正直、仲が良いとは言えない僕と間宮が一緒に暮らしたところで、お互いを理解するなんて無理な話だって思っていたよ。提案したのが海外でも名前の知れた演出家、稲川先生でも今回ばかりは上手くいかないんじゃないかって。
 でも実際に同じ部屋で10日間過ごしてみると、今まで知らなかった間宮の苦手なものとか、意外に律儀なやつだったとか、色々な部分が見えてきた。そしていつの間にか心から、間宮と協力して良い舞台を作り上げていこうって思えてきた。
 舞台の初日は僕宛の花が劇場のロビーにたくさん飾られて、中には研究生の皆が贈ってくれたものもあった。水無瀬は仕事があって来られなかったけど、寺尾さんや佐倉が観に来てくれて嬉しい感想を貰えた。
 主役の間宮は難しい言い回しの長台詞を完璧にこなしていたし、同居前よりも更に演技に磨きをかけていた。僕がそうだったように、間宮もあの10日間で得たものがあったのかな。
 舞台の仕事は順調だけど、今月末には佐倉の卒業公演がある。1日を終えるごとにそれが音もなく近づいてきて、それを思い出すたびに僕の胸が寂しさで陰っていく。


***


 僕がひとりで暮らしているマンションの寝室で、僕と一緒に今ベッドの中にいるのは水無瀬じゃなくて佐倉だ。
 卒業公演を明日に控えて、ちょうど個人の仕事も早めに終わった僕は公演後の佐倉を誘ってここに泊めた。僕にとっての佐倉は何度も言うけど弟みたいな存在だから、こうして夜中にひとつのベッドに潜っていてもエッチな展開にはならない。僕がその気になるのは水無瀬だけだし。
 こうして間近で向き合ってみると、佐倉は将来有望って感じの可愛い顔をしている。できればアイドルを続けて僕の跡を継いでほしかったけど、ここまで来たらもうわがままは言えないよ。寂しいけどね。
「伊織さんの手作りハンバーグ、すごく美味しかったです。ぼく、あまりお手伝いできなくてすみませんでした」
「気にするなよ、その代わり後片付けは一緒にやってくれただろ」
「あの、伊織さん……今まで色々あったけど、本当にありがとうございました。研究生になって、伊織さんに出会えて本当に良かったです」
 そう言って涙ぐむ佐倉につられて僕も泣きそうになったから、それをごまかすために僕は佐倉を抱き寄せて髪に触れる。佐倉の身体からは、僕が使っているものと同じボディーソープの香りがした。
 出会えて良かったと思っているのは佐倉だけじゃないってこと、そう伝えたかったけど上手く言葉にならなかった。


***


 佐倉の卒業公演当日、いつものセットリストで1曲目で披露している全体曲でセンターに立った佐倉を見たお客さん達から歓声が起こった。
 僕が公演に出られない時に代役を務めているのは佐倉だから珍しいことじゃないんだけど、同じステージに僕がいる時も佐倉が単独でセンターに立つっていうのは初めてのことだ。
 これは全部僕が、佐倉本人や他の皆に最後のステージでは佐倉を主役にしたいって提案したものだ。そうすると立ち位置が多少ずれて僕が2列目の端になったりもするけど、この日ばかりは何の不満も持たなかった。まあ、アイドルオーラがすごい僕はどこにいても結局目立っちゃうんだけどね。これも生まれつきの才能ってやつだよ。
 公演中、僕は佐倉の後ろでいつも通り踊っていたけど、終わりが近づくたびに目頭が熱くなってくる。佐倉はもう、このステージに立つこともない。僕がダンスを教えることだって、もうなくなるんだ。
 セットリストを全て終えた後、研究生全員がステージに立って最後のMCの時間になった。佐倉の同期数人を中心に、佐倉との思い出話で盛り上がる。
 佐倉は今まで応援してくれたファンの人達への感謝の言葉を伝えると、何故か僕のほうを一瞬ちらっと見た後でとんでもないことを言い出した。
「えっと、最後だから思い切って言います。実は去年の伊織さんと水無瀬さんのセンター争奪戦で、ぼくは水無瀬さんが勝ってセンターになってほしいって思ってました」
「えっ!? 僕そんなの初めて聞いたよ! 何だよそれ!」
「あの時はまだ、伊織さんはその、怖い先輩だったので……すみません」
「いくら最後だからって、ぶっちゃけすぎだろ!」
 そう言いながらも僕は、佐倉が水無瀬を応援していた気持ちが分からなくもなかった。確かに争奪戦の時は、まだ佐倉と打ち解けてなかった。今思うとずいぶん酷いこと言ったし、やらかしたなって自覚はある。
 期間中のレッスンで、僕を怖がっていた佐倉がわざわざ水無瀬のそばに来て踊っていたのを今でも覚えている。あそこにいれば僕が佐倉に何を言っても、水無瀬が放っておけずに佐倉を庇うだろうからね。大人しい振りして実はあざといやつだなって思ったよ。
「ま、結局お前が勝ってセンターになったんだからいいじゃねえか」
「水無瀬まで佐倉の味方しちゃうんだもんな、もう……」
 客席から起きた笑いが落ち着いた後、場を仕切っている水無瀬に僕から佐倉へのコメントを求められたから、僕は改めて佐倉と向き合った。するとそれまでは笑顔だった佐倉が、マイクを胸元で握り締めながら僕をまっすぐに見つめてくる。それを見て僕は、ぎゅっと胸が苦しくなった。でも僕は最後まで強い自分のまま佐倉を見送りたくて、何とか調子を取り戻そうと必死だった。
「佐倉は僕のこと怖い先輩だったって言ったけどさ、お前がやけに僕を怖がったのが悪いんだ。そういうのって言葉にしなくても、態度で分かっちゃうから。高校入ったら同級生になめられないように気をつけろよ。弱虫の匂いを嗅ぎつけるのが得意な連中って、どこにでもいるからさ」
 僕が佐倉に向けてそう言うと、そばに立っている篠原がマイクには乗らないくらい小さな声で「伊織先輩も得意ですよね」と呟いた。
 こんな時に、お前の感想なんかどうでもいいんだよ! 篠原の一言に、何人かの研究生も吹き出したのも面白くない。
「佐倉がいてくれたから、僕は昔に比べて成長できた気がする。普通の高校生になっても、佐倉はずっと僕の可愛い弟だよ」
 MC明け、佐倉が研究生として歌う最後の曲は先月末に発売された2枚目のシングル「桜色(さくらいろ)」だった。この曲で僕とダブルセンターを務める佐倉が隣に並び、しっとりとしたピアノのイントロが流れる。
 今の季節に咲く花と同じ響きの名前を持つ、僕の仲間であり弟のような存在でもある研究生がひとり、新しい道へと旅立っていった。




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