震える館/8





館を訪ねてきた男は、先月まで露伴が漫画を連載していた雑誌の編集部の人間だった。
彼は紙袋に入っていた分厚い紙の束と、大量の手紙やハガキを取り出して客間のテーブルに置いた。紙の束の正体は、連載再開を望む読者からの署名だ。
連載が突然打ち切りになってから、そのような読者の声が多く届いているらしい。ここに持ってきたのもほんの一部だと。
さすがに編集部も無視できなくなり、家を失い居所が分からなくなった露伴の行方を探し続けていたという。

「もし露伴先生がまたうちで描いていただけるのなら明日、編集部のほうに来てください」
「ああ、分かった」
「これは個人的な気持ちなんですが、俺も先生の連載があのような形で終わってしまったのは悲しかったです。今の会社に入る前からずっとファンだったので」

露伴が担当者と揉め事を起こした時、仲裁に入ってきたのは彼だった。編集長まで出てきて騒ぎが大きくなると、自分が担当している漫画家でもないのに熱心に露伴を庇っていた。
あれから首が飛んでしまったのではないかと気になっていたが、安心した。
当時は心の片隅で、こいつとなら寝てもいいと思った。しかし彼の左手の薬指を見て我に返り、更に新婚だと後から聞いた。
会社に戻る男を玄関で見送った露伴は、部屋にいるはずのジョセフの元に向かった。


***


「そっかあ、良かったじゃないの!」

先ほどの出来事を報告すると、ジョセフは笑顔で露伴の背中を叩いてきた。

「明日、編集部に行ってきます」
「で、ここはどうするの? 漫画を描きながら館の仕事をするのって、きつくない?」
「とりあえず原稿料が入ったらアパートを借りて、そこに引っ越そうかと。これからは漫画家としての稼ぎで、借金を返していきます」

約1ヶ月ほどこの館で使用人として家事全般をこなしてきたが、やはり漫画との両立は厳しそうだ。気まぐれに取材に行ったり、気分が乗れば寝食も忘れて描き続けるので、 毎日決まった時間に食事を作って掃除や洗濯をする余裕はない。
ジョセフは椅子から立ち上がると、部屋の隅にある机の引き出しを開けた。そしてそこから取り出した封筒を露伴に手渡す。かなり厚くて重い。中には1万円札の束がふたつ入っていて、それは使用人としての2ヶ月分の給金だった。

「ジョースターさん、これは」
「それだけあれば、すぐにアパート借りられるんじゃない? 俺からのお祝いってことで」

確かに再び漫画家として活動していくなら、今までのような使用人の仕事ができないままこの館にいるよりは、ひとりで暮したほうが良いに決まっている。しかし、何故ジョセフは ここまで親切にしてくれるのか分からない。約束は守り続けてきたが、それ以外に彼が喜びそうなことをした記憶はなかった。

「実は君の前も何人か、使用人を雇ってたんだよね」

そこまで言うと、ジョセフの表情が厳しいものに変わった。

「でもみんな、何日も経たないうちに辞めたけど。っていうか俺が追い出した。まだ高校生の仗助や、結婚してる承太郎に色目使ったり迫ったりしてさ……お前ら何しに来て んだよって感じ。しかもこの姿の俺にまで手を出そうとしやがった。本当は80近いじいさんなのにな」

初日に交わしたジョセフとの約束は、そういう出来事が重なったからこそのものだと分かった。館の主として、厳しい言葉や態度で露伴を試したのかもしれない。

「だからもう嫌になって、雇うのは君で最後にしようと思った。仗助や承太郎とは深い関係にならないって約束付きでね。始めは疑ってたけど、君は真面目に頑張ってくれてた。 あいつらがあんなに心を開いたのは、露伴君が初めてだよ」
「借金を返すことしか、頭になかったので」
「俺は若い頃、頑張るとか努力ってのが嫌いだった。だから目的のために、ちゃんと前に進んでる君が眩しかった。もっと早く会いたかったよ……」

ジョセフの様子がおかしい。微笑みながら露伴の髪に触れようとした大きな手の動きが止まり、全身の力が抜けたかのように絨毯に倒れ込んだ。

「……ジョースターさん!?」

顔を覗き込んでみると、両目は閉ざされていて意識がないようだ。突然のことに驚いたが、今この館で動けるのは露伴ひとりだけなので呆然としている暇はない。
ジョースター家を長年バックアップしている財団があり、もしジョセフの身体に異常が起きた時は、そこに連絡を入れることになっていた。 外部の人間である露伴はあまり詳しくは分からないが、その財団は医療の他にも超常現象の研究や調査まで行うと聞いている。
老人が青年に若返るという奇妙な病気自体、普通の医者では手に負えないからだ。
露伴はジョセフをベッドまで運んで寝かせた後、財団に電話をかけて事情を話した。




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2011/7/21