震える館/3 『仗助さん、とかよお……何か落ち着かねえんだよな。俺には呼び捨てでいいよ。かしこまった態度じゃなくて、普通のあんたでいいから』 『普通の、僕?』 『ああ、俺はそっちのほうがいい。これは命令っつーか、お願いかな』 『……そうか、分かった』 この時から露伴が、今までとは違う雰囲気を醸し出したのを仗助にも何となく感じた。まるで抑えていたものを解き放ったような。 ずっと気付かなかったのだ。この館に来た時から礼儀正しく完璧に振る舞っていた彼が、まさかあんなに高慢でとんでもない性格だということを。すっかり騙されていた。 「さっきから何回起こしてやったと思ってるんだ、ベッドから出もしないでぐずぐずしやがって! このくそったれが!」 「朝からうるせーな! いつまでも文句ばっか言ってんじゃねえよ!」 「ジョースターさんや承太郎さんより遅いなんて、最悪だな! 早く食って支度しろ!」 仗助を起こしに来た露伴と、部屋を出た時からこういう刺々しいやりとりを続けているうちに食堂に着いた。ほぼ毎朝のことなので、先に朝食を取っていたジョセフも承太郎も、 口論をしながら入ってきた仗助と露伴の仲裁にも入らない。大人としてどうかと思うが。 「露伴、コーヒーを淹れてくれ」 「あっ、俺にもー!」 「分かりました、準備してきます」 他の大人ふたりにものを頼まれた時は丁寧に対応する露伴を見て、こちらから望んだこととはいえ微妙な気分になった。 仗助の父親であるジョセフに使用人として雇われた露伴は4つ年上で、そんな彼にさん付けで呼ばれたり、敬語を使われるのは違和感があった。 ジョセフはともかく、自分は普通の高校生なのでそういう扱われ方には慣れていない。 なので敬語は無しで普通に接してくれと頼んだ途端、露伴は驚くほど豹変して仗助を見下しガキ扱いするようになった。あまりにも極端すぎる。 ジョセフは仗助に対する露伴の態度を咎めない。昔を思い出すので面白い、とわけの分からないことを言っていた。いつの時代の話だ。 「なあ、仗助」 離れた席にいたジョセフがこちらに寄ってきて、隣に座る。必要以上に顔を近付けてくるので、若くなった父親は少し苦手だ。 しかも今の年齢だと、明らかに顔が仗助と似ているので複雑だった。 「露伴君ってさ、ここに来る前に何やってたか知ってる?」 「いや、知らねえ」 「実は俺も」 「聞いてねえのかよ、あんた雇い主だろ」 「最初に会った時は、なーんか聞きにくい雰囲気でさあ。で、結局そのまま」 やがてマグカップを両手に持った露伴が戻ってきたので、ジョセフは立ち上がりそれを受け取りに行った。 そう言われてみれば、仗助は露伴のことをあまり知らない。毎日顔を合わせるたびに激しいやりとりになるので、まともに会話をするきっかけがないのだ。 しかし今の状態で聞いてみても、お前には関係ないだろと跳ね返されてしまいそうだ。しかもそう言う露伴の不機嫌そうな表情まで浮かんでくる。 やはり、深く関わらないほうが身のためか。 客間に通した億泰と康一は、部屋の中を見まわしては感嘆の声を上げた。 「いつ来てもすげえよな、仗助の家!」 「仗助君のお父さんって外国の不動産王なんだよね、こんな家にふたりで住んでるの?」 「いや、今は3人。じじいが雇った、飯作ってくれてる人もいるから」 「おいおい、それって可愛いメイドか? ご主人様って呼ばれてんのか!?」 億泰は勝手に想像して盛り上がっているが、実際は可愛くも何ともない高慢で口の減らない男だ。そう思ったが黙っていると、突然客間のドアが開いた。 入ってきたのは、人数分のティーカップやケーキを乗せたトレイを持った露伴だった。客が来ているためか、珍しく執事風の衣装を身に着けている。 「お茶とお菓子持ってきたぜ」 「悪いな露伴、急に頼んじまって」 「別に……僕の仕事だからな」 無愛想に答えながらティーカップをトレイから下ろす露伴を、近くに座っている康一が驚いた顔で見つめていた。 理由は分からないが、その表情からはただごとではない何かを感じさせる。 「……もしかして、岸辺露伴先生ですか」 康一の問いかけに、露伴の手が止まる。その顔が一瞬で青ざめたのを、仗助は見逃さなかった。 「そうですよね、雑誌に写真載ってたから……あのっ、僕はずっと露伴先生の漫画のファンで、連載も毎週楽しみに読んでました。でも先月からいきなり載らなくなってしまったので心配してたんです。 仗助君の家で何をしているんですか、これが先生の仕事ってどういうことですか?」 「それ、は」 「もしかして漫画を描くために、違う仕事を体験しているとか? リアリティは大事だって、インタビューでもよく言ってましたもんね。一段落したら、連載も再開しますよね?」 露伴は康一の追及に何も答えず、こちらに背を向けた。いつもの雰囲気とは違う、今にも泣き出してしまいそうにも見える。 沈黙の中、おぼつかない足取りで部屋を出ていった露伴に仗助はかける言葉が見つからなかった。 億泰と康一が帰った後、露伴の部屋を訪れた。 執事服のままベッドに横たわっていた露伴は、部屋に入ってきた仗助を見ても怒るどころか目を伏せて黙っている。仗助はベッドに腰を下ろし、露伴に視線を向けた。 「康一には、人違いだって言っておいたぜ。知られたくなさそうだったから」 「そうか、すまない」 「あんた、漫画家だったのか」 「雑誌で連載も持っていたが、色々あって打ち切られた」 雇い主のジョセフも知らなかった露伴の過去。気になってはいたが、まさかこんな形で聞くことになるとは思わなかった。 「ここで働きながら借金を完済した後、漫画家として最初からやり直すつもりでいた。たとえ何年かかっても……そう思っていたが、熱心なファンもいるんだな。もう 二度と描けない連載の続きを、あんなに」 「……露伴」 「僕が落ち着くまで、ここにいてくれないか」 追い出されるかと思っていた。仲の良い友達でも、露伴の漫画のファンでもない自分に何ができるのか分からないが、こんな状態の露伴を放っておけない。 そういえばこんなに長く、まともに会話を続けられたのは初めてだ。枕から顔を上げない露伴の身体は小刻みに震えていて、見ているだけで痛々しかった。 眠った露伴を見届けて部屋を出ると、承太郎が壁に背を預けて立っていた。いつからここにいたのだろう。 「どうしたんすか、こんなところで」 「露伴を探していたんだが」 「すみません、あいつ具合悪いみたいで少し寝るって」 そうか、と小さく頷いてから歩き出した承太郎の横を、仗助も並んで歩く。普段ならそろそろ夕飯の支度を始める時間で、厨房に露伴の姿がなかったので探しに来たのかもしれない。 先ほど聞いた露伴の過去については、自分の胸にだけしまっておくことにした。経緯は穏やかではなかったが、せっかく打ち明けてくれたのだから。 そんな時、承太郎が脇に何かを抱えていることに気付いた。大きな紙袋に包まれた、平らなもの。 「どっかに買い物でも行ってきたんすか?」 「ああ、露伴に頼まれた。空いた時間に絵が描けるようにと、スケッチブックを」 「絵、って」 「漫画家としての勘を忘れたくないそうだ」 あっさりと告げられたその言葉に、仗助は凍りついた。承太郎は何故、いつの間にそれを知ったのか。雇い主のジョセフや仗助よりも先に、本人から打ち明けられたのだ。それしか考えられなかった。 決して露伴には、特別な感情は抱いていなかった。そのはずが今は、息苦しくて切ない。 |