「あんた何、また来てたの!?」
 階段を下りている途中で、鎮守府の入り口辺りに向かって叢雲が叫んだ。その声に、視線の先にいる男2人がほぼ同時にこちらを振り返る。ひとりは、この鎮守府で艦隊の指揮を執っている司令官・小林。着ているのは所属している海軍の軍服ではなくジーンズにTシャツという私服だ。尻のポケットには無造作に長財布が突っ込まれている。自分が仕切っている場所とはいえ仕事中にこんな格好、軍人のくせにありえない。
 更にもうひとりは、小林とは違いきっちりと軍服を着ている背の高い男・山岸。見た目は真面目で優しそうな印象で、おそらく誰もがそう思うだろう。叢雲も初対面の頃はそうだった。しかし彼と接していくうちに、それは間違いであると思い知らされた。
 先ほどの台詞は山岸に向けて言ったものだ。
「どうも叢雲さん。今日もそのきつい口調、たまらないなあ」
「そこが気持ち悪いって言ってんのよ!」
 叢雲から指をさされても、山岸は笑顔のまま動じない。
「実は僕と吹雪さんが立ち話をしていたのを見て、こいつが嫉妬したみたいなんですよ」
「あっバカ、言うなって……」
 よほど叢雲に聞かれたくなかったのか、今まで黙っていた小林が気まずそうに口を挟んだ。小林とその秘書艦である吹雪が微妙な関係であることは、艦娘達の間でも噂になっている。どちらから告白するのかを賭けている艦娘までいるくらいだ。叢雲自身は他人の恋愛には興味がなく、ふたりが一緒にいるのを見ても冷やかすことはせずに、あえて見なかった振りをしている。
「ああ、だからさっき吹雪が暗い顔してたのね……どうせあんたが機嫌悪くして、何かやらかしたんでしょう」
 叢雲の言った通りなのか、小林は何も言わずにこちらから目を逸らした。
 ここに来る前、吹雪が明らかに落ち込んでいる様子で入り口の方向から歩いてきた。重い溜息までついていて、きっと小林と何かあったのだろうと予想した。小林は軍人らしかぬ服装と軽いノリのせいで、艦娘達からチャラいだの遊んでいそうだのと思われているようだが、実はとんでもなく不器用で面倒くさい男だ。
 自分は他の艦娘と、鳳翔の居酒屋で朝まで酒を飲んでいたりするくせに、吹雪が他の男と話をしているだけで不機嫌になる。付き合ってもいないのに吹雪には自分だけの女でいてほしいのか、とにかく面倒くさい男だ。
 最初は吹雪とも他の艦娘達と同じようにノリ良く会話をしていたのだが、月日が経つにつれて小林は吹雪に対して無口になった。理由までは聞いていないが、とにかく接し方が分からなくなってきているらしい。悩む吹雪の様子を見かねてそれを問い詰めた時に叢雲がきつい口調になっていたせいか、それ以来小林は叢雲から遠ざかるようになった。本当に面倒くさい男だ。
「別に俺は、何も言ってねえし……」
「こんな変態ドM野郎にくだらない嫉妬してる暇があったら、さっさと吹雪に告白でもなんでもすればいいのよ!」
「変態ドM野郎って、もしかして僕のことですか? さすがにそこまでのレベルではないと思いますけどねえ」
 山岸が相変わらずの笑顔で口を挟んできた時、少し離れたところから霞と曙が叢雲達3人を見ていることに気づいた。
「うわ、何あのでかい男、誰?」
「クズ司令官の友達ですって!」
「うざっ! クソ提督の友達ってだけでなんか、うざっ!」
 言いたい放題の霞と曙にも愛想よく手を振る山岸に、叢雲は眉をひそめた。
「ねえあんた……よくあそこまで言われて笑っていられるわね」
「艦娘の噂の的になるなんて、めったにない機会ですからね。僕もいつかは鎮守府を任されてみたいなあ、こばが羨ましいですよ」
「お前のほうが向いてたかもな、何で俺が選ばれたのか分からねえけど」
 こば、という愛称で呼ばれた小林が溜息混じりにそう言った。今の小林にいつものチャラい雰囲気はなく、テンションが低い。多分こちらが本性なのだと思った。



「こばの奴、とうとうやりましたね」
「あら、何の話?」
 演習から帰ってきた叢雲を、鎮守府の前で山岸が待ち構えていた。この前も来ていたくせに飽きもせず、そんなに暇なのか。
「昨日、吹雪さんに告白したんでしょう? きっと叢雲さんが喝を入れたおかげですね。ドM野郎に嫉妬してないでさっさと告白しろっていう」
「変態、が抜けてるわよ。ていうかドMなのは認めてるのかしら?」
「叢雲さんに対してなら、それでもいいかと思っていますよ」
「あんたやっぱり変態ドM野郎だわ!」
 山岸の言う通り、昨日の朝に吹雪は執務室で小林に告白されてそれを受け入れた。しかも小林は、めったに着ない海軍の軍服を着て気持ちを伝え、更に自分で買ってきた指輪まで渡したという。もはや告白どころかプロポーズではないか。愛情表現が重すぎて引いてしまった。吹雪本人は幸せそうなので、外野がとやかく言うことではないだろうが。
 演習に行く前に見かけた小林の左手の薬指には、吹雪と似たような指輪がはめられていた。それに気付いた叢雲はますます引いた。
「確かに吹雪さんも素敵な方ですが、僕は気の強い女性のほうが魅力的だと思いますよ」
「まあ、ドMのあんたならそうかもしれないわね」
「ん? もしかして伝わってないですかね? 参ったなあ」
 わけのわからないことを言っている山岸を適当にあしらい、叢雲は鎮守府の中に入る。すると階段のそばに並んで立っている小林と吹雪に、青葉がカメラを向けていた。あんなに照れている小林の顔は初めて見た。普段は吹雪にしか見せない表情なのだろう。
 あの2人なら、きっと幸せになれる。撮影の様子を眺めながら叢雲はそう思った。



 今日はこのまま、皆で無事に帰投できると思っていたのに。艦隊を襲った悪夢に、他の艦娘達から悲鳴が上がる。
 任務を終えて母港へと戻る途中、突然現れた敵艦隊。見慣れている重巡や軽巡はともかく、旗艦である戦艦は今まで見たことのない種類のもので、砲撃や雷撃、更に艦載機まで放ってくる。陣形もまともに組めていなかった艦娘達は次々と大破し、とてつもない被害を受けた。吹雪、叢雲、鈴谷、摩耶はすでにまともに戦える状態ではない。
「何で!? あの戦艦ってこの海域には出ないはずじゃん!」
 実際に遭遇したのは今回が初めてだが、叢雲も以前に話だけは聞いたことがある。鈴谷の言う通り、本来ならごく限られた海域にしか現れない戦艦レ級。艦娘達の練度が上がった今でも、小林はレ級のいる海域にだけは艦娘達を出撃させていなかった。全ての能力がル級やタ級を上回り、他の鎮守府では大和や武蔵ですらレ級の雷撃1発で大破したという。よほど運が良くない限り、駆逐艦や重巡が無事でいられるわけがない。
 他の敵艦は何とか撃破したものの、残ったレ級の更なる砲撃を受けた吹雪の艤装が砕け散った。そして飛沫を上げながら海面に叩きつけられる身体。
『吹雪!』
 執務室からの通信で、動揺した小林の叫び声が聞こえた。
「わ、わたし……が、みんなをまも、らなきゃ……」
 絞り出すような声で呟き、ゆっくりと海の中へと沈んでいく吹雪に叢雲は必死で手を伸ばしたが、大破した身体では指先すら掴むことができなかった。
「あ……あんた、あんたはあいつと幸せにならなきゃダメよ……! 沈むなんて絶対に許さないんだから! さっさと戻ってきなさいよ、吹雪ーっ!!」
 目の前で吹雪が沈んだ現実を受け入れられず、叢雲は我を忘れて叫んだ。
 直後、わずかな間沈黙していたレ級が突然大きな笑い声を上げた。この状況が愉快でたまらない、と言わんばかりの笑いだった。
「いくラ叫んだってネエ死んだ虫はもう戻ってこナイよ! 弱いカラ沈むんダヨ! 死にぞこないノ君達も、さっきの虫ミタイに全員まとめて沈メテあげるよ〜うヒャひゃひゃ!!! 無力な虫は沈んでいくノガお似合いサ! クソ虫退治再開しちゃうよおオオお掃除タイムだみんなしねえええアアアーーーー!!!!」
 狂ったような声を上げながら、大破した叢雲達の元へレ級が迫ってくる。逃れられない死の予感が叢雲の心を覆った。吹雪の仇を取れないまま、自分達はここで……。


「頭にきました」


 静かに、爆発しそうな怒りをにじませた声が背後から聞こえた。 接近してくるレ級を恐れずに前に進み出たのは、レ級達の猛攻を受けながらも小破で耐えた、赤城と加賀だった。
 2人は今まで見たことのない、ぞっとするほど冷えた表情でレ級を見据えていた。


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2017/9/27