Survivor/2 原稿が一段落した頃、自宅の電話が鳴った。 表示されている番号には覚えがあるものの、かかってきたのはこれが初めてだ。 「はい、岸辺……」 『先生か? 俺だ』 少しずつ耳に馴染み始めていたその声を電話を通して聞くのは、どこか新鮮だった。 「承太郎さん……身体はもう大丈夫なんですか?」 『あんたが看病してくれたおかげで、まともに動けるようになった』 「途中でジョースターさんに代わってもらいましたし、僕は大したことはしていません」 『礼がしたい、今夜6時に駅前に来てくれ』 「えっ、ちょっと待っ」 急すぎる展開に、僕はさすがに動揺してしまった。そして電話はいつの間にか切れていた。僕の都合は? 僕の気持ちはどうなるんだ。しかし断る理由はなく、あの人が僕を どこへ連れていくのか興味があった。 待ち合わせの時間まであと1時間と少しだ。まだ余裕はあるが、僕は早速着替えて出かける準備を始めた。 駅前に行くと、すでに承太郎さんは着いていた。しかも約束していた時間の15分前に。 一体いつからここに居たのだろう。僕自身も少し早めに着いたので、時間のつぶし方を考えていたところだったのに。 壁にもたれながら腕を組んで立っているその姿は、男の僕から見ても憎らしいほどサマになっていた。 帽子の下から見える承太郎さんの目が僕をとらえて、視線が合ってしまう。 「……来たか先生、突然誘って悪かったな」 「今日は他に、予定が入ってなかったもので」 ところでこれからどこに行くんですか、と聞いても承太郎さんは何も答えずに先を歩いて行く。ずいぶん一方的な人だ。電話では僕に礼がしたいと言っていたが、その具体的な 内容は知らないままだ。それでもこのままついていけば分かるはずなので、黙って従うことにした。 3名様ごあんなーい! という店員の大声を聞きながら、僕はすでに数えていないが何杯目かの酒を喉に流し込んでいた。 家族連れや会社員の集まりやらで席が埋まっていて、周囲は常に騒がしい。 ここはどこにでもあるような居酒屋だ。まさかこんなところに連れて来られるとは思っていなかった。あまり承太郎さんが好むような雰囲気の場所では ないからだ。関わりの薄かった僕が彼の何を知っているのかと突っ込まれそうだが、あくまでイメージだと主張しておく。 最初は酒を飲むつもりはなかったのだが、途中から状況は変わった。 『まあ、先生は大人になったばかりだからな。俺に付き合って無理をする必要はねえよ、ジュースもあるぜ』 そんな承太郎さんの挑発的な言葉に苛立ちを覚え、結局飲む羽目になってしまった。メニューをひっくり返し、ソフトドリンクの欄を指差す承太郎さんを目の当たりにした時の、 あの屈辱は忘れられない。この僕を子供扱いするなんて許されないことだ、後悔させてやる。 そう決意したものの、実は飲み慣れていない酒は僕には少々きつかった。しばらく経つと妙に浮ついた気分になってきて、そんな自分を止められない。 「ちょっと承太郎さん、聞いてますか!?」 「ああ、聞いてるさ」 承太郎さんは先ほど運ばれてきた焼き魚を器用にほぐして、口に運ぶ。 「僕はね、自分の作品は完璧だと思ってるんですよ。それこそキャラクターの髪1本から台詞運びまで、全て僕にしか表現できないリアリティに溢れている」 僕は日頃ずっと思っていながらも、誰にも打ち明けたことのなかった愚痴をこぼした。承太郎さんは余計な口を挟むことなくそれを聞いている。僕が飲んでいるものよりも 強い酒を飲みながらも、よほど強いのか冷静なままだ。そんな様子を見ていると、やはり僕は大人になったばかりの年齢なのだと思い知らされるようだった。 それが悔しくて、僕はグラスの中に残っていた酒を一気に飲み干す。口の端から酒のしずくが伝い落ちてきて、それを手の甲で大雑把に拭い取った。 「なのに担当の男、この僕に文句を付けてきやがって。『先生の作品は、ただでさえ絵柄もキャラクターも個性が強すぎるのに、このままじゃますます読者の幅を狭くして しまいますよ』なんて言うんですよ! 僕の担当になってからまだ大した時間経ってないってのに、生意気なんだよ……」 僕がそこまで言うと、今まで黙っていた承太郎さんが箸を置いてようやく口を開いた。 「先生、あんたが仕事に対して誇りを持っているのは、充分に伝わってくる。そっちの道にはあまり詳しくない俺にもな。だが、あんたの望みは自分の漫画を読んでもらう ことなんだろう? 応援してくれてる奴らをないがしろにしてまで、自分の考えを押し通したいのか? プロ失格じゃねえか」 「……何ですって!?」 「金貰って仕事してるなら、それなりのスジは通せよ。あんたはひとりで仕事をしている気になってるんだろうが、本を出している会社の力がなけりゃ、読んでもらうこと すらできねえだろうが、違うか?」 承太郎さんの言葉のひとつひとつが、僕の胸を抉って深い傷を刻む。今度は担当でも何でもない、ただの素人だ。漫画家として、あまりにも屈辱的だった。 こんな展開を望んでいたわけじゃなかった。いくらここの食事代が全て承太郎さんの奢りでも、素人に痛いことを指摘されるという目に遭うくらいなら、最初から来なければ 良かった。 正面の席に座っている承太郎さんを睨みつけた直後、本格的に酔いが回ってきたのか視界が大きく歪み、僕は意識を失ってしまった。 気が付くと、僕はベッドの上で寝ていた。しかし明らかに自宅のものではない。 頭が痛くて気分が悪い。あの居酒屋で飲みすぎたようだ。酒をまともに楽しめない子供扱いされて、くだらない意地を張ってしまった。 話すようになってからまだ日の浅い承太郎さんに、醜態を晒したのが悔しい。酔った勢いで色々と余計なことまで口走ったのを、うっすらと覚えている。あんなことを言って どうなるんだ、結局恥をかいただけだ。やはり酒なんか飲んでも、ろくなことにならない。 それにしてもこの部屋、全く知らないものではなかった。まさかここは、と思っていると、どこからかドアが開く音がして大柄な男が姿を見せた。 「やっとお目覚めか、先生」 「……承太郎さん!?」 驚いた僕がその名を叫ぶと、彼はこちらに歩み寄りベッドに腰掛けた。 「店で酔い潰れたあんたを、ここまで運んだ。あそこからだと、このホテルのほうが近かったからな」 「すみません、ベッドまで借りてしまって」 僕がここで寝たということは、承太郎さんはソファを使ったのだろうか。どちらにしても、この前承太郎さんが熱を出した時とは立場が逆転してしまったようだ。 「後悔してますか、僕を飲みに連れて行ったのを」 「どうしてそう思う?」 「こうして、あなたに迷惑をかけたじゃないですか」 「あんたがどう思っていようが、俺は面白かったぜ。いつもなら、俺にあそこまで自分をさらけ出すことはないだろうからな」 承太郎さんはそう言って、少し目を細めた。ちらりとこちらを見た彼は、どう考えても僕をからかっているようにしか見えない。それに、僕が面白いだって? 描いた漫画を そう言われるならともかく、僕自身は面白いことをしたつもりはない。これ以上ここに居ても、嫌な予感しかしなかった。 とにかくまだ調子が悪いので、家に帰ってゆっくり休みたい。僕はベッドから降りると、承太郎さんに挨拶をして部屋のドアに向かう。何とか歩けそうで安心した。 「……先生」 「何ですか?」 「また誘ってもいいか、今度は違うところにでも」 あっさりとそう言われた途端、僕は驚いて振り返った。するとそこには、先ほどまでとは違い真剣な表情でこちらを見ている承太郎さんが居て、僕は戸惑った。 |