伊織のプロデビューが決まってから1週間くらい経った頃、テレビで新しいCMが流れ始めた。電話やインターネットなどの通信系のサービスを展開する大手企業のもので、来年は25周年という記念すべき年になるらしい。
 CMが始まると同時に、劇場公演のセンターで歌う伊織の姿が映し出された。
『長い、長い時間をあなたと一緒に歩んできました。今までも、そして、ずっとこれからも』
 感情のこもったナレーションも、聞き慣れた伊織のものだった。このCMの企業はこれまでも色々な有名歌手やグループとのコラボを行ってきていて、音楽とは縁が深い。そこで今回は伊織の件もあってなのか、俺達研究生とのコラボが決定した。
 更にCMはこれだけでは終わらない。最後の数秒は今年の夏にガールズフェスタでセンターを務めた篠原の映像に切り替わった。
『感動を、次の世代へ。MTT東日本』
 最初の伊織に比べると淡々とした短いフレーズだが、篠原によるナレーションだとはっきり分かる。
 一般の人から見れば普通のCMだが、研究生ファンの間では大きな話題となった。人気のある2人が出ているからではなく、構成やナレーションからして、巣立っていく伊織から篠原への「世代交代」を匂わせる内容になっているからだ。
 伊織のプロデビューへ向けて、俺達だけではなく周囲も少しずつ動き始めていた。


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 最優秀新人賞を受賞した昨年に続いて、年末恒例の音楽特番「輝け!日本ディスク大賞」に俺達の曲がノミネートされた。しかも今回は番組名にもなっている1番大きな賞「日本ディスク大賞」だ。最近ではアイドル界のトップグループであるシトラスが、2年連続で受賞している。
 俺達研究生がノミネートされた曲は、今年の夏に発売された「俺フェスティバル」。嬉しいことにカラオケランキングでは今でも上位をキープしていて、更に学生や小さな子供が俺フェスを踊った動画が、ネットでもたくさん投稿されている。
 俺フェスは『懐かしの80年代ディスコ調』の曲で、振り付けは『年齢問わずに誰もが気軽に踊れる、親しみやすいもの』をコンセプトに作られたらしい。まさにプロデューサー・夏本タダシの狙い通りというわけだ。
 あの曲がここまで皆に親しまれたのはセンターを務めた俺にとっても誇らしいが、喜んでばかりもいられない。大賞には「moonlight」という曲で3年連続受賞を狙うシトラスも当然ノミネートされているからだ。
「moonlight」は日本のアクションゲームを元にしたアメリカ映画の主題歌で、吹き替え版ではアヤがヒロインの声を担当している。日本での公開にあたって、毎日のようにテレビで曲が流れていた。CDの売上も絶好調で、大賞を争うライバルとしてはかなり強力だ。
 無謀だと言われても構わない。去年はシトラスが受け取った大きく豪華な楯を、今年は俺達が手に入れる。


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「……せ、水無瀬!」
 揺れるタクシーの中、隣に座っている伊織の声で俺は我に返った。横を向くと伊織が不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる。
「ねえ、さっきからぼーっとしてるけど僕の話ちゃんと聞いてた!?」
「あ、えっと、何だっけ」
「だーかーらー! 久しぶりに佐倉からメールが来たって話だよ! プロデビューと大賞ノミネートおめでとうございます、だってさ。こんなことでもなきゃメールくれないなんて、佐倉も薄情だよね!」
 道が分かれると、それまでは仲が良くてもどうしても疎遠になってしまうだろう。佐倉のほうは一般人になったのだから、芸能活動を続けている伊織には声をかけにくくなったのかもしれない。あの控えめで大人しい性格の佐倉なら尚更だ。
 俺と伊織も、来年の春以降は今よりもっと顔を合わせる機会が減るだろう。稲川幸也が主宰する劇団は海外でもよく公演を行うらしいので、時差の問題もあって電話で声を聞くことすら難しくなる。
「そんなに言うなら、お前から佐倉にメールしてやれば良かったのに」
「え、いや、それは……だってあいつは普通の高校生になったわけだし、僕が声かけたら邪魔になるかな……って」
 気まずそうな顔になってそう呟く伊織に、俺は驚いた。まさかあの傲慢な伊織が、自分が誰かの邪魔になると思うなんて信じられないことだ。
「話は変わるけど……俳優志望の僕にとって最初は、アイドル活動なんて知名度を上げるための踏み台でしかなかった。そこから有名になれば、全く無名の状態よりは俳優の仕事が貰いやすくなるって考えてさ。でも、そのアイドル活動をやっていたおかげで、僕は水無瀬に出会えた」
 窓の外から俺のほうへと、伊織はゆっくりと視線を移した。よく見なくても相変わらず女みたいな顔をしているが、俺は目が合った途端にどきっとした。出会った頃は15歳だった伊織も、来年で18歳になる。年齢制限で仕事が限られることもなくなり、俳優としてスタートを切るなら良い頃合いだと思う。
「もし水無瀬と出会えなかったら、僕は今頃どうなっていたか分からないよ。プロデビューどころか、僕は自分の身勝手さに気付けないで、他のみんなとも打ち解けられないままだったかも。水無瀬が僕を変えてくれたんだから」
「そんな、俺は何もしてねえよ。お前が自分の力で変わっていったんだ」
 目を細めて微笑む伊織が、俺の肩にもたれかかってきた。まずい、おかしな雰囲気になってきた。そんな時、タクシーの運転席から咳払いが聞こえてきた。
「お客さん方、もうとっくに着いてますよ?」
 俺達の様子がミラーに映っているのか、運転手は呆れたように声をかけてくる。
 慌てて財布から金を取り出す俺に、伊織は小さく笑い声を上げた。


***


 そしてついに、年末の日本ディスク大賞当日を迎えた。今年の最優秀新人賞は、チョコレートのCMソングで話題になった女性歌手に贈られ、楯を受け取った後で涙を浮かべながらデビュー曲を歌った。
 その後で作詞賞や作曲賞などが発表され、最後に日本ディスク大賞が選ばれる時が来た。ノミネートされているのは俺達研究生の他にベテラン演歌歌手や4人組のロックバンド、そして2年連続で大賞に選ばれているシトラス。それぞれ決められている順番に歌い、CMの後で審査結果が発表される。
 本来は9人の選抜で歌っている俺フェスを、今日は17人の研究生全員で披露した。普段は俺フェスに参加していないカップリング曲のメンバーも含めて振り付けを合わせるのは大変だったが、アイドルとして最後のディスク大賞出演となる伊織に良い思い出を残してやりたくて、今日も時間ぎりぎりまで皆で練習を重ねた。
 シトラスは今日も圧倒的な歌唱力とパフォーマンスで、会場を盛り上げた。歩くだけでバランスを崩しそうな高いヒールの靴を履いて踊っても、誰1人ふらついたりはしない。センターのアヤは、もはや元が男だという事実を忘れそうなほどスタイルにも仕草にも女としての磨きがかかっていた。ソロでの活動も充実していて、アイドルの枠を超えた活躍をしている。
 ちょうど1年前、最優秀新人賞の俺達にアヤはステージの上から『来年は私達からこの楯を奪うつもりで来てください』、『ここで戦えるのを楽しみにしています』と、大賞の豪華な楯を掲げながら言ったのを思い出した。そして今日、勝負の時が来たのだ。
「それではお待たせしました、今年の日本ディスク大賞の発表です! その年で最も話題性や楽曲・歌唱の質に優れた、そして社会にも大きな影響を与えた曲に贈られます」
 他の歌手やグループと共にステージに立っている俺達は息を飲んだ。大手の事務所に所属しているとはいえ、あくまで「研究生」である俺達が大賞候補に名前が挙がった時、ネットを中心に批判の声も上がっていた。
『知名度の高いメンバーがいても、他の候補者達に比べると明らかに格下の存在』、『もし大賞に選ばれたら、確実に寺尾プロダクションが大金を積んで買収した結果にすぎない』、『所詮、金で腐った音楽業界が仕掛ける出来レース』など、散々な言われようだった。
 芸能界は華やかに見えても、実はシビアで恐ろしい世界だ。どこの誰が牙を隠し持っているか、それをいつこちらに向けてくるか分からない。それでも俺達は、しっかりとここに立っている。
「第59回、日本ディスク大賞は……寺尾プロダクション研究生の皆さんで、『俺フェスティバル』です!」
 司会の男性アナウンサーからそう告げられた瞬間、客席からの拍手やどよめきに包まれながら、俺は信じられない気持ちでいっぱいになった。テレビではめったに泣かない伊織も涙ぐんでいる。
 俺は研究生代表としてステージの上でプロデューサーの夏本から大きな花束を、そして審査委員長から大賞の楯を受け取った。去年よりも大きく、豪華で重い楯を。
 マイクを向けられた俺は、完璧に組み立てていたはずのコメントを口に出そうとしたが、いざこの時になると頭が真っ白になってしまった。
「昨年の最優秀新人賞に続いて、今度は大賞をいただいて……夢のようです。びっくりしすぎて、何から言葉にしていいのか分かりません、本当にありがとうございました」
 受賞後、俺達は生演奏をバックに再びステージで俺フェスを歌う。研究生それぞれが自分のポジションにつくと、耳に馴染んだイントロが流れ始めた。
「昨年は最優秀新人賞を受賞した寺尾プロダクション研究生の皆さん、今年は小さなお子さんから社会人まで幅広い年齢層からの熱い支持を受け、みんなが踊って盛り上がれる俺フェスティバルで見事、大賞に選ばれました!」
 俺が担当する歌い出しの部分は、声が震えてしまった。あふれる涙を拭う余裕もないまま、俺はセンターで全力で踊った。


 ディスク大賞の前日、俺達は社長の寺尾からの連絡を受けて急遽事務所に集められた。そして翌日のステージに上がるか上がらないかの選択を迫られたのだ。


 事務所宛てに送られてきた、俺達研究生への脅迫状と共に。




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