ゲイビデオ男優からアイドルの研究生に転身した俺も、単独でバラエティ番組やテレビドラマに出たり、今年の夏に発売された研究生の3枚目のシングル曲ではセンターを務めた。
 研究生キャプテンとしての仕事も並行して行っているので忙しいが、毎日充実していると心から実感している。


***


 普段は学校に通いながら活動している研究生メンバー達も、連休に入っている今は午前中からレッスンスタジオに入り浸ってダンスの練習を行っている。相変わらず壁一面に張られた鏡の前に行けるのは、実力者の伊織を始めとする限られた数人だけだ。
 俺達は皆、その場所を目指してひたすら踊って汗を流している。もちろん最終的な目標はプロの芸能人としてデビューして、研究生のホームであるこの劇場から巣立っていくことだ。
 昼食の時間になり、俺達研究生はレッスンスタジオでそれぞれ持参してきた弁当を広げた。以前は気の合うメンバー同士数人で固まっていたが、今は全員で輪になって食べている。
「こういう弁当の白飯にかかっているふりかけって、理解できないんですよね」
 俺の隣に座っている篠原が、ここに来る前に買ってきたらしいコンビニ弁当の中身を見ながらそう呟いた。
「ふりかけがどうかしたのか?」
「白飯はおかずと一緒に食べればいいじゃないですか。なのにわざわざふりかけをかけるなんて、大きなお世話だと思いますけど」
 篠原のコンビニ弁当を見ると、白飯の上にごま塩のふりかけがまぶしてあり、その横にはエビフライや魚の切り身などが添えられている。確かに店で売っている総菜は味の濃いものが多いので、白飯と一緒に食べるとちょうど良い具合になるだろう。
 が、俺は気にせずふりかけのかかった飯とおかずは別々に食べていたので、篠原の考えには共感できずにいた。
「あ〜うるさい、どっかの誰かの『人とは違う不思議な俺』アピールのせいで、空気がおかしくなっちゃったよ」
 俺を挟んで篠原の反対側にいる伊織が、やけにでかい独り言を口にした。伊織が手にしているのは、カロリーをある程度まで抑えつつも満足感もあるという、自慢の手作り弁当だ。伊織は事故で両親を失ってからひとり暮らしが長く、家庭料理なら一通りマスターしている。クリスマスには超多忙スケジュールの中で、俺に手作りケーキをプレゼントしてくれた。
 それはともかく、空気がおかしくなったと言うのは伊織だけで、他の皆は篠原の発言を大して気にしている様子はない。伊織は一方的に篠原をライバル視しているので、些細な言葉にも突っかかるのはいつものことだ。
「売ってるものに文句つけるくらいなら、自分で作ってくるかパンでも買ってくればよかったんだよ。わがままな奴って本当に困るよね〜やだやだ」
 伊織はそう言いながらちらちらと篠原のほうを見て、反応を待っている。対して篠原は何事もなかったように、ふりかけのかかった白飯を口に運ぶ。全く相手にされていない伊織が険しい顔になり、いつものこととはいえ俺はため息をついた。


***


 伊織が前から住んでいるマンションは俺のところより広く、立地もかなり良いので家賃も高い。そしてそれは全額、伊織が中学生の頃から自分で稼いだ金で支払っているのだ。
 複数ある部屋は、使い道がなく持て余している俺とは違って大量にある私服や物を置くための場所として、無駄にすることなくフル活用している。
 俺と一緒に食べる夕食を作るためにエプロンをして台所に立つ、伊織の後ろ姿を何となく眺める。少し離れたこの位置から見ても、複数の作業を同時にこなすその手際の良さには驚くばかりだ。
 視線が無意識に伊織の尻へと動いた。女物のジーンズも余裕で穿けると自慢していただけあって、尻は小さく足も細めだ。
 俺の視線に気付いたのか、料理に集中していた伊織が突然こちらを振り返る。
「水無瀬ってばさっきから僕のこと見てない? お尻あたりにすっごい視線を感じるんだよね」
 やけに良すぎる伊織の勘に俺は気まずくなって、慌てて目を逸らす。一段落ついたらしく、伊織は手を洗った後でにやにやしながら俺に歩み寄ってくる。
「ご飯もまだなのに、もう僕とエッチすることばっかり考えてるの?」
「いや、まずは飯だろ」
「今更強がることないのに」
 伊織はソファに座る俺にそう囁いて、耳を軽く噛んできた。俺はお返しのつもりで伊織の尻を両手で包みこむように触れ、ゆっくりと撫で回す。
 元々そこにあまり肉がついていないせいで、ジーンズの上からだと感触が分かりにくい。それでも伊織は気持ちいいのか腰を揺らしながら、俺の首にしがみついてくる。
 昔は俺にキスされただけで身を固くしていた伊織が、今では自分から誘うような仕草をするようになった。
 わがままで自信家で淫らな伊織を、ずっとこのまま独り占めしていたい。


***


「伊織くんって、どうしてそこまでセンターにこだわるんだっけ?」
 夜公演が終わり、着替え終えた俺がロッカールームを出ると誰かの声が聞こえてきた。廊下の曲がり角からそっと覗いた先……劇場のロビーにある長椅子には、伊織と男が並んで腰かけている。
 男のほうは稲川幸也という70代後半の演出家で、俳優志望の伊織に演技指導を行っている。世界のイナガワと呼ばれるほど、日本だけではなく海外でもその名は広く知られている。そんな大物にアイドル研究生の演技指導を依頼した寺尾の力も相当なもので、色々な方面に太いパイプを持っているようだ。
 伊織は稲川幸也の舞台を観て衝撃を受け、俳優を目指し始めたらしい。
「そんなの当然、ステージで誰よりも目立てるからに決まってますよ。お客さんみんなが僕を見ているのが最高に気持ちいいし、華のある僕にぴったりのポジションだと思いません?」
 昔ほど他の皆を押しのけて目立とうとはしなくなったが、伊織はセンターの位置にかなり強いこだわりがある。今年の夏に出た3枚目のシングルで俺が単独センターに決まった時は、しばらく俺と目すら合わせなくなるくらい腹を立てていた。それまでの曲では、篠原や佐倉とのダブルセンターしか経験していなかったのだから。
「ん〜、何ていうかぼくはアイドルの世界にはあまり詳しくないけど、センターっていうのはそんなに良いものなのかな?」
「えっ?」
 返ってきた言葉が予想外だったのか、伊織は「この人何言ってんの?」と言わんばかりの調子で聞き返す。ここからでは稲川幸也の陰に隠れてよく見えないが、引きつった顔をしているだろう。
「だって君が真ん中で歌ってる間も、まあ例えば水無瀬くんのファンは彼の姿をずっと追っているんでしょ? お客さんみんなが伊織くんを見ているわけじゃない。センターが1番良い位置だとは限らない」
 自分の考えを否定された伊織は怒るどころか、沈黙していた。
 俺達アイドルにとってセンターっていうのはその曲の「顔」であり、極めて重要な役目だ。俺もシングル曲の単独センターを経験して分かったが、CDの売り上げ結果などとにかく様々なプレッシャーが重くのしかかってくる。そして誰もがまたセンターになると思っていた伊織ファンからのネットでの攻撃や、客席からの敵意混じりの視線が本当にきつかった。中途半端な覚悟では立てない位置だ。
 しかし演劇のプロはそれを否定し、俳優志望の伊織は何も言い返せなかった。
 劇場の外に出るには、伊織と稲川幸也の前を通らなくてはいけない……が、今の雰囲気ではとても出ていける状態ではなさそうだ。
 これから家に帰って夕飯を作る予定だった俺は壁にもたれながら、せめて腹の音が鳴らないようにひたすら祈った。




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