いつも俺が行く床屋(伊織に行きつけのヘアサロンを紹介されたが、髪を切るだけで8000円はきついので断った)に置いてあった週刊誌の「衝撃! ”アレ”を覗き続けるトップアイドル」という見出しが気になって、ページをめくってみた。
 そこに載っていたのは生前に撮られたアヤの写真で、公園の隅でしゃがんでいるだけの別に何でもないようなものだった。しかしどうやらアヤは何十分もしゃがみ続け、土に掘られた蟻の巣穴を眺めていたらしい。
 アヤのスキャンダルを求めてずっと張り込んでいた記者が近付いて声をかけると、アヤは立ち上がり『そろそろこの穴に吸い込まれてしまいそうなので、失礼します』と謎の発言をした後で、記者に一礼してから去って行ったという。
 写真をよく見ると、アヤを遠巻きに眺めながらも近寄る気配のないカップルや学生達も映っていた。いくら人気のある芸能人でも、こんな奇妙な行動を取っていれば誰も近寄ってこないだろう。
 文章を読んでいるだけで光景が浮かんできて、俺は少し笑ってしまった。最期までスキャンダルのなかったアヤは、こんな小さな出来事でも記事として成立させてしまう。
 少し変わった性格の持ち主だが、プロ意識が高く本当に良いアイドルだった。


***


 伊織が抜けた後、初めての劇場公演が行われた。新しいセットリストに切り替わるまで、伊織が務めていたセンターの位置には西野が立つことになった。直前までかなりのプレッシャーを感じていたようだったが、いざステージに立つと堂々としたパフォーマンスを見せて観客を盛り上げた。
 やがてアンコールの3曲を終えて最後の挨拶をしようとした時、背後で物音がして大きなスクリーンが下りてきた。観客や俺達研究生がざわつきながらそちらに注目していると、スクリーンの真ん中に『特報!』の文字が映し出された。
 そして次に、『20××年5月、新公演スタート!』と続いた。ざわめきが更に大きくなる。
 約1ヶ月後にセットリストが新しくなり、センターも変わる。もし今も伊織がいれば次のセンターも務める可能性は高いが、今度は誰になるか分からない。公演のセンターに選ばれるということは、エースとして推していくと運営から宣言されたも同然。まさに俺達研究生の「象徴」になるのだ。
 今までもそうだったが、現在のセットリストには3曲目に歌う曲と同じ「まだ恋は始まらない」というタイトルが付いている。
 俺達が見守る中、スクリーンには在籍している研究生16人の写真がシャッフルされるように次々と映し出された。そして一瞬画面が光り輝いた後、改めて1人の研究生の写真が映った。
『新公演「俺達の夜明け」センターは……水無瀬 徹(みなせ とおる)!』
 俺の写真と共にその文章が現れた途端、何が起こったのか分からずに混乱してしまった。ステージの研究生仲間や観客席から、大きな拍手と歓声が上がった。
 俺が、新公演のセンター……!?
「水無瀬先輩、今の気持ちをどうぞ」
 棒立ちになっている俺の横に篠原が現れ、そう促された。いつまでもこのままではいられないので、慌てて観客席に向き直る。
「えっと、あの、とにかくものすごくびっくりしています。ですが、自分に自信を持って一生懸命頑張りますので、来月からの新公演もぜひ観に来てください! お願いします!」
 再び拍手が起こる中で、俺は観客席へと頭を下げた。「頑張れ!」という声が拍手に混じって聞こえてきて、胸が熱くなった。


***


 ロッカールームで着替えた後、ドアを開けると俺を待っていたらしい篠原が正面の壁にもたれて立っていた。公演の観客が帰った後の、静かなロビーの長椅子に2人で並んで腰かける。するとすでに用意してあったのか、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出してきた。それを受け取った俺が礼を言う間にも篠原は、後から取り出した自分のペットボトルを開けて口を付けていた。
「やっぱり今までの功績が認められたんじゃないですか」
「そう考えても……いいんだよな」
「自分に自信を持って頑張るんですよね?」
 確かにステージの上で、俺はそう言った。近いうちに新公演に向けたレッスンも始まる。今度はセンターとして、自分が参加する曲を1から覚えていかなくてはならない。いつまでもぼんやりしてはいられない。
「ずっと前ですが俺、目標があるって先輩に言いましたよね」
 そういえば去年の今頃、篠原にそんなことを言われていた。具体的に何なのかまでは教えてもらえなかったが。
「伊織先輩が抜けた後、次のエースになることですよ」
「ええっ!?」
「……そんなに意外でしたか」
「いや、あの……何ていうか、篠原は積極的に前に出ていかないタイプだって、思い込んでたんだ」
「昔は、自分らしくいられれば立ち位置はどこでも構わないって思っていました。そもそも俺が研究生になったのは、藍川さんが自分の卒業公演の時間を潰してまでフォローした、水無瀬先輩がどれほどの人間なのかを確かめるためでした。だからセンターだのエースだのには全く興味がなかったし、伊織先輩がそこに異様にこだわる気持ちも理解できなかった」
 今日の篠原はいつもより口数が多い。普段は長話をしないので珍しかった。
「でも、いつの間にか欲が出てきてしまった。CD発売が決まるたびに観客の前でのポジション発表、去年のセンター争奪戦、先輩方の卒業公演……研究生ならではのイベントに関わっているうちに、傍観者ではいられなくなったというか。トップメンバーの伊織先輩と比較されることも多かったし、俺に期待してくれる人がいるならそれに応えたいと思いました」
 俺は以前、次のエースには篠原こそふさわしいと考えていた。しかし生前のアヤに厳しい指摘を受けてから、キャプテンとして誰かを支えることばかり考えていた自分に気付いた。アイドルの頂点に立つことが夢だったはずなのに……。
「忘れないでください、今日決まったセンターは永遠のものではないことを。油断していると誰かに奪われますよ」
 篠原は長椅子から立ち上がると、俺を置いて劇場を出て行った。
 支えようとしていた後輩が、俺が指名されたセンターの座を狙っている。いや、不動のエースとも呼ばれていた伊織が抜けたことで、他の研究生達も本格的に「動き始めている」かもしれない。
 研究生は決して、ただ支え合って頑張るだけの仲良し集団ではない。プロデビューを目指して競い合うライバルでもあるのだから。


***


 1ヶ月後、俺がセンターを務める新公演「俺達の夜明け」の初日を迎えた。もうすぐ開演時間を迎える今、出演する研究生全員が楽屋に集まり俺を中心に円陣を組んでいる。
 その様子を端で見ているのは、私服姿の伊織だ。スケジュールの都合であと少ししか居られないが、初日のステージに向かう俺達をどうしても見届けたいと言って、ここを訪れたのだ。
「俺達は孤独じゃない! 研究生、心をひとつに全力で……」
「行くぞーっ!!」
 気合を入れて、俺達16人はステージへと移動した。皆が駆け足で楽屋を出ていく中で後ろを振り返ると、伊織が俺だけではなく全員の背中を見届けながら微笑んでいる。その目には涙が浮かんでいた。
 伊織が今日ここに来たのは、研究生として4年間を過ごしてきた劇場と、自分の中で改めて区切りをつけるためでもあると思った。もう自分が着ることのない衣装、参加しない円陣、知らないセットリスト。それらを目の当たりにすることで。


 ……そしてこの日以降、伊織が劇場を訪れることはなかった。




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