変わらないもの





「あんた、破産して家なくしたって本当かよ」

店員にコーヒーを注文した後、こちらに向き直った仗助が固い口調で問いかけてきた。 就職して初めて貰った給料で買ったという黒いジャケットを着て、肩あたりまで伸びた髪を首の後ろで適当にまとめている。
何も頼む気分にはなれなかった露伴は、店員が置いて行った冷えた水に無言で口をつけた。中の氷が小さく音を立てる。
泊めてもらっている康一の家で原稿を仕上げていた時、突然の来客にしばらく部屋を離れていた康一と共に部屋に入ってきたのは仗助だった。 ふたりが顔を合わせたのは約1週間ぶりで、家をなくしてからは当然電話も使えなくなり連絡が取れなかった。
険しい顔をしていた仗助に腕を強引に掴まれ、連れて来られたのがこのカフェだった。高校時代から、仗助がよく通っているお気に入りの店だ。

「黙ってないで、何とか言えよ露伴」
「……ああ、お前の言うとおりだ。取材のために買った山が、地価の暴落に遭って破産した」
「何で俺に言わなかったんだよ」
「言ったところで、お前にどうにかできるのか」
「そういう問題じゃねえだろ!」

仗助の握りこぶしがテーブルを強く叩いた。周囲の客の視線が一気に集まってきたが、露伴は気にせずに目の前の男の顔を眺めていた。鋭い視線は、昔から変わっていない。
7年前に敵同士として出会って以来、町で顔を合わせる度に罵り合いを繰り返しているうちに、その存在が気になり始めた。向こうも同じ気持ちを抱いていたらしく、やがて仗助からの 告白を受け入れて、あまり他人には言えないような関係になった。そんな付き合いが今でも続いている。まさか7年も、と我ながら驚くほどに。
唇を重ねたのも、抱き合ったのも、そして自宅の寝室に招き入れたのも仗助ひとりだけで、他の男とそういう関係になることは一切なかった。先生すげえ一途、とやたらと 嗅覚の鋭い男にからかわれたこともある。そう言われるほど自分は健気な人間とは思っていないが、他人から見ればそういうことになるのだろうか。

「で、あんたは俺には何も言わなかったくせに、康一には全部話して世話になってたってわけだ」
「康一君は親友だからね」
「じゃあ俺は、あんたの何なんだよ」

もし異性同士なら、ふたりの関係は恋人と言っても間違いはない。しかし男同士で、恋人と表現するには抵抗があった。何となく違和感があったのか、更に違う 理由があるのか、自分でもよく分からなかった。
テーブルの中心にある灰皿を曲げた指先で引き寄せた仗助は、煙草の中身を1本取り出して慣れた仕草で火を点けた。目を伏せた表情の仗助の、煙草を咥える唇や長い指。
どこから見ても不良学生そのものだった仗助は、成人するまでは煙草を吸っていなかった。会った時に煙草の匂いを感じたことはなく、周囲からも仗助がどこかで喫煙 しているという話は聞いたことがなかった。そういう部分は意外に真面目だったのかもしれない。 露伴は喫煙経験がないので、他人の煙草の匂いには敏感だ。もし仗助が吸っていればすぐに分かる。

「確かに俺はまだ新人だし、そんなに金も持ってねえから金銭的に助けてやることはできねえよ。でも大事なことを隠されんのって、すっげえむかつく。まるで俺が」
「お前にだけは言いたくなかったんだよ! これで満足か仗助!」

更に何か言おうとしていた仗助の言葉を途中で遮り、露伴は怒声を上げた。
最初から、穏やかではない予感がしていた。連絡が取れなかったのは仕方のないことだったが、こちらが仗助に直接会いに行って話せば気まずくならずに済んでいた。
しかしそれをしなかったのは、財産を全て失ったことをこの男には知られたくなかったからだ。呆れられるか、ここぞとばかりに馬鹿にしてくるかのどちらかなのは 目に見えている。昔からなるべく弱みを見せないように振る舞ってきた影響で、原稿料の前借りを頼まなければならないほど困窮している自分を 見せたくなかった。まだ経験は浅いが、努力の末に警察官になるという昔からの夢を叶えた仗助が、あまりにも眩しかったのだ。
そんな気持ちは天に通じず、半ば強引に転がり込んだ康一の家に世話になって数日後、望まぬ形で仗助と再会することになってしまった。
少しの間呆然としていた仗助は、再び険しい顔で露伴を睨みつけてきた。

「そこまで言うなら、もう勝手にしろよ」
「……そうさせてもらう」

もう終わりかもしれない。そんな予感を胸に浮かべながら露伴は席から立ち上がり、その場を去った。


***


すでに自分のものではなくなった家の前にたどり着き、それを見上げた。
感傷に浸るのは自分らしくないと思いながらも、この場所には思い出がありすぎた。仗助と初めて顔を合わせ、戦ったのもこの家だった。
本当はこのまま終わりにはしたくなかった。付き合い始めてから7年間、年上の自分が年下の仗助を手懐けていたつもりだったが、実際はその逆だったような気がする。 出会った頃の露伴の年齢を仗助が追い越してからは、昔のように生意気だと感じることも少なくなっていった。逆上した露伴を仗助がなだめることもよくあった。
これからどうするんですか、という康一の言葉が頭によみがえる。周囲からは由花子とは結婚秒読みだと囁かれている今、このまま康一の家にずっと居座るわけにもいかない。
昔は子供だと思っていた面々は、すっかり大人になっていた。自分の中だけはあの頃のまま、時間が止まっているような気分でいた。
とにかく今は原稿を描きながら、住む家を手に入れるしかない。
背後に人の気配を感じて振り向くと、そこにはいつの間にか仗助が立っていた。ここに来るとは伝えていないのに、何故分かったのだろう。

「勝手にしろと言ったのは、どこの誰だ」
「俺、言うこととやることが違うウソつきだからな。昔のあんたに言われたとおり」

そう言うと仗助は露伴の隣に立ち、先ほどまで露伴がしていたように目の前にある家を見上げた。

「さっきの続きだけど、まるで俺が頼りにされてねえみたいで辛かった。康一は彼女居るし、あんたに手を出すような奴じゃねえけど、まあ……嫉妬もあったかもな」
「仗助……」
「それに露伴は、破産して家がなくなったのを俺に馬鹿にされるって思ってたんじゃねえの? あんたが漫画のために極端なことをやらかすのは昔からだし、今更だろ」
「得たものは充分にあった。後悔はしていない」
「だろうな」

露伴らしいよな、と続けて呟いた仗助に肩を抱き寄せられた。カフェで吸っていた煙草の匂いが近くなる。不快どころか、懐かしさを感じた。何年も離れていたわけ でもないのに、不思議な感覚だった。
時間が経って変わるものもあれば、逆に全く変わらないものもある。色々なものが変化していった中で、露伴と仗助の距離は変わっていなかった。 相変わらずな自分と、すっかり大人びた仗助。ふたりの間で繰り返されてきたささやかな戦争と平和を経て、今の関係に落ち着いている。 もしどちらかがこの町を離れるか、仗助が家庭を持つ日が来れば自然に疎遠になっていくだろう。
しかしこの時だけはそんな先のことは考えないようにして、今感じている仗助の温もりに身を委ねながら、露伴は目を閉じた。




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2009/10/29