震える館/5 風呂掃除を終えて出てきた露伴と、いかにも偶然顔を合わせたかのような調子で仗助は曲がり角の陰から姿を現した。 「よお、掃除終わったとこか?」 「わざとらしいな、もしかして待ち伏せしてたのか」 企みをあっさり見抜かれて苦笑いする仗助に、露伴は心底呆れたと言わんばかりの顔をしている。 今日は執事の衣装ではなく、腹や腕を出したデザインの大胆な服だった。風呂の掃除をするので動きやすいものを選んだのだろう。 先日、この館に連れてきた康一は露伴が以前描いていた漫画のファンで、今ここで働いているのは何故かと厳しく追及してきた。運が悪いことに、顔まで知られていたのだ。 青ざめ、明らかに動揺していた露伴を見た仗助は、このままではまずいと思った。 露伴が客間から出ていった後、康一にはお前が知っている漫画家とはよく似た別人だと説明した。 そして部屋で伏していた露伴が落ち着くまでそばにいた。気のきいた言葉は思いつかず、あの時の自分ができたのは露伴をひとりにしないことだけだった。 更に気になったのは、承太郎との関係だ。露伴が自分の過去を、誰よりも先に打ち明けていた相手。いつの間にそんな関係になったのか。 勝手に思い込んでいるだけかもしれないが、どうしても気になった。 仗助が色々考えている間に、露伴は別の方向へと歩いて行った。 「ち、ちょっと待ってくれ!」 「まだ何かあるのか、僕は暇なお前と違って忙しいんだよ!」 「もしかしてあんた、承太郎さんのこと好きなのか?」 「はあ!?」 「うわっ、動揺しやがった……やっぱりかよ」 「勝手に決めつけるな!」 しばらく口論になった後、露伴は深く息をついた。疲れたように壁にもたれると、天井を見上げながら呟く。 「この前、海に誘われた」 「……まじで?」 「まあ別に、僕じゃなくても良かったんだろうけど。もちろん断ったさ。今の僕の立場で、誘われて気軽について行けるわけがない。だって使用人だぞ?」 それを聞いて仗助は、安心どころか更に不安が増した。あの人が自分の大切な場所に、どうでもいい相手を誘って連れていくとは思えない。 仗助自身も承太郎と知り合ってからまだ数ヶ月しか経っていないが、これだけは分かる。 誰でも良かったわけではない、承太郎は露伴を選んだのだ。 ようやく気付いた。いつの間にか露伴に恋をしていたことに。今感じているのは嫉妬だ。 「あの人も……俺も、あんたの立場だの使用人だの、そんなこと考えてねえよ! だから承太郎さんはあんたを誘ったんだ!」 露伴の表情が凍りついた。仗助も、頭が混乱して勢いで叫んでしまった。憧れの人とはいえ、恋敵をフォローするという愚かな行為。これではまるで、ふたりを応援している ようでわけが分からない。決してそんなつもりではなかった。更に言わなければならないことがある。 頭の中でそれをまとめていたが、急に露伴に睨まれて真っ白になった。 「何も知らないお前が、この僕に偉そうに説教か!? そんなもの聞きたくないんだよ!」 廊下の端にまで聞こえるような大声で怒鳴った露伴は、こちらに背を向けて走り去った。 仗助は震える手で、ポケットから折りたたんでいた紙を取り出す。雑誌の懸賞で当たった映画の券。2枚あるので、片方は露伴に渡して一緒に観に行こうと思っていたのだ。 しかしこの状況では、もう誘えない。 できるなら数分前まで時間を戻してやり直したいと、心の底から願った。 その日の夜、通りかかった部屋の中から誰かの話し声が聞こえた。 ドアが少し開いているので、そこからそっと中を覗く。するとジョセフと露伴が向かいあったソファに腰掛けて何かを話し合っている最中だった。慌ててドアの隙間から身を 離し、見つからないように呼吸まで最小限に抑える。 気まずいので立ち去ろうとしたが、その直前に聞こえてきたジョセフの言葉で足を止めた。 「ねえ露伴君、俺との約束忘れてないよね」 「忘れてません」 約束とは一体何だ、初めて聞いた話だ。露伴は一体、ジョセフにどんな約束をさせられたのだろう。ここに長く留まっているのは危険だが、この機会を逃すと永遠に聞けないままだ。 「どーかなあ……しつこいようだけど、破ったらこの館から出て行ってもらうよ」 「分かっています。仗助とも承太郎さんとも深い関係にはならないこと、ですよね」 身を隠しながら仗助は、それを聞いて大きな衝撃を受けた。これが本当なら、自分は露伴にとんでもないことを言ってしまった。何も知らなかったとはいえ、激しく後悔した。 散々追い詰めて怒らせたのだ、絶対に嫌われた。 「何もかも失った僕がやり直すためには、ここで働くしかないんです。他の仕事ではもう、あの借金は返せない」 「まっ、そうだよね。真面目に頑張ってくれていれば、追い出したりしないよ」 仗助はうまく身体に力が入らず、壁を支えにしながら部屋の前から離れた。 約束、借金、出て行ってもらう。ふたりが交わしていた会話の一部が、延々と意識をかき乱していた。 ようやく階段を上って、自分の部屋に行こうとしたが無理だった。階段近くの床にしゃがみこんで、堪えていた涙を流す。 「仗助、どうした」 聞き慣れた声が、頭上から降ってきた。多分真っ赤になっている目で見上げると、承太郎が身を屈めて仗助を見ていた。 この人は悪くない、醜い嫉妬なんかで承太郎を憎みたくない。 「俺は、露伴のことが好きなんです……でもそれはだめなんだ、あいつはここにいられなくなって、やり直せなくなるから」 「何言ってるんだお前、分かりやすく話せ」 両肩を強く掴まれながら、ひとりであの事実を背負っているのは耐えられないと思った。仗助は承太郎に、先ほどあの部屋でジョセフと露伴が話していた内容を全て話した。 普段は冷静な承太郎が、顔色を失っていく。それを見て仗助は涙が止まらなくなった。 |