今日は久し振りに行われる、水無瀬の大好物「男性限定公演」だ。
 この日の公演に入れるのは男性客限定で、客席が全て男で埋め尽くされる。前回に続いて僕は別の仕事があって出られなかったんだけど、今回の観客は前よりも大幅に増えて214人も集まった。いつもみたいに満員にはならなかったとはいえ、男性客だけでこの人数は正直凄いと思う。僕の代わりのセンターは水無瀬が務め、男ばかりの客席を前にものすごく張り切って踊っていた。その様子を、僕はライブ配信を通じて観ていた。
 最近はアヤの件があったから、一時期は落ち込んでいてどうなるかと思っていたけど何とか立ち直れたみたいだ。アヤの告別式には海外からも大勢のファンが訪れ、テレビでもその様子が生中継されていた。水無瀬にとってのアヤはアイドルとしての目標みたいな感じだったから、失ったものはあまりにも大きかった。
 水無瀬は男性限定公演を「色々な層の人達に受け入れてもらうための勉強」って言ってたけど、単に大勢の男の前で踊りたいだけだよね……もっともらしく理由をつけてもバレバレだよ。
 僕の代わりに最後まで立派にセンターを務めた水無瀬、そして僕がいなくても盛り上がっている公演。僕が出ない公演なんて別に珍しくないのに、春からはそれが当たり前になるんだって思うと急に寂しい気持ちになった。


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 プロデビュー後に、とうとう僕の初主演映画が公開されることが決まった。
 幼い頃に病気で失明した三味線奏者と、その弟子の倒錯的な愛を描いた小説が原作の映画。僕は中学生の頃にそれを読んだことがあるから、当然内容は知っている。この小説は昭和初期から何度も映画や舞台になっているけど、原作では女性である三味線奏者を男の僕が演じるのはこれが初めての試みらしい。僕は盲目の役を演じるための稽古と共に、三味線の練習もすることになる。
 そして生涯、三味線奏者と共に生きる弟子の役は間宮潤だ。約1年振りの共演だけど、昔よりは打ち解けているからきっと大丈夫。お互いに大変な役だから、僕も間宮に負けないように頑張らないとね。


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 別の日に行われた公演で、2月末に発売される研究生の新曲リリースが発表された。いつも通り僕達はステージの端に集まり、反対側に立っている寺尾さんに呼ばれた順番に並んでいく。今回は研究生全員がタイトル曲を歌うので、歌番組でもそれなりの大所帯になる。
 4列目の6人、3列目と2列目の5人が呼ばれてそれぞれの位置に立つ。2列目で水無瀬と篠原が呼ばれた後、客席のあちこちから僕の名前を呼ぶ「伊織コール」が上がり始めた。他の研究生16人はもう自分のポジションに立っていて、端に残っているのは僕1人。そして残っている立ち位置も1列目、つまりセンター。そこじゃなければ僕はどこへ? って感じだよ。
「……1列目センター、伊織。立ち位置の発表は以上になります」
 その瞬間、伊織コールは大きな歓声と拍手に変わった。僕はそれらに包まれながら歩き出し、センターの位置に立つ。客席だけじゃなくて、もう並んでいる研究生仲間からも拍手を贈られた。
 これが研究生シングル曲で僕が務める、最初で最後の単独センターだ。ここから見る景色に僕は思わず目頭が熱くなる。ずっとこの時を待ち続けていた。プロデビュー間近でようやく夢が叶ったんだ。
 客席には涙ぐみながら拍手をして、僕本人に負けないくらい感激してくれている人もいる。
 歌詞や曲調はまだ分からないけど、とりあえず今日は立ち位置と一緒に「春、サプライズ」というタイトルだけが発表された。


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 数日後、僕がセンターに決まった新曲の振り付けなどのレッスンが始まった。
 発売した時期は同じだけど、別れや旅立ちをテーマにした去年の「桜色」とは違って、「春、サプライズ」はこれから始まる新生活への期待感を歌った明るい雰囲気で、曲調も歌詞も王道アイドル系。まさに僕が得意なジャンルの曲だ。公演曲でこういうのは結構あったけど、シングル曲では初めてかもしれない。
 今日はこの後の仕事が偶然入っていなかったので、研究生全員でのレッスンが終わった後も僕は1人で残って鏡の前で踊る。やっぱりダンスはすごく楽しいし好きだ。ロックもヒップホップもその他色々、社交ダンス以外なら代表的なものは大体踊れる。
 曲をかけながら踊っていると後ろの扉が開いた。誰かと思ったらまだレッスン着のジャージ姿のままの篠原だった。びっくりしたけど、途中でやめたくなかったから曲の最後まで踊る。篠原はそんな僕の姿を何も言わずにずっと見ていた。
「篠原……まだ帰ってなかったのかよ」
「実は今回の振り付け、自信がないので練習していこうかと思いまして」
「あっそう、好きにしろよ」
 僕はそう言ってまた鏡に向かおうとしたけど、篠原は更にとんでもないことを言い出した。
「もし都合が良ければ、伊織先輩に教えてもらえると有り難いです」
「……えっ!?」
「先輩はこういう曲のダンス、得意ですよね」
 別にみんなに得意だって言ったわけじゃないけど、篠原は分かっていた。そういえばこいつが加入したばかりの頃、2人1組で行うレッスンで篠原がペアになった水無瀬を悪く言ってむかついたから、僕が強引に篠原と組んで散々しごきまくったんだっけ。さすがに最後のほうは僕も疲れていたけど、篠原は途中でリタイアすることなくしっかり僕についてきた。あの時から僕と篠原の因縁みたいなものが始まった気がする。
「俺があまり良く思われていないのは分かってるんですけど、伊織先輩に教えてもらえる機会ってもうあまり無いので」
 ずっと僕に怯えていた佐倉も、水無瀬とのセンター争奪戦の後で僕にダンスを教えてほしいって言っていた。後輩に頼られたことなんかなかったから、すごく嬉しかった。
 佐倉の顔を思い浮かべていると気が緩んできて、僕は何となく咳払いをした。
「わ、分かったよ……そこまで言うなら教えてやってもいいよ。僕の最後のシングル曲で、中途半端なまま踊られると困るし?」
「ありがとうございます」
 センター争奪戦といえば、他の研究生達が僕の番でボイコットした時も何故か篠原だけは来てくれたんだよなあ……。
 ふいにあの時のことを思い出しながら、僕は篠原と一緒に鏡の前で踊った。


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 いよいよ僕が出演する最後の公演の日が来た。今までの藍川さんや佐倉は活動辞退だったから「卒業公演」だったけど、僕の場合は研究生からプロになるってことで「壮行会」という形で行われる。この公演には観覧希望の申し込みが殺到して、全国から何十万人という過去最高の応募数があったらしい。
 この日の開演前の円陣は、キャプテンの水無瀬からの指名で僕が担当した。楽屋で17人全員が輪になって、中心に向かって手を重ね合わせる。
「せーの……僕達は孤独じゃない! 研究生、心をひとつに全力で!」
「行くぞーっ!!」
 藍川さんの代からずっと受け継がれている掛け声。皆が僕に続いて声を上げてくれた瞬間、まだ公演が始まってもいないのに胸が詰まった。
 満員の客席を前に、いつもの研究生全員の自己紹介とセットリストを披露する。その後で今までのシングル曲のメドレーが始まった。1曲目の「Miracle」は僕と篠原がセンターで普通に歌ったけど、2曲目の「桜色」で佐倉の代わりを務めたのは水無瀬だった。曲が始まる直前に水無瀬が突然横に来たから、お客さんの前なのに僕は本気で動揺した。
 本当は西野がやる予定だったのに、まさかここで水無瀬と僕のダブルセンターが実現するとは思わなかった。
 3曲目の「俺フェスティバル」は、今日だけ「僕フェスティバル」というタイトルになって、水無瀬と僕の立ち位置が入れ替わって僕がセンターに立った。
「いつもエースで 目立ってる
 そんな僕が当然主役
 今夜も輝く 僕フェスティバル」
 歌詞も大幅に変更されて、今夜だけ特別仕様になっている。僕の気持ちを見透かしたようなちょっとアレな歌詞だけど、これを書いたのはプロデューサーの夏本さんだからね。誤解されないように一応ここで言っておくよ……。
 3曲目が終わった後、皆が客席に向かって横1列に並んだ。中心にいる水無瀬がマイクを持って話し始める。
「シングル曲メドレー、3曲続けて聴いていただきました。今日は伊織が出演する最後の公演ということでいつもとは違うアレンジを加えてみましたが、いかがだったでしょうか?」
 水無瀬の問いかけに応え、客席から歓声が上がった。お客さん達は喜んでくれたみたいだけど、僕はこの場で言いたいことがあるよ。
「いやいや、ちょっと待ってよ! 桜色で僕が一緒に歌うのって、リハまでは水無瀬じゃなかったよね? 僕あの時すごいびっくりしたんだけど!」
 僕がそう言うと、突然前に出てきたのは西野だった。そう、僕は西野と歌うつもりで……。
「実はぼくが皆に提案したんです。橘さんのために何か特別なことがしたいって。それで、桜色を歌う時に水無瀬さんと橘さんを突然ダブルセンターにしようって話になりました」
「まあ、新曲にもサプライズって言葉が入ってるからちょうどいいよな。水無瀬と伊織のダブルセンターって今までなかったし。あ、寺尾さんには許可取ってあるから心配すんなよ」
 西野をフォローするように小林はそう言って笑ったけど、ぶっつけ本番であんなことするなんて……って思って呆れてしまった。でも実際のところ、事前に合わせなくても僕と水無瀬の息はぴったりで、タイミングがずれることはなかった。これが相性ってやつなのかな。
「それではここで、伊織から皆さんに研究生として最後のメッセージを」
 水無瀬に言われて、前に進み出た僕は深呼吸してから改めて客席と向き合った。
「……僕は13歳の時から4年間、今日まで研究生として活動してきました。昔から僕はすごく目立ちたがりで、ステージでもお客さんに自分を見てほしくて、アピールしたくて、何度も前に出すぎてはそのたびに注意されてきました。研究生の皆にもたくさん、迷惑をかけてきました」
 こんなこと言ってお客さん達は引くかなって心配だったけど、何も言わずに聞いてくれているから更に続けた。
「でも4年の間に色々な出会いや別れがあって、それらを経験していくうちに僕は自分の愚かさにようやく気付くことができました。ここで過ごした4年間は僕にとってすごく貴重で、これからもずっと宝物です。応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました」
 頭を深く下げた僕に、客席から大きな拍手が贈られた。ああ、もう今度こそ泣いちゃいそうだよ。
「それでは僕が劇場で歌う最後の曲、聴いてください。先月発売の新曲『春、サプライズ』」
 この曲の初日順位は1位で、売り上げは初日だけで25万枚を達成した。今までの僕達研究生のシングルの中では最高記録だ。センターに立ち、皆と一緒に歌って踊りながら僕は心の底から思った。
 研究生同士の嫉妬や争い、裏では色々あったけれど……アイドルって、本当に楽しい。



 橘 伊織(たちばな いおり) 17歳
 20××年3月31日、研究生としての活動を終了
 本格的に俳優の道を歩き始める




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