愛しい面影/後編





『もしあの時あんたが、おれを買ってくれなかったら』

頭からシャワーを浴びながら、露伴は先ほど仗助から囁かれた言葉を思い出す。
絨毯に顔を伏せ、下半身だけを脱がされた中途半端な格好の露伴の腰を掴み、仗助は激しく腰を打ちつけてきた。 突然の展開に最初は抵抗していたが、いつの間にか仗助が動くたびに喘ぎ声が出て、最後に奥で受け止めた精液の温かさに身震いした。 背後から聞こえてくる仗助の荒い息遣いに、想像したのは動物の交尾だった。
約1ヶ月の間、弟のように育ててきた仗助とセックスをしてしまった。朝に目を覚ますと隣で眠っていた仗助が、急に大人に近い外見になっていた。顔つきも男らしく整い、あの犬の 耳や尻尾がなければ同一人物だとは信じられなかっただろう。勃起した性器を押しつけてきた時の衝撃が大きすぎた。昨日までは無邪気で純粋な子供だったのに。
まだ仗助の感覚が残っている窄まりに指を入れて、中の精液を少しずつ外に出していく。
そんな自分の姿が正面の鏡に映り、慌てて目線を落とした。

『おれは、いつか処分されていた』

声を上げて泣いている子供だった頃の仗助が頭に浮かび、胸が苦しくなった。


***


カメユーマーケットでの買い物中、隣を歩いていた仗助が指を絡めてきた。周囲からの好奇の視線に晒されるのは不愉快なので振り払おうとしたが、そんな露伴の心境に 気付いたのか更に力を込められて上手くいかない。

「おい、やめろ」
「平気だって、こんくらい……ってえ!」

調子に乗っている仗助の足を踵で踏むと指が離れ、その隙に露伴は先を歩いていく。買い物かごに洗剤と歯ブラシ、そして仗助が使っている整髪料を入れてレジへ向かった。 犬の耳や尻尾は、外出時には髪や上着で隠している。
仗助が成長してから、これまでとは生活が一変した。 食べる量も子供の頃の倍以上に増え、味付けにも口を出してくるようになった。露伴の仕事中、たまに勝手に外に出ては食事時には帰ってくる。
一緒に寝るにはベッドが狭いため1階のソファで寝かせていたが、ひとりでは寂しいと言いながら露伴のベッドに入ってきては犬らしく発情して、結局はセックスになだれこむ。 最近は様々な体位で攻めてくる仗助に流されながらも、気が付くとそんな生活が当たり前になっていた。
買い物を済ませて帰宅すると、露伴は仕事部屋にこもって原稿の続きに取りかかった。背後では本棚から出してきた本をめくっている仗助もいるが、仕事中は大人しくしている ので、邪魔をしてこない限りは好きなようにさせていた。
ペンを動かしている最中、仗助が前に話していた内容がよみがえる。処分、という残酷な響き。露伴が買ったことにより、仗助はそれを免れて今ここにいる。
仗助にはまだ謎が多い。ペットショップに送られた経緯と、それまではどのように暮らしてきたのか。自分の過去について、仗助は今でも多くを語ろうとしない。
露伴はペンを置き、背後の仗助のほうに椅子の向きを変えた。

「なあ、仗助。お前はぼくをどう思っている?」

読んでいた本から顔を上げた仗助は、露伴からの問いに頬を赤くしている。

「それはその、なんつーか……特別な、存在?」
「ああ、そうだよな。お前にとって、ぼくは命の恩人みたいなものだ。もしかしてそれを恋愛と勘違いしてるんじゃないのか」
「……どういう意味だよ」
「あの檻の中から助けてくれるなら、誰でも良かったんだろう?」

凍りついた表情の仗助を、座っている椅子から見下ろす。仗助とは決して長い付き合いではないが、露伴が口に出したような考えの持ち主ではないと分かっている。 それでも露伴の心はどろどろとした暗い感情が渦巻いていた。何度身体を繋いでも、仗助が向けてくる愛情を素直に受け止められない。

「確かにおれは、露伴に感謝してるよ。買ってくれた時からずっと……でも今はそれだけじゃねえ。一緒に暮らしてるうちに、あんたのことが本気で好きになった」
「犬のくせに……生意気言いやがって」
「じゃあどう言えば信じるんだよ! おれが人間だったら、ちゃんと受け入れて愛してくれんのかよ!」

身を乗り出してきた仗助が、鋭い剣幕で叫ぶ。露伴は口を閉ざしたままでいると、仗助は部屋を飛び出して行った。最後に見せた、涙を浮かべた目が忘れられない。
机に向き直って原稿に手を付けようとしたが、心が乱れていて思うように進まず苛立った。


***


外に出て家の近くを探してみたが、どこに行ったのか全く見当がつかない。成長した仗助が好きなもの、好きな場所、それらを把握していなかったことを後悔した。 仗助が語ろうとしないのなら、こちらが突っ込んでいけば良かったのだ。
やがて通りかかった建物の陰で、地味な色の作業服を着た男達が集まっているのが見えた。彼らに囲まれている、見覚えのある後ろ姿に動揺する。まさに今、 強引にワゴン車に乗せられる直前だった。離れた場所からでも分かる、犬の耳と尻尾。

「仗助!」

露伴が声を上げると、男達がこちらを振り返る。そしてその中心にいる仗助も。

「そいつはぼくの大事な家族だ、触るな!」

自分でも信じられないほどの力で、露伴は男達から仗助を引き離す。この男達の正体も、仗助を連れ去ろうとした理由も、分からないことだらけだがとりあえず今は後回しだ。


***


「あいつらは、飼い主のいない犬を施設に連れていくのが仕事なんだ。いつもは耳も尻尾も隠してたけど、さっきはそんな余裕なかったしな……」

玄関のドアを開けて仗助を中に押し込んだ後、露伴は先ほどの状況について問い詰めた。あの男達の手が届かない場所までたどり着き、ようやく冷静になった。

「お前の飼い主はぼくだ、それを説明すれば済む話だろう?」
「……あんたがまだ怒ってるんじゃねえかって思うと、言えなかった。首輪もつけてねえし」

普通の犬と同じで、本来なら仗助の種族でも誰かに飼われているという証明が必要だ。
分かってはいたが、露伴は最初から仗助に首輪を付ける気にはなれなかった。 外に出る時は耳や尻尾を隠すか、飼い主の露伴がそばにいれば捕まることもない。
家では例え冗談でも、ペットの餌用の皿にドッグフードを入れて与えるような行為は1度もしていない。立場だけなら露伴は飼い主だが、最初から仗助はペットではなく家族だった。
正面に立っている仗助は露伴を抱き締めると、首筋に顔を埋めてきた。

「やっぱ露伴の匂いって、安心する」
「仗助……」
「おれのこと大事な家族って言ってくれて、すげえ嬉しかった」

最後のほうは涙声になっている仗助の言葉に、とうとう感情が抑えられなくなった。

「もうどこにも行くな! ぼくを置いて行ったら許さない!」

あのワゴン車で施設に運ばれてしまっていたら、詳しくは聞いていないが想像するだけで目の前が暗くなる。会えなくなるどころか、仗助の命すらどうなるか分からない。
すでに、仗助への疑いも不安も消えていた。広い背中に両手をまわして温もりを感じながら、露伴は初めて自分の想いを伝えた。




back




2012/1/3