保健室の純情/2 その気にさせてみせろ、と言われても一体どうすれば良いのか分からなかった。 気が付くと常にそのことばかり考えている自分は、あの無謀な挑発に乗ろうとしているらしい。 年齢的にもおそらく経験豊富な露伴に対し、こちらはまともに恋愛すらしたことのない未熟さだ。中途半端な攻め方では馬鹿にされるのは目に見えている。 いつもの習慣通り保健室のドアを開けようとするが、ドアノブに伸ばした手が固まってしまって動かない。 何の策も浮かんでいないうちから顔を合わせてしまっては、変に突っ走ってしまうかもしれない。それでも顔が見たい。ふたつの感情の間で激しく心が揺れた。 初めて下の名前を呼ばれた時の、あの衝撃と高揚感。しかもそれを耳元で囁かれたので、どうしても意識せずにはいられない。 色々考えた結果、やはり会っていくことにした。自分でも抑えられない感情のままにドアノブを掴んで回してみたが、ドアは開かない。どうやら露伴は不在のようだ。 心の中で張り詰めていたものが、あっけなく溶けていく。せっかく覚悟を決めたというのに。 ため息をつきながら後ろを向いた途端、仗助はその体勢のまま固まってしまった。いつの間にか、そこには露伴が立っていたからだ。 何冊かのファイルを片手に、無言でこちらを見ている。 「せ、先生……いつから居たんスか」 「お前がここに来てから、ずっとだ」 ドアの前で延々と悩んでいた姿を、しっかりと見られていた。その間密かに面白がられていたかと思うと、すぐにでもこの場から逃げたくなる。 普段なら中に入っても、病気でもないのに来るなと言われて追い出されるところだ。 相手は顔を見るだけで仮病を見破れるほど、鋭い感覚の持ち主なのだから。 「いつまでそこに立っている気だ」 「……えっと、その」 「入るのか入らないのか、どっちか早く決めろよ」 今までの流れなら考えられない言葉だった。仗助の気持ち次第で、中に入れてくれるということだろうか。少しの間だけ固まってしまったが、悩むまでもなく答えは 決まっていたので、鍵を差し込んでドアを開けた露伴に続いて、保健室に足を踏み入れた。 大きな棚にファイルをしまい込んでいる露伴の後ろ姿を、丸椅子に腰掛けて眺めていた。 校医として仕事をしている様子を見ていると、仗助を挑発してきた一件がまるで夢だったかのように思えてくる。 その一方で、白衣に眼鏡というお堅い雰囲気の格好を、心ごと乱してやりたいという欲望も生まれてきた。 「先生をその気にさせれば、俺に興味持ってもらえますか」 「何だお前、あれ本気にしたのか」 「本気だって信じてますよ」 「お前がどこまで頑張れるか、見ものだな」 仕事で使っている机の端に軽く腰掛けながら露伴は、不敵な笑みを浮かべた。また挑発されているのだ。ここまで余裕の態度を取られると、何としてでもそれを崩して やりたいという気分になってくる。 仗助は椅子から立ち上がると、露伴に近付き至近距離まで迫った。こちらに向けられた驚いた顔にも構わず、その耳に唇を寄せる。前にも、露伴からそうされたように。 この男を口説き落とせるような巧みな言葉は思いつかず、快楽で溺れさせる経験も技術も持っていない。仕方のないこととはいえ、自分の未熟さがもどかしかった。 「……好き、なんだ。あんたのこと」 勢いでそう告げた途端、恥ずかしさで頬が熱くなった。露伴と視線を合わせることができずに、思わず目を伏せてしまう。生まれて初めての告白は、場所も相手も何もかも 普通ではないものだった。今日はもし会えても、気持ちを伝えるために来たわけではなかった。大体、いつもの雰囲気からして受け入れられるわけがないのだ。 そのまま耳に唇を軽く押し当てると、露伴の身体がかすかに震えた。それを見逃さなかったが、指摘するのも申し訳ない気がしたので黙っておく。 「返事、すぐに聞きてえけど急だしよ……俺、ずっと待ってるから」 少し気持ちが落ち着いたので耳から唇を離すと、露伴の目を正面から見つめながらそう言った。視線を逸らさずにこちらを向いている露伴にくちづけをしたいと思ったが、 返事も聞いていない状態では無理があると思い、やめておいた。 「もう終わりか?」 「えっ……」 「それだけじゃ、まだ僕はその気にならないぞ」 動いた露伴の指が、仗助の唇に触れた。誘われている気がして心臓が高鳴る。そんな思わせぶりなことをされては、抑えきれなくなってしまう。 触れてきた指先は少し厚めの下唇を、感触を確かめるような動きで撫でてくる。秒を刻むごとに感じる意味深さが増していき、やがて指先は口内へと浅く入り込んできた。 「僕のことが好きなんだろう、なのにこのまま引き下がるのか?」 「引き下がるっつーか……これ以上は、できねえよ」 「何故できない? 自信がないのか、それとも僕への気持ちはその程度ってことか」 眼鏡の奥の露伴の目が、仗助をとらえて離さない。そして唇は薄い笑みの形に歪む。 単なる挑発だとしても本気を疑われては、このまま気長に返事を待つという考えも消し飛んでしまう。誘われているどころか、心を乱されて攻められているような気がする。 仗助は露伴の眼鏡をそっと外し、顔を近付けると思い切って唇を重ねる。初めて感じる柔らかさに、今まで知らなかった生々しさを覚えた。 もし今、ドアが開いて誰かに見られたらどうなるかと考える。しかし露伴の濡れた舌に唇を舐められた途端に、後ろめたくも淫らな世界に溺れた。 露伴の両肩を掴み、更に深いくちづけをした。いつの間にかお互いの舌が絡み合い、調子を合わせていると舌の動きは自分でも驚くほど大胆なものになっていく。 カーテンもベッドも清潔な白で統一されているこの部屋を、ふたり分の濡れた音とかすかな呼吸の音が満たす。 やがて唇を離すと、眼鏡を外した普段とは違う雰囲気の露伴を熱く見つめた。例え永遠に叶わない願いだとしても、この素顔を自分だけのものにしたい。 今も余韻が冷めていないのか露伴は、ぼんやりとした表情で息を乱している。こちらもまだ、舌を絡め合った感覚を忘れられなかった。 「俺の本気……伝わった?」 仗助はそう問いかけながら、先ほどされたように露伴の唇に触れて指先を中へと軽く押しこんだ。すると露伴は指先に吸いついた後、指の付け根から先までをねっとりと 舐め上げて見せた。仗助から視線を外さないままで。 良からぬ行為を連想させるその仕草に、自分の中で何かが弾ける音がした。 |