恋かもしれない 「あれ? あんた煙草なんか吸ってたっけ」 町内にある自販機で煙草を購入している、見覚えのある後ろ姿に仗助が問いかけた。 わざわざ顔を見なくても、これほど奇抜な服装をしている人間は身近でも限られている。望んでいなくとも、記憶に残っているのだから仕方がない。 「僕が吸うわけないだろう、こんな身体に悪いものを」 完全にこちらを向く前から、すでに機嫌の悪そうな表情をしていた。こちらは決して好かれていないのだから当たり前だが、この男は不愉快を態度に出しすぎだと思う。 それでも会うたびにやたらと絡まれるのだから、よく分からない。嫌っているのだから無視すればいいものを。仗助自身も、何故ここで声をかけてしまったのだろうか。 放っとけなかったわけではなく、この男と煙草が結びつかなかったので気になって声をかけてみたのだ、とりあえずそう思うことにする。 「じゃあ、誰かに頼まれたとか?」 「あのな仗助、この僕が! 誰かのパシリをするような人間に見えるのか! これは漫画の資料だよ資料!」 そう言われて納得した。目の前でわめいている、やけに高圧的な男・岸辺露伴はリアリティとやらに異常にこだわる漫画家で、それを追求するためなら周囲に迷惑をかけても 平然としているような、とんでもない変わり者だ。 康一のように好かれても、自分のように嫌われてもろくな目に遭わない。1番安全なのは、関わらないことだ。 「なるほどそうっすか、それじゃ俺はこれで」 謎が解けたところで、仗助はこの場から立ち去ろうとした。昨日の放課後に買ってきたテレビゲームの続きをやるために、早く家に帰りたい。あまり長い時間やり続けて いると母親がうるさいので、仕事から帰ってくるまでの時間は邪魔も入らず心おきなく楽しめる。 軽く挨拶をして先を急ごうとした途端、突然ものすごい力で肩を掴まれた。驚いて振り返ると、露伴がこちらを突き刺すような勢いで睨んでいる。 「なんだよ、俺急いでるんすけど」 「お前の都合なんかどうでもいい、僕の話を聞け」 あまりにも勝手すぎる発言に、仗助は心の底から先ほど声をかけてしまったことを後悔した。やはり関わるべきではなかったのだと。 露伴は買った煙草の箱を見せながら、更に話を続けた。 「この煙草を資料に、これから家に帰って漫画を描く予定なんだが、ひとつ問題がある」 「はあ」 「漫画に出てくるキャラクターに煙草を吸わせるシーンを描きたいんだが、僕は身体に害しか与えないこんなものを吸いこむつもりはない」 「……おい、まさか」 「仗助、お前が僕の前で吸って見せろ」 直前から薄々と感じてはいたが、まさか本当に言われるとは。普通の大人ならば考えもしないことを、この男は何のためらいもなく口に出す。 「何、高校生に煙草吸わせようとしてんだよ! マジで信じらんねえ!」 「適当に想像して描けとでも言いたいのか!」 「俺じゃなくたって、誰か他に居ねえのかよ!」 「お前、もしかして康一君に吸わせろとでも? 僕は大切な親友の寿命を縮めるような、酷い真似はできないね」 「なんっっだそりゃ!」 扱いの違いというか、めちゃくちゃな理屈というか、露伴の思考全てが理解不能すぎて付き合いきれない。犬猿の仲である仗助は早死にしても構わない、と言われているの も同然だ。これで大人しく要求を飲めるほど、自分はお人好しではない。もし言うとおりにしても何の見返りも期待できず、用が済めばさっさと家を追い出されるだろう。 だんだん腹が立ってきた。何がなんでも吸うわけにはいかない。しかしこのままあっさりと家に帰してもらえる気もしない。 それではどうすればいいのかと必死で頭を巡らせているうちに、苦し紛れの案が浮かんだ。 ふ、と慣れた様子で煙をゆっくりと吐き出す姿は、つい見惚れてしまう。 確か高校生の頃から喫煙の習慣があったと聞いたことがある。部屋の中を満たす煙草の匂い、そしてすぐそばでスケッチブックに鉛筆を走らせる音。 「いきなり押しかけてすみません、承太郎さん。こいつがどーしてもスケッチしたいって」 「別に俺は構わねえが……漫画家も大変だな」 「露伴の場合、自己中なだけっすよ」 「うるさいっ、気が散る!」 手の動きを止めないまま露伴はそう言い放つと、次のページをめくって今度は違う角度から煙草を吸う承太郎の姿を描いていく。ちらりと覗き込んだところ、描いている人間 の歪みぶりを感じさせない完成度の高さだった。ファンなら喉から手が出るほど欲しがるに違いない。 結局、仗助がたどり着いたのは普段から煙草を吸っている承太郎に、露伴のスケッチのモデルになってもらうという案だった。吸った経験のない仗助よりも、リアリティの あるものが描けると説得したところ、露伴はようやく納得してこのグランドホテルまでついてきた。 承太郎が短くなった煙草を灰皿に押し付けても、露伴はスケッチブックを閉じようとはしない。一体どれだけ描けば気が済むのか。そんなに夢中になって承太郎の絵を描いて、 そんなに食い入るような目で見つめて……。 そこまで考えて仗助は我に返った。ここに来るまでに散々な目に遭ったというのに、気が付くとおかしなことを考えてしまっている。 承太郎は文句ひとつ言わずに、新しい 煙草に火を点けて吸い始めた。次々とページをめくっては描き続ける露伴は、本当に楽しそうだ。この様子を見ていると、まるで仗助だけが違う世界に隔離されてしまった かのように思えてくる。それとも承太郎と露伴が、ふたりだけの違う世界を作っているのか。本人達にそのつもりはなくても、そう見えてきた。 息苦しくなるような辛い気持ちは、この部屋を出れば消えるだろうか。 ホテルを出ると、すでに辺りは薄暗くなっていた。 あれから露伴は承太郎に、ベッドに仰向けになりながら煙草を吸ってくれだの何だの、図々しい要求をしてはそれをスケッチするという行為を繰り返した。 ふたりは今までまともに接点はなく、当然おかしな関係でもないはずだが、仗助は心の底では会わせたことを後悔していた。今回の件がきっかけで、露伴が仗助の知らない ところであのホテルを訪れるようになるかもしれない。そこから先は想像したくなかった。 「これで素晴らしい漫画が描けそうだ、帰ったら早速原稿だ」 「ずいぶん楽しそうだったじゃねえか」 「あの人はちょうど良いモデルだったよ、かなり吸い慣れているしな」 「……本当にそれだけか?」 「は? どういう意味だ」 「いや、何でもねえ」 この様子だと不安になる必要はないのか。深いため息をついていると、露伴の視線を感じた。睨んでいるのとは違う、まるで隅々まで観察されているような気分になる。 「お前も、黙っていれば僕好みのいいモデルになれるぜ」 返事に困る発言をした後、露伴は目を細めて低く笑った。そして呆然とする仗助を置いて、ひとりで先を歩いていった。 あんな厄介な変わり者のために悩んでいた自分が、本当に馬鹿みたいだ。それでもまた町の中で、露伴が奇妙な行動を取っているとつい声をかけてしまうのだろう。 認めたくはないが、これは恋かもしれない。 |