震える館/7 コンビニで買ってきた缶ビールを一口飲み、唇を離した途端に全身がじわりと熱くなった。 心臓の動きも激しくなっている気がする。やはり自分は、酒との相性が悪いようだ。 ビールの缶を置いて、露伴はテーブルに顔を伏せる。他には誰もいない深夜の食堂は静かで、最小限の照明だけを点けて飲み慣れない酒に溺れた。 1度はベッドに入ったが、数時間前の承太郎とのやり取りを思い出すと眠れなかったのだ。 頬に触れた手、目蓋に押し当てられた唇。それらの感触は媚薬のように全身に広がり、理性まで侵した。自分の状況を考えると、本当は拒むべきだった。しかし久し振りに 人から与えられた軽めの愛撫が、たまらなく心地良かった。酔った頭で、更に淫らな行為まで妄想しては熱い息をつく。 「何だよ、ひとりで晩酌?」 ドアの近くから仗助の声がして、気配がこちらに近づいてくる。食堂から漏れていた光で、誰かが中にいることを知ったようだ。 「そんなに潰れちまって……どんくらい飲んだんだよ」 その問いに露伴は顔を上げないまま、人差し指だけを立てた。嘘だろ、という呟きが聞こえてくる。誰が見ても、まさかビール一口だけでこうなったとは思わないだろう。 「だって缶の中身、ほとんど減ってねえし」 「こんなことで嘘なんかついてどうする」 「いや、でも弱すぎじゃねえ?」 「うるさいな! ほっといてくれ!」 テーブルから顔を上げ、露伴はそばに立っている仗助を睨んだ。普段ならこの時点で仗助も怒り出して口論になるのだが、今日は何故かそういう流れにはならなかった。 仗助は今まで見たことのない真剣な表情で、こちらを見ている。一瞬、酔いが醒めそうになった。 この雰囲気に耐えられなくなった露伴は、テーブルに片肘をついて小さく笑い声を上げる。 「なあ、お前から見て僕はどういう人間だと思う?」 「どうって……まあ、言っちゃ悪いけどよ。短気で、すぐに俺のことガキ扱いして見下すし正直むかつく奴。でも仕事は完璧だし、意外に根は真面目かもって」 「僕はセックスが好きなんだ、特に男とのな」 付け加えるように言うと、仗助はよほど驚いたのか口を半開きにしたまま黙りこんだ。 「ここに来る前までは漫画も売れて順調だったし、仕事の合間に遊ぶのが快感でさ。相手が女でも悪くないが、僕を思い切り犯してくれるのは男だけだろ? 優しくされる より、壊れるくらい激しくされるのが好きなんだ。相手に不自由したことはなかったから、楽しかったよ」 明らかに仗助の顔色が悪くなっていく。こんな話は、ジョセフや承太郎は知らない。 多少の脚色は加えているが、同性との性行為が好きなのは本当だった。抱いたり抱かれたり、同じ相手でもその日の気分で変えられるのが面白い。自分にもそれなりに好み があるので、誰とでも寝られるような節操無しではなかったが。 しかし何もかも失ってこの館に来てからは、性行為は一切していない。 使用人とはいえ館の外にも自由に出られるので、街へ行き一時の欲を満たすだけの相手を探すことはできる。 それをしなかったのは、今はとにかく借金を完済することに集中したかったからだ。広い館で毎日忙しく働いていれば、性欲に翻弄されずに済むと考えていた。 そんな禁欲生活の中、承太郎からの意味深なキスに動揺した。舌を絡めるような深いものではなくても、忘れようとしていた感情が再び目覚めるには充分すぎる刺激だった。 「僕はお前が思っているほど、真面目な奴じゃない。これで分かったか?」 そう言って目を逸らしかけた時、仗助に突然抱き締められた。強い腕の力、かすかな香水の匂いと温もりを感じて、胸がざわつく。失望して背を向けると思っていたのに。 「離せよ、痛い」 「話聞いて、最初はびっくりした。きっと本当のことなんだろ……でも、嫌いになれねえ。ほっとけない」 「もしかして、僕とやりたくなったのか?」 「あんたが好きなんだよ!」 食堂中に響いた仗助の告白に、露伴は言葉を失った。 「じじいや承太郎さんと、あんたが一緒にいるのを見ると落ち着かなくてさ。俺の知らねえとこで何話してんのか、考えるだけでどうにかなっちまう」 どうにかなりそうなのは、こっちのほうだ。こんなにストレートに告白されたのは初めてだった。以前にベッドの中で別の男に囁かれた、欲に濡れた愛の言葉とは重みが違う。 「俺、あんたとじじいの約束のこと聞いちまった。ふたりで話してただろ」 「おい、確かそれは承太郎さんも」 「もし俺の気持ち受け入れてくれるなら、じじいに頭下げて露伴を追い出さねえように頼むよ。何時間でも、一晩中でも……本気だから」 あれから仗助は、その場では返事を求めずに食堂から出て行った。 一晩明けた後でもまだ混乱している。この館の住人達とは必要以上に関わらないようにしてきた。ジョセフとの約束を守れなくなるような、余計な感情が生まれてしまうと面倒だからだ。 今は、誰とも恋愛をする気にはなれない。返事を求められたら断るつもりでいる。 学校に行く仗助、そしてアメリカに帰る承太郎を見送った後は洗濯を済ませ、昼食の時間まで余裕ができた。天気も良いのでスケッチブックを取りに行き、外で風景を描くことにした。 玄関の扉を開けようとすると、呼び鈴が鳴った。ジョセフの客かと思い扉を開けた露伴は、そこに立っていた人物を凝視した。顔も名前も知っている、眼鏡をかけた若い男だ。 「露伴先生、お久し振りです。ずっと探していました」 「……お前、一体何しに来たんだ」 「またうちの雑誌で漫画を描いてほしいと、編集長が」 力の抜けた露伴の手からスケッチブックが滑り、音を立てて足元に落ちた。 |