恋愛未満





「よお童貞君、相席しちゃっていい?」
「誰が童貞だよ、おい」

凄んでみたものの、相手は余裕の表情を浮かべるばかりで大した効果はなかった。
いつものカフェで注文した飲み物を待っている間、仗助の前に現れたのは噴上裕也だった。自分の容姿は控えめに言ってもミケランジェロだの何だの、とにかくナルシスト もここまで行くと見事としか言えないような奴だ。
裕也は仗助の返事も待たずに、平然と向かいの椅子に腰かけた。今日はあの、派手な取り巻き3人組を連れていないようだ。 居たら居たで、裕也がなだめるまで何かとうるさいので話をするどころではなくなるが。
仗助が注文していたコーラを運んできた店員に、裕也がコーヒーを頼んだ。しばらくは席を立つつもりはないようだ。

「最近、あの人に会ってんの? 漫画家の岸辺露伴先生に」
「え、ああ……たまに」

バイク事故で入院中の裕也はトンネルに潜み、スタンドの力で露伴を襲い養分を吸い取った。思えばこの男との一件で、それまでは腹の立つ一方だった露伴に対して、仗助は 友情を期待するまでに至った。今では何度か家に足を踏み入れるまでになり、相変わらず罵り合いはするものの前よりは会話が続くようになった気がする。
裕也はスタンドを通じて露伴の姿が見えていたが、逆に露伴は本体である裕也を見たことがない。もしうっかり対面でもすればどうなるか、考えただけでも冷や汗ものだ。 露伴は自分にされたことをいつまでも根に持つ、厄介な性格なのだから。

「ずっと思ってたんだけど、お前とあの先生ってどういう関係?」
「た、ただの知り合いだよ」
「ふーん、そっか。お前ら別に、愛し合ってるわけじゃねえんだ」

あっさりと裕也が口に出した一言に、仗助は動揺してコーラを吹き出しそうになった。何がどうなって、そんな発想に行きつくのか。裕也の感覚が分からない。
最近、露伴に対して抱えている気持ちが更に変化している自覚はある。今まで以上に気になって仕方がない。しかし仗助への噛みつくような態度を見ていると、どう考えても 受け入れてもらえる確率は限りなく低いのが辛いところだ。まるで害虫か何かのように嫌われているのだから。
そこまで考えて、あの岸辺露伴に告白でもしようとしているのかと気付いて、慌ててそれを打ち消した。裕也どころか、自分のことすら分からなくなってきている。
まだ好きだとかどうだとか、そこまで大げさには発展していない。ちょっと気になっているというか、顔を合わせない日が続くと康一に何気なく露伴の様子を尋ねてみたり、 家の近くを通るとつい足を止めてしまうとか、せいぜいその程度だ。これくらいで恋だと言われては、町中どこでも恋だらけだ。考えただけで胸焼けがして気持ち悪い。

「お前面白いなあ、表情変わりすぎ」
「面白がるんじゃねえよ!」
「まあまあ、今はともかくこれから愛し合う予定だったりする感じ?」

裕也は愉快そうに笑うとポケットから何かを取り出し、仗助に握らせる。疑問に思いながら手を開くとそこにはコンドームがあった。 ちょうど裕也が注文したコーヒーを運んできた店員が現れたのを見て、仗助は慌ててそれを胸の内ポケットにしまい込む。
こんなところで何てもん出しやがる、と思いながら裕也を睨みつけた。使用経験どころか今まで触ったことすらなかったものだ。
もし世界がひっくり返るようなレベルの何かが起こって露伴とそういう関係になった場合は、これを使えと言うのだろうか。しかし互いに男同士なので、どちらが着ける べきなのだろうかと悩んだ。一方的とはいえこんなに気になっているんだからやっぱり俺か、と短時間の中でそんなことを考えて息を飲んだ。

「もう色々想像してんのか、気の早い奴」
「うっせえよ!」

童貞の匂いがプンプンするぜえー、と裕也にからかわれて顔が燃えるように熱くなる。口には出していないものの、実際に童貞なのは間違いないので反論できなかった。


***


やはり制服姿でパチンコ屋に入るのは無謀だった。帰宅する前に寄っていこうと思って入店したものの、店員に追い出された。こうなったら私服に着替えて出直してやる。
そんな決意を固めて店を出たところで、見慣れた人物に遭遇した。スケッチブックを肩から下げた、無駄に露出の高い服装の男。岸辺露伴。 こちらに対して、すでに刺々しい雰囲気を放っている。明らかに臨戦態勢そのものだ。

「お前、ガキのくせにパチンコなんかやってるのか。低俗な奴」
「俺がどこ行こうと勝手でしょうが、年寄りは家に引きこもって漫画描いててくださいよ」
「僕のどこが年寄りだ! 礼儀も知らないくそったれ馬鹿めが!」

その様子に朝に見かけた、塀の上で毛を逆立てて怒りを露わにしている野良猫を思い出した。他の人間にはそうでもないのに、露伴は仗助相手の時だけ異様に刺々しくなる。
これではこちらから歩み寄っても跳ね返されるだけだ。しかし以前スタンドの力で救われた時に感じた、どうしようもなくグッときたあの気持ちは今でも鮮明に思い出せるほど 強烈に、仗助の中に残っている。あれが全ての始まりだったと思う。
露伴の態度にこのまま同調していては後味が悪いまま別れることになるので、体勢を立て直すために別の話を切り出す。

「先生はこれから、どこに行くんスか」
「取材だよ、僕は暇人のお前と違って忙しいんだからな。こうしてる時間も惜しいくらいだ」

そう思うなら話しかけてこなければ良かったのに、わざわざ自分から絡んできてこの調子だ。毎度のことながら露伴の不思議な矛盾には参ってしまう。

「俺は高校生なんで、学校行ってベンキョーするのが仕事っスからね」
「何が言いたい」
「あんまり暇人暇人言われるのは不本意だってこと」
「ふん、どうだか! お前が真面目に勉強してる姿なんて想像できないな!」
「よく知りもしないくせに……っていうかあんたは、別に知りたくもないか。俺のことなんて」

仗助がそう言うと、それまでは上から目線で罵っていた露伴の表情が静かなものになった。
いかにも不良な外見でよく誤解されがちだが、成績は常に学年でも真ん中より少し上を保っている。 親が教師なのでそれなりにプレッシャーもあり、試験前の強烈な追い込みも効いているのだと思う。担任に睨まれるほど学校をサボったこともない。
自分のことを露伴にもっと知ってほしい、という願望はいつから抱くようになったのだろう。知られたからと言って、向こうも心の内側を見せてくれるとは限らないのに。

「お前がウソつきでお人好しのくそったれ馬鹿だということ以外にも、知ってほしいと思っているのか。この僕に」
「それは……」

知ってほしい、と素直に言ってしまえば楽になれるのにそれができない。顔を合わせる度に罵り合っている露伴を相手に、あまりにも無謀すぎる願望だからだ。

「髪、乱れてるぞ」
「えっ」
「自慢の髪型なんだろ、ちゃんとしとけよ」

露伴の指が、毎朝しっかり整えてきているリーゼントに触れる。こんなことは今まで1度もなかったので、唐突な出来事に心臓の音が激しくなった。
そういえば初対面の日以来、露伴に髪型を貶されることはなくなっていた。それ以外の悪口は延々と言われ続けているが。それが単に厄介事に巻き込まれたくないだけなの か、それとも優しさなのか、よく分からない。露伴のほうも再び連載を休む羽目になるのは避けたいはずなので、多分前者だと思う。

「先生、あんた本当に俺のこと嫌いなの?」
「分かりきったことを聞くんじゃないよ」
「そうっスよね、やっぱり……」

嫌いだと言う割にはこんなに距離を詰めてきて、わけが分からないを通り越して卑怯だ。
人通りの多いパチンコ屋の近くで、堪え切れないほど露伴を意識してしまっている。 重なった視線を逸らさずに、まっすぐに見つめた。そんな仗助に露伴は驚いたような顔を見せたが、同じく視線を外そうとしなかった。
ムードも何もない場所で見つめ合っているはずが、周囲の音が聞こえなくなるほどのめり込んでいく。今なら何もかも告げてしまいそうで、そんな衝動と密かに戦った。
これ以上は限界だったので自分から視線を外してしまい、動揺をごまかすために胸の内ポケットから小さな鏡を取り出す。手が震えていた。

「なあ仗助、お前がさっき言ったことなんだが……」

真剣な表情で露伴がそう言うのと、仗助の鏡と共に出てきたコンドームが足元に落ちるのは同時だった。ふたりの間の空気が、一気に凍るのを感じた。 露伴の表情が一変する。先ほどまでの雰囲気からは考えられないほど、鋭い目で仗助を睨みつけてきた。

「いや、すいません! これは違うんスよ!」
「何が違うんだ? いつでも女を抱けるようにこんなものを持ち歩いているのか、やる気満々だな」
「俺にはそんな相手いないですって!」
「言い訳なんか聞きたくないね! 不愉快だ!」

一方的に怒りの言葉をぶつけてきた後、露伴は背を向けて去って行った。 先ほど切り出していた話の続きも、突然怒り始めた理由も、何もかもが謎のまま仗助はひとりで取り残されてしまった。




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2009/10/2