リセット/前編 「そういえば最近、露伴とはどうなんスか」 夕方、学校帰りに部屋を訪ねてきた仗助がソファに腰掛けるとそう問いかけてきた。手渡した缶コーヒーのプルタブを開けて口をつけるのを眺めながら、承太郎も向かいに座る。書いていた論文がちょうど一段落したところだった。 「……先生と?」 「よく本の貸し借りしたり、町を一緒に歩いてたりしてますよね。あと承太郎さんの部屋にも」 「お前が何を言っているのか、分からないんだが」 話を遮って口に出した承太郎の言葉に仗助は、今まで頭の後ろで組んでいた両手をゆっくりと下ろす。よほど驚いたのか、唇を薄く開いたまま承太郎を凝視している。 「い、いや、おれが口出しすることじゃないっスよね。でも……露伴と喧嘩でもしたのかと」 「おれはあの先生と喧嘩するほど、深い付き合いじゃねえよ。部屋に入れたこともない」 勘違いをしているらしい仗助の誤解を解くために事実を話したはずだが、仗助は納得するどころか更に複雑そうな表情で俯き、頭を抱えた。 噛み合わない話、ため息が溶けた重い空気。この状態からどうすれば雰囲気を変えられるのか、いくら考えても分からなかった。 「承太郎、お前に頼みがあるんじゃ」 エレベーターの前で仗助を見送った後、廊下で顔を合わせた祖父がケースに入った1枚のMDを取り出して承太郎に見せてきた。どういうつもりなのか読めずに黙っていると、それを強引に手のひらに押し付けられる。 「それ、露伴君に渡してもらえんかのう。あの子の家までは少し遠くてな、お前なら頻繁に会うじゃろ?」 仗助に続いて、祖父までおかしなことを言ってきた。偶然町で会っても挨拶くらいしかしないはずの露伴と、個人的に会う用事も予定もない。スタンド使い同士として連絡先くらいは交換しているが、今のところ電話は1度も来ていなかった。 「じじいまで誤解してやがるのか」 「ん?」 「おれと先生の関係だ」 「誤解も何も、かなり親しい仲じゃないのかな?」 「わけがわからねえ……」 先ほどの仗助のように頭を抱えたい気分だ。知らないうちに事実が捻じ曲げられている。仗助だけではなく祖父までとなると、何もなかったようには流せなくなってきた。 納得のいかない理由で握らされたMDを突き返すのも忘れて、承太郎は祖父に背を向けて部屋に戻った。 一夜明けて、承太郎は海に向かった。平日の午前中なら静かで気分も落ち着くだろう。昨日の混乱を未だに持ち越したままで、部屋でパソコンに向かっていても全く集中できなかった。 岸辺露伴。ろくに交流もない相手で、決して険悪ではないが特別に仲が良いわけでもない。 いかれた変わり者だと仗助は言い、博識で礼儀正しい青年だと祖父は言う。 正反対の評価を聞きながらも、自分は露伴についての情報があまりにも少なすぎるので、具体的にどんな男なのかを思い浮かべることができない。そのはずが仗助や祖父は、承太郎と露伴は頻繁に会うだの部屋に入れているだの、特別な仲であるかのように語っていた。 からかっている様子もなく、彼らにとっては何度も目の当たりにしている事実なのか。しかし承太郎には全く覚えがない。 露伴の好きな食べ物や音楽、深い付き合いなら知っているはずの何もかもが思い出せず真っ白だ。このままでは海に着いても延々と悩み続けてしまう。 どろどろとした気持ちでバスに乗ると、座席に腰掛けている乗客と目が合った。 「承太郎さん……」 ひとり用の座席に、スケッチブックを抱えた岸辺露伴が座っている。承太郎の名前を呟いた後は、目を伏せて視線を逸らした。 会いたくなかった、と言いたげなその様子に、彼とは親しいどころか嫌われているようにしか思えなかった。仗助や祖父の話が一気に疑わしくなる。 動き出したバスの中、このまま離れた座席を選んで腰を下ろすこともできるが、祖父に頼まれていた用事を思い出したので、コートのポケットから出したMDを露伴に手渡した。 「じじいが、あんたに渡してほしいと」 「……そうですか、ありがとうございます」 「ところで、ひとつ聞いてもいいか」 露伴はまるで何かを恐れているような表情でこちらを見上げてきた。ここではっきりさせないと、これからも振り回される羽目になる。仕事が進まなくなるのは勘弁だ。 「おれとあんたは、ただの知り合いだよな。特別な仲でも何でもない」 「何ですか、急に」 「仗助やじじいが、おれとあんたの関係を誤解しているようだ」 「困りますよね、そういうの。あなたは結婚してるし、それに」 「それに?」 「辛いのも面倒なのも、もうたくさんだ」 再び視線を落とした露伴のイヤリングが、動きに合わせて揺れた。その数秒後、膝に乗せているスケッチブックに何かがぽたりと落ちて、小さな染みを作る。肩は小刻みに震え、スケッチブックに同じ形の染みが増えていく。 無意識に伸ばした指の行き先に戸惑った。もし触れてしまったらどうなるのだろう。 |