Dear my teacher/1





「足を開いて座るな」

車内アナウンスの流れる電車の中、承太郎は小声でそう言うと隣に座っている乗客の太腿を手の甲で軽く叩いた。 黒いストッキング越しに触れたそれは、固く引き締まっている。
乗客は一瞬だけこちらを見た後、開いていた両足を素直に閉じた。
今日は人工の睫毛を付けているらしく、両目が濃く強調されている。 前に見た時よりも上手くなっている化粧と、ゆるく巻かれた茶色の長い髪。町で見かけてすれ違う程度なら、少し体格の良い女として認識されるだろう。
ジャケットや長いブーツでなるべく身体の線を隠しているが、女にしてはごつい手や首まではごまかしきれていない。
隣の乗客は、女装した岸辺露伴だ。
変わり者だという噂はすでに聞いていたので、初めて彼の女装姿を見た時はそういう趣味があるのかと思った。しかしそれは間違いで、漫画に出す予定の女性キャラクター の表現に行き詰ったため、自ら女の格好をしてキャラクターの気分を味わったのだという。つまり、自分自身を漫画の資料にしたのだ。
あくまで漫画のためであって、趣味ではない。露伴はそう言い張っていたが、作り上げた女性キャラクターの人気が予想以上に高くなり、ファンから届く手紙にも彼女の出番を 増やしてほしいという要望が多く書かれるようになった。
女装までした努力が報われてめでたしめでたし、と言いたいところだが、これで全てが終わったわけではなかった。
終わりどころかむしろ始まりで、出番を増やすことにした女性キャラクターを更に掘り下げて描くために、露伴は前よりも女装を極める必要があった。今度は外見だけ飾るのではなく、 仕草なども含めて完璧に。その指導役として、承太郎が指名されたのだ。

―――『何で俺が』
―――『あなたには奥さんや娘さんが居るし、僕より女を分かっているでしょう?』

そういう理由なら、姉や彼女の居る康一も適任なのではと思ったが、女装した露伴を初めて見た時に、知らない振りをして立ち去ることができなかった自分にも責任はある。 今日だけなら、という条件で指導役を引き受けた。露伴の熱意に応えられるかどうかは別として。
茶色の巻き毛を少し摘み上げると、隠れていた露伴の耳にはいつものイヤリングはなかった。承太郎に正体を見破られた原因のひとつだったせいか、意識して外したようだ。
気が付くと、周囲からの視線を感じた。学生もサラリーマンも、こちらを見ている。
何も知らない人間から見れば、隣に座っている女の太腿に触ったり髪に触れたりと、どう見ても異様な光景かもしれない。やけに堂々とした痴漢と間違われているのか。

「僕達、いちゃついているカップルに見えてるんですかね」
「何を馬鹿なことを……」
「あなたの指導が優れている証拠ですよ」

気合いの入った化粧で艶が乗った唇の端を上げ、挑発的な笑みを浮かべる露伴を見て不覚にも動揺した。こいつは男だ、と強く自分に言い聞かせる。
しかも周囲に会話の内容が聞こえないように、お互いに顔を寄せ合って話をしているのが悪かったのか、余計に注目を集める結果になってしまった。
よく考えてみれば女装などしなくても、露伴の能力なら適当な女を捕まえてその記憶を読めば済む気がしてならない。それだと都合の悪い何かがあるのだろうか。

「次の駅で降りますよ」
「……ああ」
「買い物した後、食事でもしますか」

まるでデートだな、と思った。指導のつもりだったはずが、何となくおかしな方向へ進んでいるのは考えすぎか。しかしこれで露伴が気持ち良く漫画を描けるようになるの なら、それでいい。どうせ今日が終わるまでの関係なのだから。
電車が速度を落として、目当ての駅に着いた。ここで降りる他の乗客に紛れて座席から立ち上がった承太郎の手を、露伴が握った。彼が女の格好をしている今は、男同士だと いう理由では拒みにくい。

「ここの駅はちょっと複雑なので。はぐれないようにってことで」
「どっちが教える立場なのか分からなくなるな」
「それは当然、あなたのほうですよ。先生?」

それは普段なら承太郎が露伴に対して使っている呼び方だが、今日は逆転している。どこか新鮮な気持ちを抱え、明らかに男のものである手に導かれながら人の群れを抜けて、 改札口から外に出る。すると見慣れない町並みがそこに広がっていた。

「今日1日、ずっと僕に付き合ってもらいますから。教えてくださいね、色々と」

その言葉が、何故か露伴からの宣戦布告のようにも聞こえた。教えを受ける立場にしては態度はやけに挑発気味で、油断していると引きずられてしまいそうだ。
ここまで来たら潔く、受けて立つしかない。承太郎はそう決意すると、繋いでいた手を離した。そしてこちらから強引に指を絡め、まさに恋人同士の繋ぎ方に変える。

「今日は最後まであんたに付き合ってやる。行くぞ」

露伴の耳元でそう囁くと、絡めていた指に力を込めた。




2→

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2011/5/3