Spirit/前編





やっと授業を終えた解放感を満喫しながら、仗助は億泰や康一と共に階段を下りていく。
全員同じクラスではないが、最近はこの3人で下校することが多い。

「これからどっか寄っていくか? たまにはトニオの店に顔出したりよ」
「行って喜ばれんのは億泰、お前だけだぜ。あそこのイタリア人、俺を見る目が怖くてよお」
「えっ何、もしかして霊園の近くにあるっていうレストランの話?」

トラサルディーというイタリア料理店は、メニューのない一風変わったレストランだ。料理人兼オーナーであるトニオが客の健康状態を見て、出す料理を決める。
初めて来店した時、出される料理を怪しんでいた仗助に対してトニオは、やけに怖い顔を向けてきていた。食事に夢中になっていた億泰は全く気付いていなかったようだが。
しかも自業自得とはいえ後で調理場の掃除までさせられ、それ以降はあのレストランには近付かないようにしている。何故かトニオに気に入られている億泰は、たまに ひとりで足を運んでいるようだった。
岸辺露伴の一件といい、自分は他人から恨みを買いやすい損なタイプのような気がする。

「俺はドゥ・マゴ行って何か飲みてえな〜」
「そこにはこの前行ったんだから、たまには俺に付き合えよな仗助」
「だからあそこには、ひとりで行けっつーの!」
「もう、こんなとこで喧嘩しないでよ!」

寄り道の行き先で口論する仗助と億泰を困惑した顔でなだめようとした康一が、次の階段を踏み外してしまった。小さな身体が階段の一番上で傾くのを、仗助は見逃さずに その腕を掴んで引き戻そうとする。しかしそれは一瞬遅かったようで、仗助と康一は互いを巻き込むように階段から落ちていく。連続した衝撃を身体に感じた。
億泰が慌てた声でふたりをの名前を呼びながら、階段を駆け下りてくる音がする。周りに居た生徒達もざわめく。

「おい、大丈夫か!」

声に呼び戻されるように、仗助は目を開ける。しゃがみこんでいる億泰が心配そうな表情でこちらを見ていた。

「ああ……俺は何とか。でも康一もあそこから落ちたんだ、様子見てやってくれよ」
「何言ってんだ康一、俺はお前に声かけてんだぜ」
「……は?」

億泰の言葉の意味が分からない。まさか仗助と康一を見間違えているわけでもないだろうに。こちらも階段から落ちた影響で、頭が働いていないのかもしれないが。
背後で誰かが動く気配がした。ゆっくりと振り向いた途端、仗助は目を疑った。信じられないことに、自分自身が目の前に居る。改造した学ランにリーゼント、毎朝鏡の前 で全身を眺めてから登校しているその姿が、驚いた顔でこちらを見ている。

「なっ、何で僕が! 僕が居る!」

仗助の姿をした何者かが情けない声を出して、縋るように両肩を掴んでくる。じわじわと嫌な予感がしてきた。絶対に有り得ない、あってはならない。 仗助は目の前の改造学ランに手を伸ばすと、胸の内ポケットに入っている鏡を取り出して自分の顔を見た。
手が震えて止まらない。そこには康一の姿をした、自分自身が映っていたのだ。


***


「つまり仗助と康一の中身が、入れ替わっちまったってことだよな」

とりあえず3人は階段を離れて生徒用の玄関に向かい、校舎を出た。 康一の姿になった仗助は、背の高い億泰、そして仗助の姿になった康一の隣を歩く。いつもと違った目線の高さや、いくら頑張っても狭い歩幅にもどかしかった。

「これからどうしよう……誰に相談すればいいのかなあ」
「お、俺の姿でそんな情けない声出すんじゃねえよ康一! 落ち着いて考えようぜ!」
「だってずっと考えてるけど、何も思いつかないじゃないか」
「うっ……」

確かにこういう場合、何とかしてもらえる人物が思い当たらない。頼りになりそうな存在として承太郎が1番先に浮かんだが、時を止めるスタンドで魂の入れ替わった人間を 元に戻せるとは思えなかった。
それにしても厄介なことになった。元に戻るまで、仗助は広瀬康一として過ごしていかなければならないのだ。生活環境も付き合っている人間も全然違う。正直、康一を 上手く演じきる自信はなかった。康一本人は素直で良い奴だが、その周囲にはあまりにも個性的すぎる人間が集まっている。挙げていけばきりがない。

「康一君、探してたのよ!」

聞き覚えのある声が背後から上がり、振り向くと髪の長い女が笑顔で駆け寄ってくるのが見えた。

「由花子さん!」

仗助の姿をした康一がその名を呼んだ。背の高い美人だが、その内側はとんでもなく激しい思い込みと康一以外の人間に対する容赦なさが渦巻いている。
そんな由花子と康一は最近付き合い始めたばかりで、放課後や休日は一緒に過ごしているらしい。 誰とも付き合ったことのない仗助にとっては、そんなふたりが少しだけ眩しく見えた。遠くから眺めている限りでは。

「それじゃ康一君、あたしと一緒に帰りましょう」

仗助と康一の魂が入れ替わったことなど知るはずもない由花子は、康一の姿をした仗助の腕を強く掴んで引っ張っていく。これはまずい、これからの対策を立てていないまま 康一と離されてしまっては、今まであまり話したことのない由花子とふたりきりで、どう振る舞えばいいのか分からない。
同じ不安を感じたらしい仗助の姿をした康一が追いかけてきてくれたが、由花子の剣幕に圧倒されたらしく足を止めてしまった。スタンドである髪が揺れ、怪しい動きを していた。
ふたりは同棲しているわけではない。帰り道のわずかな間だけでも、何とか乗り切るしかないようだ。


***


「康一君に会えて良かった、週末の約束のこと話し合いたいし」
「し、週末?」
「昨日の電話で、あたしの買い物に付き合ってくれるって言ってたじゃない」

そう言うと由花子は、頬を赤く染めながらこちらを熱く見つめてくる。あの怖い由花子がこんな表情をしているのを、仗助は見たことがなかった。康一だけの特権というやつ だろうか。
康一を演じることに最初からつまずきそうになり、やはり不安になってくる。そんな時、道の向かい側から柄の悪い学生3人組がこちらに近寄ってくるのが見えた。 嫌な予感は的中し、3人にすっかり囲まれてしまった。真ん中のひとりがいやらしい目つきで由花子の全身を眺めた後、仗助のほうに視線を動かす。

「ようおチビちゃん、お姉さんと一緒にどこ行くのかな?」

他のふたりが、げらげらと下品な調子で笑う。本来の姿の時はおチビちゃんなどとは呼ばれないので、自分のことではないように思えた。しかし康一の身体で動いている今 は、由花子との身長差も持ち出されて貶されている。

「康一君とあたしは恋人同士なの、あんた達なんかお呼びじゃないわ。消えなさいよ」
「マジで!? 似合わねえ!!」
「こんなガキみてえな奴より、俺達のほうがいいって! たっぷり楽しませてやるぜえ」

連中のひとりが由花子の肩に触れる。その手を無表情で由花子が強く振り払った直後、仗助は前に出て3人を睨みつけた。

「俺の後ろに来い、由花子!」

そう叫んだ仗助の頭からはすでに、康一になりきることはきれいに吹き飛んでいた。もし康一なら別の言い方をするだろうが、そこまで考えていなかった。
由花子は呆然とした表情でこちらを見ているが、とにかく今は絡んできた連中を片付けることを優先する。由花子がそう簡単に連中の思い通りにされるとは考えられないが、 もし何かあったら康一に顔向けできない。

「何だてめえ、チビのくせに俺達相手にやろうってのか!」
「女の前でカッコ付けやがって、踏みつぶしてやるぜ!」

小柄な康一の身体で、どれだけの力が出せるだろうか。腕や足の長さを考えるとこの人数相手では明らかに不利だが、やるしかない。そう思いながら迫ってくる連中に向けて 構えた時、横から黒い髪が恐ろしい速さで伸びてきて、連中の首や腕、足に絡み付いた。髪に締め付けられて連中は悲鳴を上げ、地面に転がりながら悶え苦しんでいる。
やがて髪が引っ込むと、3人揃って青い顔をしながら連中は逃げて行った。
先ほどの叫びで怪しまれたか。横に視線を動かすと、由花子に強く抱き締められた。

「康一君、大丈夫だった!?」
「えっ……?」
「さっきは少しびっくりしたけど、嬉しかったの。だってあたしのこと、由花子って初めて呼んでくれたから」

熱っぽい声でそう囁かれて、先ほどとは違った意味でまずいと思った。康一なら有り得ない呼び方をしてしまい、魂が元に戻った後で微妙な行き違いが生まれないことを祈った。


***


道の途中で由花子と別れて、仗助はひとりになった。たった十数分だけでも他人になりきることが、こんなにも難しいものだとは。絡んできた連中とは乱闘にはならなかった ものの、心身共にぐったりしていた。家に帰って休みたいところだが、このままでは自分の家に帰れないので、とにかく再び康一と合流しなくては。
深く息をつきながら歩いていると、誰かにぶつかってしまった。すみません、と言いながら顔を上げた途端に仗助は絶句した。

「康一君じゃないか、そんな顔して具合でも悪いのかい?」

由花子にも匹敵するとんでもない厄介者の登場だ。ここまで運が悪いと、そういう星の下に生まれてきてしまったのではないかと思ってしまう。
岸辺露伴はこちらの考えなどお構いなしで、額に手のひらを当ててきた。

「熱はないみたいだね……そうだ、せっかく会えたんだし今から僕の家においでよ」
「はっ、いや、結構です!!」
「遠慮するなよ、君と僕の仲なんだし。昨日、君のイメージにぴったりの紅茶を買ったんだ」

てめえ気持ち悪いんだよイカレ露伴、と胸の内で絶叫しながら仗助は引きつった笑いを浮かべた。きみのいめーじにぴったりのこうちゃ。背筋がぞわぞわして耐えられない。 康一はいつもこんな悪夢のような時間に付き合わされているのか。由花子と一緒に歩いていた時のほうが何百倍もマシだ。

「こ、これから僕、塾に行かなきゃいけないので」
「塾なんかいつでも行けるじゃないか」
「何言ってるんですか、離してくださいっ!」

強引に掴まれた手を何とか振り払おうとしたが、露伴の背後にスタンドが見えた瞬間に仗助は気を失った。




後編→

back




2009/10/3