携帯恋愛/前編





額のあたりに突然降ってきた激痛で、目が覚めた。
悲鳴を上げながら飛び起きると、ベッドの端に腰掛けている学ラン姿の青年の存在に気付いた。部屋の壁時計はちょうど7時で、仗助が学校のある日に起きる時間だ。

「目が覚めたか」
「も、もうちょっと優しく起こしてくれませんかね……」
「この時間にアラームを設定したのは、お前だろうが」

青年は握りこぶしをちらつかせながら言うと、学ランの内ポケットから煙草を取り出して火を点けた。朝から部屋を満たす煙草の匂いに、仗助は軽くむせてしまう。
ベッドから出た仗助を涼しい顔をして眺めるこの青年は、数日前に仗助が母親に買ってもらった携帯電話だ。おかしな話かもしれないが、事実なので仕方がない。
携帯ショップで見かけた、真っ黒な携帯電話がずっと気になっていた。しかもすでに金色の太い鎖がストラップになっていて、何がなんでも外れない仕様らしい。
謎の力に引き寄せられるかのようにその携帯電話を選び、部屋で蓋を開けた途端にこの青年が仗助の前に現れた。しばらく呆然としていたが、やがて彼こそが仗助が選んだ あの黒い携帯電話だという衝撃の事実が襲いかかった。どこから見ても人間そのもので、画面もボタンもないのにどうやって通話やメールをすればいいのかと悩んだ。
青年は気性が激しい上に執念深い性格で、正直かなり扱いにくい。持ち主である仗助以外にはただの携帯電話にしか見えないようで、誰にも相談できない状態だ。
同じ機種の色違いのほうはもう少し扱いやすいらしいが、数週間前に売り切れて入荷予定はないと言われた。とりあえずしばらくは我慢するしかない。


***


部屋のテレビで相撲の中継を観ていた青年が、低い声で仗助の名前を呼んできた。机に向かって宿題をしていた仗助が、椅子を半回転させて後ろを振り向く。

「億泰から電話だぜ」
「お、何だろ」

仗助は親友からの電話に心を弾ませながら、青年の前に膝をついて彼の逞しい胸に片方の手のひらを当てる。これが通話をする時の基本的な方法だ。

「もしもし?」
『俺だよ俺! いきなりなんだけどよ、この前貸した雑誌もう読み終わったか? 急に必要になったから明日にでも持ってきてくれねえか』
「雑誌……ああ、あれか」

もちろん心当たりはあるが、何の雑誌かは口に出さない。というか、今は出しにくい。しかし電話の向こうの億泰には、そんな仗助の気持ちが伝わらなかったようだ。

『あれ、すげえ興奮しただろ? 見えそうで見えない乳首とか、あの引き締まった尻のラインがよ……』

頼んでもいないのに思春期のヨコシマ精神丸出しで熱く語り始めた億泰に、仗助は顔を引きつらせた。借りた雑誌とは、高校生男子には刺激の強いグラビア写真が載ったものだった。
ちらりと目線を上げた先の青年は、冷めた表情で仗助を見ている。携帯電話である彼には、億泰との会話は全て筒抜けだ。同じ男なんだから気持ち分かるだろーと言い訳をしたいところ だが、相手は人間ではないので多分通じない。
せめて相撲中継や古い刑事ドラマと同じくらい、健康的なお色気のほうにも興味を示してもらいたいものだ。

「わ、分かった、明日絶対持っていくからな! じゃあな億泰!」
『えっ、おい仗助……』

会話を強引にまとめて通話を切ると、仗助はとんでもない大仕事を終えたかのような疲労感に深くため息をついた。

「何だ、もう終わりか? もっと話せばよかったじゃねえか」
「別に大した用事じゃないんで」

あんたのせいで話しにくかった、とは言えない。携帯電話に対して通話中の会話を聞くなと言うのは無理な話で、仗助にもそれは充分に分かっている。
未だに名前を教えてくれない、そもそも名前すらあるのかどうか。そんな彼は、もし人間としてこの世に存在していたら、絶対に女には不自由していないだろうと思う。 その辺の高校生とは格が違う、周囲を圧倒するような存在感。更に不思議な色気と男らしさを両方持っているなんて、反則すぎる。

「仗助」
「え……はっ、はい!?」
「充電させろ」

その口からあっさりと告げられた、充電の一言に仗助はどきっとした。普通、携帯電話の充電と言えば本体とコンセントをアダプタで繋いで……という想像をするだろうが、 人間の姿をしている青年の場合は全く違う。その方法を初めて知った時は、絶対に何かの冗談だと思った。今までずっと、女の子ともした経験がなかったのに。
仗助の返事を待たずに青年は身を乗り出し、逃れられない距離まで顔が近づく。綺麗な色の目だ、と見惚れているうちに唇を奪われた。携帯電話なのに、何故か慣れている 調子で舌が唇の隙間から潜り込んでくる。
この充電方法は初めてではないが、何度やっても上手く応えられない。青年は体液を出さないので、仗助が飲み込めずに溢れ出てしまった唾液が顎を伝い落ち、 すっかり翻弄されて自分だけが恥ずかしい思いをしている。
しかしこの方法で、青年は携帯電話として活動するためのエネルギーを蓄えることができるのだ。つまり、持ち主である仗助にとっても避けては通れない行為でもある。
充電が完了したらしく、青年の唇が離れていった。全身の力が抜けて何も考えられない。

「この方法がいつまで使えるか、だな」
「これ以外にも、あるのかよ」
「俺とお前次第だが、その時が来たら教えてやる」

いくら考えても意味の分からないことを言われて、仗助は複雑な気分になった。本体についてきた説明書をめくってみても、書いてあるのは普通の携帯電話の図や説明だけだ。 まだ付き合いが浅いせいか、見えないことが多すぎる。
それにしても、こうして人間の姿をした携帯電話を持っているのは仗助だけなのだろうか。
他にも居れば色々と相談に乗ってもらうことができるのに。


***


本屋から出てきた岸辺露伴が手に持っている携帯電話を見た途端、仗助は思わず『ああっ!』と声を上げた。

「そ、その機種は」
「何だよ急に、大声出しやがって……うるさい奴だな」

露伴は携帯電話をポケットにしまうと、仗助の前で立ち止まって睨んでくる。本当はあまり話しかけたくない相手だが、今回は簡単に引き下がるわけにはいかない。
仗助の携帯電話と、同じ機種の色違い。先ほど露伴が持っていたのは、飾り気のない真っ白なものだった。 聞きたいことは決まっているが、もし勘が外れていた場合は頭がおかしいと思われる可能性大だ。

「実は俺、あんたと同じ機種の携帯電話を持ってるんすけど」
「それがどうかしたのか」
「この機種の充電のやり方って、他のとは違いませんか」

仗助がそう言うと、露伴の頬が突然真っ赤になった。明らかに動揺しているのが分かる。
あの白い携帯電話もきっと、露伴だけには人間の姿に見えるのだ。それは男か女か、それすらも持ち主以外は確認することはできないが。
少しの沈黙の後、それまで赤面して黙りこんでいた露伴が薄い笑みを浮かべた。

「お前も自分の携帯電話が、人間の姿になったってやつか」
「ああ……」
「僕達はもう、持ち主と物の関係なんかじゃない。他人には理解できない、深い絆で結ばれているんだ」

僕達、が露伴と彼の携帯電話のことを示しているのが何となく分かった。しかし仗助にはまだ、自分とあの青年がそんな濃密な関係になるのは想像できなかった。持ち主と物の 関係を越えた絆とは、一体どのようなものなのか。

「もしかしてまだ、キスで充電しているのか?」
「それしか知らねえ」
「そのうち、それだけじゃ足りなくなるぞ。まあ、お前達次第だけどな」

また同じことを言われた。その先が気になってどうしようもないのに。
そんな時、青年とのキスが胸によみがえる。あの唇の感触も舌の動きも、携帯電話が相手とは思えないほど生々しかった。


***


鍵を閉めた自宅のトイレの中、仗助は壁に背を預けながら自身の性器を扱き続ける。
普段なら億泰に借りたグラビア雑誌などをネタにしていたが、今は違う。自分でも信じられないことに、扱いている最中に頭を満たしているのはあの青年だった。
ベッドに腰掛けながら煙草を吸っている唇、絨毯に寝転がってテレビを見ている時の無防備な表情、そしてこちらに向けてくる鋭い視線。積み重なっていたひとつひとつの 青年の姿を思い出しては、身も心も熱くなった。
亀頭から浮き出てきた先走りを見て、仗助の前に膝をついた青年がこれを舐め取るという、いかがわしい妄想をした。実際には有り得ないが、だからこそ興奮する。
このままイッてもいいぜ、と妄想の中の青年に言われた瞬間、仗助は性器を包み込んでいる手のひらに向けて射精した。




後編→

back




2011/6/24