震える館/6





日本に来るといつも眺めている海を見せたくて、露伴を誘った。
しかし断られ、理由も言わぬまま部屋を出て行ってしまった。この広い館中の掃除や洗濯、食事の支度など毎日多忙のようなので休みを取る暇がないのか。それとも自分は 何かの理由で嫌われているのか。はっきりしないまま時間が経った。
誘ってくださって嬉しい、と言っていたので、やはり嫌われてはいないようだ。妻と娘がいる身でこんなことで悩むのは間違っているが、気になって仕方がない。
館の外に連れ出してみたいという欲望が日増しに膨らんでいた。
そんな時、廊下に座りこんで泣いていた仗助から衝撃的な事実を聞いた。


***


「どうしたんですか、こんなところで」

今日の仕事を終えたらしい露伴が、こちらを見て驚いていた。ノックをしてみても本人が出てこなかったので、部屋の前で立って待っていたのだ。
もう日付が変わる少し前の遅い時間だが、どうしても朝になるまでに話をしておきたかった。気持ちが悪いと言われるのは覚悟の上だった。

「少しだけあんたと話がしたい」
「……中に、入りますか」
「いや、ここで構わねえ」

露伴は気を遣ったのか、すぐ目の前にある部屋を視線で示したが断った。

「あんたは俺達と深い関係になると、この館から追い出されるってのは本当か」
「どうして、その話を」
「じじいと話しているのを立ち聞きした、すまない」

ジョセフと露伴の話を聞いたのは承太郎ではなく仗助だが、嘘をついた。仗助は今、露伴とは気まずくなっているらしいので、ここで名前を出すと更に厄介なことになる。

「確かに僕は、ジョースターさんと約束しました。破った時の処分は厳しいですが当然だと思います。使用人が、雇い主の家族と間違いを起こすなんて」

目を伏せ、胸の前で片手を握り締める姿に心が揺れた。仗助から聞いた話の真偽を確かめに来たはずが、目的を見失ってしまいそうだ。

「知らなかったとはいえ、あんたを困らせちまったな」
「あなたと一緒に海へ行くのは嫌じゃないんです。ただ、ジョースターさんに誤解されてしまう気がしたので……ここを追い出されるわけにはいかない」

借金完済と、自身の漫画家としての再起がかかっているのだ。それを邪魔してはいけない。まだ若い露伴の未来を奪うのはあまりにも残酷だ。
そんな思いとは逆に手が動き、露伴の頬に触れた。明らかに困惑している視線が向けられる。すっかり煽られてしまい、承太郎はその目蓋に唇をそっと押し当てた。
深刻な事情を抱えているはずの露伴はろくな抵抗もせずに、目を閉じたままそれを受け入れた。逆上して突き飛ばしてくれれば正気に戻れるのにと、身勝手なことを考える。
唇を離すと、目を開けた露伴と視線が合う。

「俺は明日、アメリカに帰る。これが最初で最後だと思って、許してくれ」
「ずいぶん急なんですね……」
「さっきのことでじじいに責められたら、その気もないのに強引にされたと言えばいい」
「責任は、僕にもあります」
「おやすみ、露伴」

名残惜しさを隠しながら、露伴に背を向けて歩き出す。再び日本に来るのはいつになるだろう。できれば露伴が祖父との契約を終えて、この館を出た後が望ましい。


***


「みーちゃった、お前と露伴君のキス!」

階段の上から陽気な声が聞こえた。視線を動かした先には、予想通り祖父が立っていた。
何やら面白がっているらしく、にやにやしている。祖父は常にどこかで見張っているのではないかと思うほど、館の住人の行動を把握していた。
祖父は少し大げさに表現しているが、先ほどのような形のキスならアメリカでは娘にも何度もした。夜に寝る前の、挨拶の意味で。
露伴の目蓋にくちづけた時に、密かに込めた感情は娘に対するものとは全く違う。仗助の件や祖父と露伴が交わした約束など様々な事情が重なったため、あれが精一杯だったのだ。
しかしその中に、自分が結婚しているという現実は含まれていなかった。恐ろしい。

「早速あいつを追い出すつもりじゃねえだろうな」
「まっさかあ! だってあれは、その気のない露伴君にお前が強引に迫ったっていう設定なんでしょ? 泣けるよねー、愛だね」

全部見てやがったのか、と思い承太郎は得意顔の祖父を睨んだ。これくらいで怯むような相手ではないが、憤りを抑えられない。
互いの秘密のつもりで告げた言葉すらも筒抜けで、平気でいられる人間がどこにいるのか。

「でもさ、もしさっきのがきっかけであの子がこの館を出ていく羽目になったら、それは全部お前のせいだよ承太郎」
「くだらねえ約束させやがって……!」
「そういう契約なんだから仕方ないね、露伴君も納得してたぜ? あの時は」

最後の言葉を、祖父はやけに強調して口に出した。まるで最初からこうなることを予想していたかのように。

「あいつは今までの連中とは違う。あんたも気付いてるはずだ」
「さあ、どうだか」
「いい加減、認めろ」

祖父の心の奥底に根を張っているものの正体を、承太郎は知っていた。それが消えるまでは、露伴をこうして疑い続ける。




7→

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2011/7/18