返った。あの2人を見て生まれた動揺を、年下の後輩に気付かれてしまった。何だか俺、かっこ悪いよな。
「あれは仕事です」
 篠原は淡々とした口調でそう言うと、俺の背中を手のひらで何度か軽く叩いた。


***


 間宮潤とのウィークリーマンションでの10日間を終えた伊織は、同居中の荷物を持ったまま俺のマンションに押しかけてきたかと思えば、怒りをにじませた顔でソファに置いていたクッションを投げつけてきた。
「この浮気者! 僕がいない間に何やってんだよ!」
 全く話が見えない。俺がいつ、誰と浮気をしたのか。いくら俺が元ゲイビデオ男優で昔はセフレがいても、今は伊織と付き合っているのだから、他の男と寝るはずがない。
「戻ってきたかと思えばわけの分からねえことを……お前、俺の何を見て浮気だとか言ってんだ」
「僕、見たんだよ! この前水無瀬が、篠原に肩抱かれながら夜道を歩いてるとこ! よりによって篠原だなんてどういうことだよ! 浮気は許さないって僕言ったよね!?」
 どうやら伊織は、俺と篠原が牛丼を食べに行った夜のことを言っているらしい。仲良さそうに間宮潤と歩いていた伊織を見て、俺のほうも動揺した。
 篠原はそれに気付いて励ましてくれただけだ。正直、肩を抱かれながら歩いた記憶はない。伊織の思い込みか、見間違いだろう。
「確かに篠原と一緒に夜道を歩いた時はあった、でもあれは飯を食いに行っただけだよ。お前が心配するようなことは何もしてねえ」
「水無瀬は気付いてなかっただろうけど、篠原のやつ僕に見せつけるように水無瀬の肩とか背中に触ってたんだよ! あいつそんな趣味はないって言ったくせに、本当は水無瀬のこと狙ってるんだ! 僕のことバカにして見下してるんだよ!」
 俺は伊織の言葉を聞いて、ただひたすら呆れて力が抜けてしまった。買ったばかりの2人掛けのソファに身体を沈めて、ため息をついた。
「お前が散々嫌っていた間宮潤と楽しそうに歩いてんの見て、俺が平気だと思ったのか」
「えっ……!?」
「俺だってお前が他の男と暮らすなんて面白くなかったよ、でもお前が夢のために成功させなきゃいけねえ仕事だから我慢して送り出したんだ。もちろんお前と間宮が間違いを起こしたなんて思ってねえからな。信じていいんだろ?」
 突然涙をこぼしながら、伊織は確かに強く頷いた。伊織は良くも悪くも分かりやすいから、俺はそれを見てこいつは嘘はついていないと確信した。
「じゃあお前も、俺が篠原と浮気はしてねえって信じろ」
 俺がそう言うと、伊織はソファに座っている俺にしがみついてきた。
「ごめん、水無瀬のことちゃんと信じるよ。両親にも紹介した僕の恋人で、家族だもんね。もちろん間宮とはただの共演者のままで、ここに帰ってきたよ。でも嬉しいよ……水無瀬も少しは妬いてくれたんだね」
 まるで伊織はさっきまでの怒りを忘れたかのように、目を輝かせながら俺を見上げてくる。
 かなりわがままで思い込みが激しく、俺よりも遥かに独占欲が強い。自分が1番目立ってなければ気が済まない。正直、決して伊織の性格は扱いやすいとは言えない。それでも今までの付き合いで、伊織は1度も俺に背を向けて離れようとはせずに、ずっと俺だけを見ていてくれた。
 去年、事故に遭って2ヶ月近く昏睡状態だった俺の入院費のために、歌やダンスだけでも充分に売れていた伊織が初めてのセミヌード写真集の発売を決めた。それを週刊誌の記事で後から知った時、今後の人気にも影響する大きな賭けのような仕事をさせてしまったことを、俺は悔やんだ。
 そんな経緯もあって、俺は俳優を目指す伊織の背中を押しながら、夢に向かう姿を見守っていこうと思っていた。それは俺にしかできない役目だと信じて。
「ねえ、今更だけどこのソファいつ買ったの? 僕が前に来た時は無かったよね?」
「ああ、店で買ったのが昨日届いたんだよ」
 前に住んでいたワンルームのアパートでは狭くて置けなかった、2人掛けのソファ。テレビの正面に置いているので、伊織と一緒に座って観ることができる。
 俺以上に忙しい伊織がここに来た時に、少しでもくつろいでくれればいいという願いも込めて買ったものだ。
「座り心地最高! つまり僕といちゃいちゃするために買ってくれたソファなんでしょ? 水無瀬は欲望に正直だなあ」
 見るからに上機嫌になった伊織が俺に顔を近づけて、唇を重ねてきた。
 10日振りの甘く深いキスが懐かしく感じて、すっかりその気になった俺は伊織のシャツの裾から手を入れて滑らかな肌を味わった。




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