ダメージ/4 ベッドに腰掛けた露伴は虚ろな目で、消毒を済ませた右手を眺めている。 浅く切れた程度の、縫う必要はない軽い傷だ。数日もすれば痕も残らず治るだろう。そして頬のすぐ下辺りにも同じような傷が刻まれている。仕事上、手よりもそこを 心配するべきだろうが、手の傷のほうがずっと気になるようだ。 「落ち着いたか?」 薬の入った箱を片付けて戻った承太郎が問いかけると、露伴は右手の甲にある傷に触れながら肩を震わせる。 「ぼくの手に傷をつけるなんて……絶対に許さない、殺しておけばよかった。その前に目を潰して、耳も」 「おい、何言ってやがる」 「どうして邪魔したんですか!」 「あんな奴のために、これからの人生を棒に振るつもりか」 この家を訪ねた時に目にしたのは、階段の近くで見知らぬ男に馬乗りになり、刃物を振り下ろしている露伴の姿だった。承太郎が彼の名を呼んだ瞬間、こちらを 向いて動きを止めた露伴を突き飛ばして、男は逃げて行った。 「あなたの声が聞こえたんです、ぼくの描いたものを見たいって。でも手がダメになったらもう描けないじゃないですか」 正気を失った露伴の目には、漫画が描けなくなるほどの酷い傷に映っているようだ。知り合ってから日は浅いが、今まで見たことのない痛々しい様子に承太郎は唇を噛む。 露伴が心に受けたダメージは計り知れない。それは今夜の出来事だけではなく、積み重なってきたものが限界を超えたことも含まれていると感じた。その原因は、分かっている。 「無理に描かなくてもいい」 「……え?」 「おれが、あんたをここまで追い詰めたんだろう。悪いのはおれだ」 「何、言って」 「もう、あんたには会わない」 本当は辛い決断だが、これが最良の選択だと思った。今の露伴が描いた漫画を読みたいという願いが、知らないうちに本人の重荷になっていたのだ。しつこいだのうるさい だのと罵られても当然だ。きっと露伴は承太郎に出会わなければ、今の仕事を楽しみながら順調に日々を送っていたに違いない。 そしていつの間にか漫画だけではなく、それを描いた露伴自身にも心を奪われていた。 ただの友人としてでもいい、できればもっと一緒に過ごしたかった。 承太郎から離れていれば、露伴は前の自分を取り戻せる。 何も言わずに立ち上がった承太郎の腕を、露伴が強く掴んできた。虚ろだった目には光が戻っている。 「漫画家になる夢は諦めたはずなのに、昔描いた原稿をどうしても捨てられない。あなたに会うまで、ずっと気付かない振りをしてたけど……本当は、また漫画を描きたかったんだ」 「露伴……」 「ぼくがこれから描く漫画の、最初の読者になってほしい」 好きです、と露伴が呟いた。届かなくてもいい、それでも構わないというような小さい声だった。左手の指輪がなければ、その告白を素直に受け入れていた。 言葉の代わりに唇を寄せて重ねる。直前に目を閉じて応えた露伴を見て、気持ちが抑えられなくなった。 「おれも、あんたが好きだ」 とうとう口に出してしまった。そんな承太郎に、露伴は目を見開いて呆然としている。 「ぼく、承太郎さんからその言葉が聞けただけでもう……嬉しい」 暖房の入っていない部屋の中、抱き合っていると肌寒さすら感じなくなる。 結婚している自分がこんな状況になるのはまずい、しかし普段は素っ気ない露伴が甘えてきている。この雰囲気に、欲望のまま流されてしまいたい。 ベッドのそばで服を脱いでいる最中、承太郎は肝心なことを思い出す。酔っている状態でも、露伴が当然のように鞄から取り出したものを。 「あれ、持ってないか」 承太郎がそう尋ねると、シャツのボタンを外した露伴が一呼吸置いてこちらを見上げてくる。 「着けないでするの、嫌ですか」 「どうした、急に」 「定期的に健康診断受けてますし、性病の心配はありませんから」 「おれが気になるのは、それじゃねえよ」 「ぼくは今までずっと、生でしたことないんです。風俗やってる身でこんなこと言うのもおかしいけど、承太郎さんにぼくの初めての、を」 露伴は赤面しながら目を逸らす。彼が言いたいことは、人の気持ちにはあまり敏感ではない自分にも充分に伝わったので、承太郎は全裸になった露伴をベッドに押し倒す。 覆い被さっただけで露伴は息を乱し、性器が勃ち上がりかけていた。それを握って扱いてやると、すぐに先端が濡れる。今更だが感じやすいのかもしれない。 「強すぎ、っ……ちょっと、待って」 「やめてもいいのか」 「そうじゃなくて、あまり激しくされるとすぐに」 「構わないぜ、おれは」 時々先端を指で刺激しながら扱いているうちに、露伴は声を上げて達した。痩せ気味の腹や胸に、放った精液が飛び散る。ぐったりしている露伴の両足を開かせ、手にも絡まった 精液を使って尻の窄まりを解していく。男相手のやり方は、すでに把握していた。全てを教えてくれた人間がここにいるので、間違っていれば指摘してくれるはずだ。 「あんたは、ここがいいんだよな」 探り当てたのは、露伴本人から聞いた弱い部分だ。濡れた目で何度も頷きながら、承太郎の指を締め付ける。指を増やして更に拡げていき、繋がる準備を進めた。 腰を動かし、中を犯すたびに露伴は短く喘ぎながら背中にしがみついてくる。初めて繋がった時の余裕が今はなく、無防備な状態で承太郎に貪られて涙を流す。 風俗の仕事をしている男とは思えない反応だった。おそらくこんな顔は、店に来た客達には見せていないのだろう。 どんな客相手でも優位に立ちながら、身体を張って満足させなければいけないのだから。 今日は隔てるものがなく、ねっとりと絡みついてくる粘膜やきつい締まりを直で味わっていた。前とは比べ物にならないほどの快感が襲ってくる。 「気持ち、いいですか」 「おかしくなりそうだ」 「ね……ぼくを、あなたのものにしてください。身も心も全部、承太郎さんのものに」 それは風俗の世界から、完全に縁を切るという意味か。快感で頭をやられながらも、本気になった露伴の一途さがどこか恐ろしかった。手を傷付けた男に殺意を抱いた 時の、狂気じみた様子もよみがえってくる。 両足を腰に絡めてきた露伴に煽られ、承太郎は深く挿入したままで射精する。身体を震わせながらそれを受け止める露伴に頭を抱え込まれていると、逆に自分が露伴のものになった 気がした。 |