Request 杜王駅でカメラを構え、通勤中の会社員をひとりひとり撮影していく。 もちろん無差別ではなく、あらかじめ絞り込んである条件を元に写真を撮っている。すでに60枚を超えた。 1日5000人が利用している駅なので、ここまで進んでもまだ撮り逃しがあるかもしれない。地道な作業だ。 物陰で改札口の様子を窺っていると、見たことのない会社員が現れた。これは見逃せない。すぐにカメラを構えてシャッターを切ろうとした時、レンズの前に違う男が 写り込んできた。あまりにも突然のことだったので、その男をうっかり撮影してしまった。その隙に、目的の会社員の姿は見えなくなっていた。 「露伴くーん、俺も撮ってえ〜ん!」 男は軽い口調で言いながら、首の後ろで手を組んだポーズで迫ってきた。一気に力が抜けてしまい、露伴はため息をついてカメラを下ろす。 Tシャツとジーンズを身に付けた、体格の良い若い男。筋肉質で大柄なので、その身体に合う服を見つけるのは大変だろうと思った。 男はジョセフ・ジョースター。仗助の父親で、年齢は79歳。とは言え今は20歳前後くらいの若者の姿をしている。この時代にその姿でここに存在しているはずがない。 それでもジョセフがこの町に来てから起こった不思議な現象によって、有り得ないことがこうして現実になっている。しかも若返っている時の記憶は、79歳の姿に戻ると 同時に封じられるのだ。つまり若いジョセフが、若返るタイミングからその時の記憶の管理まで、全ての主導権を握っているということになる。 過去の自分に支配されている現実を、本来のジョセフは知らない。むしろそのほうがいいのかもしれないと思った。 「今日も隠し撮りしてんの? 熱心だねえ」 「当たり前でしょう、少しでも早く吉良への手がかりを掴むためです」 「終わったら、一緒にお茶しに行かねえ?」 「何言ってるんですか」 「俺、本気だぜ」 ジョセフの誘いをかわしながら何回かシャッターを切り、とりあえず今日は撮影を終了した。これから家に帰って現像しなくてはならない。本業も含めて忙しい身なのだ。 駅に背を向けて歩き始めた露伴の隣を、ジョセフがついてくる。歩幅の差で、いくらこちらが早足で歩いてもすぐに追いつかれてしまう。 ジョセフの左手の薬指には指輪がはまっている。それは聞くまでもなく結婚しているという証で、それなのにナンパのような調子で声をかけてくるのはおかしい。しかし この男には不倫の前科があり、それによって仗助が生まれた。色々あって打ち解けるまでの仗助の態度は、当然ながら刺々しいものだったらしい。16年間母親や祖父と 暮らしてきたところに、急に父親が現れてもすぐに受け入れられるわけがない。 「ジョースターさん、ついてこないでください」 「その呼び方やめてくれよ、今の俺はぴっちぴちの18歳なんだから!」 「18歳まで若返ったということですか、よくそんなに正確に分かりますね」 「だって、その時に戦った奴に吹き飛ばされた左手首があるから」 そう言ってジョセフは、左手を握ったり開いたりの動作を何度か繰り返した。79歳のジョセフは厚手のコートと手袋をはめているので、全く気付かなかった。 18歳ということは、露伴よりも年下ということだ。16歳の仗助といい、周りに存在する厄介な男は何故ここまで年下が多いのだろう。 「あーっ! 露伴先生だ!」 前方から突然上がった声に気付いて顔を上げると、小柄な少年がこちらに向かって走ってくるのが見えた。 確か大柳賢という小学生くらいの子供で、相変わらずその頬には穴が開いたままだ。 以前、初対面の露伴に唐突にジャンケン勝負を挑んできた上に、負けた途端にスタンドの力を少しずつ奪われた。最後はジョセフが連れていた赤ん坊の力を借りて勝利したが、 予想以上に苦戦してしまった。そしてスタンド能力を悪用しないという条件で、賢を再起不能にはせずに見逃してやるという結末を迎えた。自分にしては甘い処遇だったの は、その小さな身体に宿っている根性に胸を打たれたからだ。 「ねー、これからどこ行くのー? たまには僕にも構ってよ!」 「うるさいっ、僕はお前と違って暇じゃないんだ!」 「この前、露伴先生の新刊買ったんだ! サインしてよ〜」 「しつこいな! 帰れ!」 露伴の足にしがみついて離そうとしない賢を叱り飛ばしていると、今まで黙っていたジョセフが身を屈めて賢の顔を覗き込んだ。 「ああ! この子って前に俺と露伴君が一緒に居た時に会った、ジャンケン好きの!」 「え、あんた誰?」 あの時とは姿が違うジョセフを見て、当然ながら同一人物とは知らない賢は首を傾げる。 しかしジョセフは気にしない様子で微笑むと、賢を後ろから抱き上げて自分の 両肩に乗せた。賢は突然のことで驚いていたが、身長190センチを超えるジョセフの肩の上から見える景色が新鮮だったのか、表情はすぐに緩んだ。 「わあっ、すっげー! ねえねえ歩いてみてよ!」 「りょーかい!」 まるで子供を肩車している父親のような光景だった。それまでは露伴に拒まれて不満そうだった賢が、今では嬉しそうに大はしゃぎしている。 やがて本屋の前にたどり着くと、賢はここに用事があるらしくジョセフに降ろしてもらうと店の中に入っていった。 「子供って、上から押さえつけるだけじゃだめなんだよな。たまには甘やかしてやらねえと」 「そうなんですか」 「そうそう!」 普段のジョセフの口調は軽いが、先ほどの賢の様子を見る限りでは内容に説得力を感じるから不思議だ。 もしかすると本妻との子供にとっては、良い父親だったのかもしれない。 そう思うと、今まで父親であるジョセフの顔すら知らずに育ってきた仗助が不憫だ。 ずっと寂しかったのではないかと、自分らしくもなくそんなことを考えてしまう。本当にどうかしている。 「ところで露伴君、さっきの話の続きなんだけど」 「何の話でしたっけ」 「今度から俺のこと、ジョセフって呼んでくれよ。あ、水臭い敬語もナシで」 「無理です」 「呼んでくれないとこうしてやる!」 ジョセフはそう言いながら露伴に抱きついてきた。まだ夕方過ぎの、しかも人通りの多い場所で。このまま通行人の好奇の視線に晒され続けるのは我慢できない。 スタンドの力で引き離すことは可能だが、身も心も別の精神に乗っ取られている状態のジョセフに書きこむのは気が引けた。どうなるか分からないからだ。 「わ、分かったから! とりあえず離せ……よ」 面倒なことになってしまった。すっかりジョセフの思い通りに話が進んで、調子を狂わされている。今は18歳だと主張しているが、実際は79年分の記憶や経験を持って いるのだから、20歳の露伴がまともに太刀打ちできる相手ではなかった。しかもジョセフには何の恨みもないので、罵ることもできない。 その後もジョセフは、そのツンツン具合がたまらないだの、俺にもスカタンって言ってくれだのとたたみかけるように色々なことを要求してきた。 「あのさ露伴、じじいと何かあった?」 カフェでコーヒーを飲んでいる露伴の向かい側から、仗助が真顔で問いかけてきた。 別にジョセフといかがわしいことは何もしていないが、一瞬だけ動揺してカップを口に運ぼうとしていた手の動きが止まってしまう。 「な、何で僕がジョースターさんと……」 「じじいの奴、最近やけにあんたの話をしてくるんだけど」 仗助はまるで露伴の本心を探るかのように、こちらに視線を向けてくる。ずっと鈍感だと思っていたが、実はそう見えているだけなのかもしれないと思い始めた。 カップを受け皿に置くと、露伴はテーブルに頬杖をついて口元に笑みを浮かべる。 「何だお前、自分の父親に嫉妬してるのか?」 「し……してねえよ! ただ、じじいはあんたのこと気に入ってるみてえだから……」 明らかに動揺丸出しの態度で、仗助が叫んだ。そもそもジョセフは何故あそこまで絡んでくるのかよく分からない。露伴にどこか気になる要素でもあるのだろうか。 「俺のこと呼んだー?」 その声と共に、仗助の背後から突然ジョセフが現れた。驚いた顔で言葉が出てこない仗助に顔を近付けると、周囲の他の客の存在も気にせずに何事かを言い始める。 「なあ仗助、日本の銭湯っていうやつ? まだ行ったことねえんだ。今度一緒に行くか!」 「ひとりで勝手に行ってこいよ!」 「そんなこと言わずに、親子で裸の付き合いしようぜ〜」 「気持ち悪いんだよエロじじい!」 逆上した仗助がジョセフの肩を押して遠ざけたと同時に、露伴はテーブルに勢いよく両手をついて立ち上がった。ばんっ、という大きな音がジョセフと仗助の意識を引きつける。 「いい加減にしろジョセフ! このスカタン!」 親子のやりとりを眺めているうちに、重く渦巻いていた何かが爆発した。そして無意識に先日のジョセフからのリクエストに、律儀に応えてしまっていることに気付いた。 呆然としている仗助と、愉快そうに目を細めたジョセフ。我に返ると、とてつもなく嫌な予感がした。 今度は露伴のほうに狙いを変えたジョセフに、そっと肩を抱き寄せられる。 「ごめんねー露伴君、つい調子に乗っちゃったあ!」 「おい露伴! 今の何なんだよ! じじいのこと名前で……いつからだよ!」 「今のは仕方なかったんだ! 忘れろ!」 「やっぱりじじいと何かあったんじゃねえのか!?」 「黙れ仗助、うるさいぞ!」 完全に誤解している仗助と口論をしていると、ジョセフが露伴の耳に唇を寄せてきた。その接近具合に仗助が更に激しく騒ぎだす。この様子だと後から厄介なことになりそうだ。 仗助は若いジョセフが露伴に触れるのを、快く思っていないのだ。 「何だか懐かしい気分になっちまった……ちょっと泣いてもいい?」 テーブルの向かい側に居る仗助には聞こえないほど小さな声で、そう囁かれる。ジョセフの口から出てきたとは思えないような言葉だった。 露伴の肩に無言で顔を埋めたジョセフは今、どんな表情をしているのだろう。本当に泣いているかどうかは分からない。気になりながらも、それを確かめることはできなかった。 |