仕事帰りに北原と待ち合わせ、近所のスーパーで食料を買った。これから2人で、俺の部屋で夕食を作ることになっているのだ。
 初めて身体も結ばれて以来、俺と北原の関係は更に深いものになった。俺は相変わらず残業続きで忙しいが、こうして奇跡的に俺の仕事が早く終わった時は、北原と束の間の甘い時間を過ごす。
 買った肉や野菜、酒を詰め込んだエコバッグをそれぞれ持って、夜道を歩く。
「俺、明日は仕事休みだからゆっくり過ごせるよ」
「ビールまで買いましたもんね……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「朝までいてもいいよ」
「えっ、それってつまり……」
 色々想像したのか、北原はちょうど通りかかった街灯の下で俺を見つめる。まるで何かを期待しているかのような、熱い眼差しだった。もちろん夕食を済ませた後は、北原と淫らな時間になだれ込むつもりだ。
 決して誰にも打ち明けられない、秘密の関係。どこにでもいる平凡な会社員だったはずの俺は、15歳も年下の大学生との恋愛にすっかり夢中になっていた。年上としてリードしなければ、という決意も北原と交わすキスや触れた肌の熱を感じた途端に吹き飛んでしまう。回数を重ねるごとに上手くなるフェラもたまらなくて、俺が出した精液をしっかり舐め取ってくれる北原を見ると俺の性器は再び固くなる。
 これから一緒に作る夕飯よりも早く北原を味わいたいという衝動をどうにか堪えながら、アパートに向かった。


***


 料理やビールを楽しみながら、何となくテレビの電源を入れると芸能ニュースが流れていた。普段、俺はあまりテレビを観ない。正確には観る暇がないと言ったほうがいい。元からドラマやバラエティ番組には興味がなく、今人気の芸能人すら把握していないので、若い北原の話についていけるかどうかも不安だった。
 新作映画の情報が終わった後、『東京ガールズフェスタ』という若者向けのファッションショーの様子が流れた。華やかな衣装を着た女性モデルやタレントに続いて、1人の青年がランウェイを歩く。
 長身で、どこか人を寄せ付けないクールな雰囲気を漂わせている。かなり人気があるのか、会場にいる女性客の歓声が一際大きくなった。
 それを眺めていた俺は、彼の顔がアップで映し出された途端に持っていた箸をテーブルに落としてしまった。人気モデルらしいその青年が、あまりにも北原にそっくりだったのだ。一瞬、本人ではないかと思ったほどに。
 テーブルの向こうにいる北原もテレビ画面を見ているが、そんな俺とは逆に冷静だった。
「い、いや、あの……びっくりしたよ。さっき出てきたモデルが北原くんに見えちゃってさあ」
 我に返って冗談っぽく言う俺に対して、こちらに向き直った北原の口から信じられない言葉が飛び出した。
「弟っす」
「えっ?」
「今のモデル、1つ下の俺の弟なんすよ。色々あって苗字は違いますけど」
 弟がいる、とは聞いていたが、モデルだとは知らなかった。そこまでは北原から聞いていなかったのだ。
『アイドル研究生時代から更に魅力を増して、モデルとして大活躍の篠原遥也(しのはらはるや)さんも参加した東京ガールズフェスタ、今年も大盛況で……』
 テレビから流れるナレーションと共に再び画面に映った先ほどのモデルは、やはり恐ろしいほど北原と似ていた。


***


 数日後、通勤途中の電車内でスマホでネットサーフをしていると、偶然たどり着いた芸能まとめニュースというブログに『女性ファン騒然! あの人気モデルに熱愛発覚?』と書かれた記事があった。
 芸能人に興味のない俺はいつもならスルーしているが、何故か胸騒ぎがしてその記事のタイトルをタップした直後、出てきた写真を見た俺は身体中の血の気が一気に引いていった。
 大きな話題となりツイッターで拡散されているらしいその写真に写っているのは、俺と北原だった。エコバッグを持って夜道を歩いているところなので、先日俺の部屋に北原が泊まった夜に撮られたようだ。
 写真は横からのアングルで、俺の横顔はモザイクで加工されているが、街灯に照らされている北原の顔はしっかりと確認できる。しかも俺との距離がかなり近い意味深なタイミングで撮られていた。
 ……しかしこの記事は全くのでたらめだ。北原はバーでバイトをしている普通の大学生で、モデルではない。俺の勝手な想像だが、北原はモデルをしているらしい弟と間違われたのだと思う。
 記事からリンクされていた『モデルの篠原遥也にゲイ疑惑、噂のお相手はサラリーマンらしき一般男性』というツイートに対して、『研究生時代の先輩にもゲイがいたから影響を受けたのか』、『あのお堅い篠原が男相手にメスの顔』、『こいつらすでにヤッちゃってますね』などと下世話で好き放題のリプライがすでに多数つけられている。
 顔が隠されている俺はともかく、北原は学校で何か言われているかもしれない。心配になり昼休みにメールしてみると、『俺は大丈夫です 心配しないで』の一言だけが返ってきた。
 早く帰って北原に会いたい。そう思いながら仕事を終えて帰るとアパートの近くに誰かが立っているのが見えた。小柄な女の子で、周囲を見回しながら誰かを待っている感じだ。女の子は俺の存在に気付くと、突然こちらに駆け寄ってきた。遠くからは分からなかったが、顔に浮かんでいるのは明らかな怒りだった。
「私、北原くんと同じ大学の成田っていいます」
「えっ、はあ……」
「今日、学校で北原くん大変だったんです! モデルの篠原遥也に間違われてネットに写真載せられて……でも、問題はそこじゃない! あの画像で北原くんと写ってるのってあなたですよね!? あなたのせいで北原くんは……」
 俺を非難しながらも目に涙を浮かべている成田さんの後ろから現れたのは、俺が会いたくてたまらなかった人物だった。
「もうやめろよ、成田」
「だってこの人のせいで北原くん、あんなこと言われて」
「いいんだ、俺のほうから好きになって付き合ってるんだから。松岡さんを責めないでくれ。今日は色々ありがとな」
 追ってきたらしい北原が落ち着いた声でそう言うと、成田さんは涙を指で拭った後で走り去っていった。
「……昼のメール読んだけど、やっぱり大丈夫じゃないみたいだね」
「すみません、松岡さんには心配かけたくなかったんすけど」
 北原は疲れた顔をしていた。成田さんの言う通り、今日1日で大変な目に遭ったようだった。


***


 篠原遥也の事務所が動いたらしく、例のツイートはアカウントごと削除されていた。しかも写真を撮られた日、篠原遥也は海外で仕事をしていたという証拠も揃っていて、俺と写っていたのは全くの別人だと正式に証明された。しかし1度ネットに流れた画像を完全に消し去ることは不可能だ。北原が今日、学校でゲイ呼ばわりされた事実と同じように。
 成田さんとは北原の高校時代からの付き合いで、学校で色々言われた時にもそばにいてくれた友人達の中の1人らしい。
 俺を招いた自分の部屋で北原は、崩れ落ちるように絨毯の上に座り込んだ。そしてまだ立ったままの俺を見上げる。
「俺は学校で何て言われても、松岡さんとこういう関係になったことは後悔してません」
「そういえば今日って、バイトがある日じゃなかった?」
「さっき店から連絡がきて……落ち着くまでしばらく休んでくれって」
 学校だけではなく、バイト先でも騒ぎになっているらしい。もし俺があの日、北原を夕飯に誘っていなければ……と、今更どうにもならない考えでいっぱいになる。
 そもそも俺が年甲斐もなく、まだ学生の北原との恋愛に浮かれていたのも原因だったんじゃないか。今回の件が北原の就職活動とか、そういう将来にも影響してしまったら。
 北原と距離を置いたほうがいいかもしれない。そんな俺の考えを見透かしたようなタイミングで、北原が俺の手に触れる。何度も貪った肌の感触を思い出して、こんな時なのにいかがわしい気分になってしまいそうだ。
「……もし、俺のことをまだ好きでいてくれるんだったら、俺を見捨てないでください。もう少しだけそばにいてほしいっす」
 ネットで顔を晒されて散々な目に遭ったはずなのに、北原はまだ俺から離れようとはしない。俺は誘われるままに北原と身体を寄せ合い、無言のまま唇を重ねた。




後編→

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