夕焼け色に染まった空の下、江利子、令、由乃が並んで歩いている。 令は久しぶりにお姉さまに会えてとても嬉しかったのか、顔をずっと江利子のほうへ向けて話していて、まるで由乃の存在を忘れてしまったかのようにも見えた。由乃は当然、こんな状況を快く思わなかった。 令が、そばにいる江利子を無視して由乃をひたすら構うなんて事ができるとは思えないが、つい先程までの盛り上がった雰囲気は一体何だったのだろうと考えた。 もしあのまま江利子が現れなかったら今頃、由乃は令に全てを話して、きっといくらかは心が軽くなっていたに違いない。しかし今、江利子と令の間に割って入るような無粋な真似は出来ない。ただひたすら黙って歩き続けるしかなかった。 「どうしたの由乃ちゃん、具合でも悪いの?」 令の隣を歩いていた江利子が、そう言いながら由乃の顔を覗き込んできた。 由乃が露骨に江利子から顔を逸らすと、令が眉をひそめる。 「そういう態度は良くないよ、由乃」 「………」 「我慢しないで由乃ちゃん。ひとりで抱え込んじゃだめよ」 そんな事を江利子に言われたのが悔しくて腹立たしくて、由乃は額に伸びてきた江利子の手を無言で振り払った。 気まずい雰囲気の中、令は厳しい表情を由乃に向ける。 「由乃、お姉さまに謝って」 こんな令は知らない。優しい言葉をかけてくれた令はもういない。 何もかもが信じられなくなって、由乃はその場を走って逃げ出した。 令が背後から由乃の名を叫んでいたが、もう立ち止まらなかった。 あれから1時間近く街の中を歩き続けている。 家に帰れば令とまた顔を合わせてしまうかもしれない。自分の頭を冷やす意味でも、まだ帰りたくなかった。 令に甘えすぎていたのだろうか。例え何をしても、絶対に令は自分を見放さない、怒らないと決め付けていた部分も確かにあった。 もしかしたら今でも、令は江利子と一緒にいるかもしれない。由乃の事など忘れて。信じたくなかった。それでも1度頭に浮かんでしまうとなかなか消えてくれない。 由乃はそんな考えを振り払うかのように頭を左右に振った時、鞄から携帯の呼び出し音が聞こえてきた。 本来、学校へ持ってきてはいけないものだったが、「何かあったらいつでも連絡できるように」と両親に言われてこっそり持ち歩いていた。やはり両親も未だに由乃の身体を必要以上に気遣っているらしい。 画面を見ると、知らない番号が表示されていた。 しばらく無視していたがいつまで経っても呼び出し音が途切れなかったので、観念して出ることにした。 「もしもし」 『由乃ちゃん? 私、江利子だけど』 電話の向こうから、まるで友達のように呼びかけてくる江利子に面食らった。 「どうして江利子さまが、私の携帯番号知ってるんですか」 『そんな事はどうでもいいの。それより令は今どこにいるか分かる?』 「……いえ、分かりません」 江利子は令の自宅にも電話をしたが、支倉家は全員不在だったらしい。 『由乃ちゃんがいなくなった後の令ね、私が何を話しても上の空で。私と別れた後も足取りが頼りなかったから、心配してたんだけど』 「令ちゃんが……?」 『あれから家に真っ直ぐ向かっていればとっくに着いているはずなんだけど、令の家には誰もいなかったし』 あいにく令は携帯を持っていない。自宅にもいないのでは完全にお手上げだ。 「わ……私、探してきます!」 『ち、ちょっと由乃ちゃん……』 江利子が何かを言いかけていたのを無視して、由乃は通話を切った。そして携帯を鞄に突っ込むと再び走り出した。 近くの公園、コンビニ、駅の辺りも探したが令は見つからない。 学校へも戻ってみたがとっくに門は閉じられていて入る事は出来なかった。 辺りは次第に薄暗くなり、肌寒くもなってきた。 とりあえず1度家に帰る事にした。令の家はすぐ隣だから、もし帰っていたら謝ろう。ずっと気まずいままでいたくないから。 家の近くまで来た時、思わず由乃は足を止めた。 制服姿のままの令が、由乃の家の前に1人で立っていたのだ。 安堵感が先立って、気まずく別れてしまった事も忘れて令の元へ駆け寄る。 「令ちゃん!」 「よ、由乃……!?」 白い息が令の唇から浮かんで、消えていった。 その手に触れてみるとかなり冷えていた。一体どのくらいの時間ここに立っていたのだろう。 「令ちゃんがまだ帰ってなかったから心配になって、探しに行ってたんだから……!!」 「私だって由乃の携帯に何度もかけてみたけど、なかなか出てくれなくて心配したんだよ?」 「え……?」 鞄から携帯を出して着信履歴を見ると、記録されている履歴の半分くらいが「公衆電話」という表示で埋め尽くされていた。 江利子の番号の後に表示されているので、由乃が令を探して走り回っていた時にかかってきていたらしい。全然気付かなかった。 「私ね、由乃が走っていった後で自分を責めてた。由乃は何かでずっと悩んでいて不安定になっていたのは分かっていたのに、あんなきつい言い方しちゃって。ずっとその事ばかり考えていて、お姉さまの話も頭に入らなかった」 「………」 「お姉さまと別れた後も、家に帰りたくなくてしばらく街の中を歩いてたの。こんな気持ちのまま由乃と顔を合わせてしまったら、動揺して言い訳すら出来なくなりそうでね」 令も自分も同じ事を考えて、同じ事をしていた。 偶然にしてはあまりにも重なりすぎていて驚いた。 「こんなに寒いのに、どうして外で待っていたの? 令ちゃん、風邪引いちゃうじゃない……」 触れたままの令の手を今度は強く握った。由乃の手も冷えていたが、令ほどではなかった。 「だってまだ、由乃の話を聞いてなかったから」 「わ、私の……?」 「あの時、私に話してくれるつもりだったから振り向いてくれたんでしょう? まだ話を聞いてないのに、自分だけ家には入れないよ」 「令ちゃん……」 由乃は令の胸に飛び込んで、少しだけ泣いた。 「祐巳ちゃんは、由乃と同じ2年生なんだよ?」 「分かってる」 「紅薔薇のつぼみなんだよ?」 「それも、分かってる」 由乃は令を自分の部屋へ招き入れ、2人並んでベッドに腰掛けた。 ここ数日の事を令に話したが、江利子との約束については言わなかった。 もし話してしまったら令は江利子に、どうしてそんな約束をしたのかなどと問い詰めるに違いない。 苦し紛れに令の手を借りて、約束を無かった事にしようとしていると思われるのは嫌だった。これは由乃と江利子の問題だから。問題というより、勝負に近いかもしれない。 「私は由乃に、一刻も早く妹を作ってほしいとは思わない。確かに由乃に妹が出来れば山百合会の運営もスムーズになるよ。 でもね、大切なのはどれだけ早く妹を作るかどうかよりも、どれだけ可愛いと思える大切な妹を持てるかどうかじゃないかな」 「だから私にとって、可愛いと思える存在は……」 「由乃が祐巳ちゃんの事を好きなのは分かるよ。でも多分、今の由乃は気持ちだけが先走ってる状態だと思う。 1分1秒を争うような問題じゃないんだから、もう少し時間を置いてよく考えてみて。焦らなくてもいいんだよ」 令は最後まで、由乃が祐巳のロザリオを奪おうとした事については何も責めなかった。 焦らなくてもいいと言ってくれるのは嬉しい。しかし由乃には焦らなくてはいけない理由があった。 令には言えない理由が。 |