自分が信じられない!/前編





昨日観たテレビで談合という言葉を聞いて団子しか思い浮かばなかった、という理英の他愛のない話を聞きながら歩いていると、本屋の入口から出てきた真雪と偶然顔を合わせた。

「真雪さん! こんにちは!」
「ゆらら、今学校帰り?」
「そうなんですよ、あっ! 今日は友達も一緒なんです。前にも話したことありますよね、敷島理英……」

ゆららから紹介を受けた真雪が口を開きかけた時、隣の理英が表情を輝かせた。

「もしかして河合真雪先生!? わあっ、会えるなんてすごおーい! 超嬉しいでーす!」

理英は甘い声で興奮気味に言うと、積極的に真雪の両手を握った。さすがの真雪も驚いたらしく、テンションの高い女子高生を相手に呆然としている。
以前、学園祭でメイド喫茶をやった時に真雪がゆららを指名して呼び出したというのは、すでに校内でも有名な話になっていた。 小説家である真雪と知り合ったきっかけを尋ねられることもよくあるが、とても大っぴらに話せるものではないので適当にごまかしている。当然、真雪との今の関係も。

「そーだ! せっかくなんでサインもらえますかー?」

鞄から取り出した手帳の空いたページを開いて、理英はボールペンと共にそれを真雪に差し出した。そういう類の要求には慣れているのか、真雪はためらいもせずに手帳に ペンを走らせる。ここまでは良かったが、真雪は一体何を思ったのかサインのすぐ隣に絵を描き始めた。しかも前にも見た、凶悪な化け猫のようなものを。いや、今回は 猫ではなく違う動物かもしれない。
鋭い目つきに加えて、猫にはない牙やツノ(描いた本人は耳のつもりなのか)まで付け足されているせいで、いよいよ正体不明になってきた。 これを初めて見た理英が何を言い出すか、想像しただけで冷や汗が流れる。こんな街の真ん中で怒り狂う真雪は見たくない。ただでさえ短気なのだから。
謎の絵の部分から言葉にならない悪夢を漂わせたページを開いたまま、真雪は理英に手帳を返す。どんなに恐ろしい展開になるかと目を覆いたくなったが、理英の反応は予想と違うものだった。

「えーっ、この絵超可愛いー! ありがとうございますー!」
「可愛い? ほんとに? 喜んでもらえて良かった!」

例のページを覗き込みながら、理英と真雪がはしゃいでいる。ふたりが意気投合している様子を見て、今度はゆららが呆然とした。お世辞にも可愛いとは言えないあの絵を、 まさか理英が絶賛するとは思わなかった。こうなると逆に、自分の感覚がおかしいのではという気分になってくる。
ゆららが見た時は絶賛どころか、遠慮もせずにダメ出しをして真雪の反感を買ったのだから。
ぐるぐると考え事をしているうちに、ふたりが違う話でも盛り上がっていた。こんなに近くにいるのに、取り残された感覚から抜け出せない。


***


理英は中学時代、先輩の彼氏に色目を使って誘惑したという根も葉もない噂を流された。
それが原因でいじめを受けていた理英を偶然目撃したゆららが、彼女を庇ったのがきっかけで仲良くなった。それ以来、違うクラスから休み時間や放課後には頻繁に理英がゆららを訪ねてくるようになり、一緒に下校したり遊んだりする日々が続いた。
声も喋り方も甘く、ゆららは少々疎い化粧やファッションを心から楽しむ理英は、羨ましくなるほど女の子らしいと思う。毛先のあたりを緩く巻いた長い髪を揺らしながら、 笑顔でゆららの隣を歩く姿を見ていると、本当は優しいのに言葉や態度がきつい真雪とは全く違うタイプだと改めて感じた。


***


玄関で背後から抱き締めると、真雪の細く小柄な身体がびくっと跳ねた。両腕に、控えめな胸の膨らみを感じる。

「どうしたの……急に」
「すみません、何だかこんな気分になっちゃって。嫌ですか?」
「ん、いい……」

小さく呟いた真雪が身を任せてくると、ゆららは心臓が落ち着かなくなった。吐息混じりの声が耳から離れない。何故こんな大胆なことをしてしまったのか、自分でも分からずに戸惑う。
理英と別れて帰宅したが、もやもやした気持ちが晴れずに結局真雪の住むマンションに足を運んだ。何の約束もせずに訪れたゆららを、真雪は嫌がらずに迎えてくれた。

「ねえ真雪さん、理英のことどう思いました?」
「え、ああ……初めて会ったけど、いい子だと思う」
「それだけ?」
「他に何があるっていうの」

会話を続けながら、ゆららは親友に嫉妬している自分に気付いて動揺した。信じられないほど醜い感情に翻弄されて、こんな状況になっている。
腕の力を強めると、真雪は短い声を上げた。それを聞いて、真雪に胸を愛撫された時と同じように身体の芯が痺れて、熱くなる。

「もうだめ、私」
「真雪さん……?」
「このまま、あんたの好きにして。お願い」

わがままで気の強い真雪が口にしたとは思えない、淫らな誘い文句だった。
理性を焼かれる生々しい感覚を、16年生きて初めて味わった。




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2011/11/23