44歳と鷲巣麻雀 「あの赤木は、今まで鷲巣様に差し出してきた生贄の羊ではありません」 あなたを殺す者、と強い調子で仰木が口に出した瞬間。 鷲巣の老いた身体を支えていた杖が椅子の背もたれに叩きつけられ、折れた欠片が床に転がった。 慌てて近づいてきた吉岡を、振り向きざまに睨みつける。 「本気か、貴様……仰木っ!」 透明牌を使い、金や血液が動くという独特のルール。財力を持つ鷲巣が有利で、常に安全圏の中での戦いと言ってもいい。 確かに鷲巣は今まで何人もの若者が震え、恐怖する様子を見ることを娯楽としてきた。 しかし今夜、仰木は用意してきた対戦相手は鷲巣の想像から大きく外れていた。 白いスーツに派手なシャツ、そこまではいいとして。顔に刻まれた皺は、鷲巣が今まで葬ってきた20歳前後の若者達には無いものだ。 その男が煙草を取り出して咥えると、すぐに後ろの黒服が来てライターで火を点ける。 余裕の表情で、気持ち良さそうに煙を吐き出す様子が腹立たしい。 「こいつはどう見ても中年の男ではないか!」 卓の向こう側に居る男を指さしながら、鷲巣は怒声を上げる。 50代までは行ってないようだが、おそらく近い。男は鷲巣と仰木のやり取りを眺めながら薄く笑みを浮かべていた。 後々面倒の無い若者を用意できなかったのかどうかは知らないが、人生の半分以上を過ぎたかのような中年の男を連れてくるとは。 とにかく鷲巣よりも若ければ何でもいいとでも思ったのか。甘く見られたものだ。 男は用意された灰皿に吸殻を押し付けると、低く笑った。 「新しいゴルフ仲間を紹介してくれると聞いて来たんだが、勘違いだったようだな」 「ゴ、ゴルフだと!?」 予想すらしていなかった言葉に驚きと怒りが入り混じる。正面へ向き直ると、仰木は引きつった顔で首を横に振った。 鷲巣麻雀のルール説明はまだしていないとはいえ、この卓を見ればこれから何が行われるか分かるはずだ。 まさかこの男は、本気でゴルフ仲間に会わせてもらえると思って来たのだろうか。 そもそも初対面の時から気に食わないと思っていた。 対戦相手を待たせている応接間に行ってみれば、そこに肝心の相手は居なかった。落ち着かない様子の仰木や黒服が立っているだけ。 鷲巣が来る前に、退屈だと言い残して応接間を出て行ったきり戻ってこないらしい。 いつまで待っても現れないので白服に屋敷内を探させたところ、相手は卓のあるこの部屋で平然と煙草を吸っていたのだ。 「冗談に決まっている……そんなにカリカリすんなよ、鷲巣とやら」 どうやら仰木も、この男の扱いには相当手を焼いているらしい。額に不自然な汗をにじませながら、不安そうに男へ視線を送っている。 「つまりあれだろ、あんたは特殊ルールの麻雀で若い奴らをいたぶって楽しんでるわけだ。いい趣味してるな」 「……」 「悪いが俺はもう、長い勝負についていける身体じゃねえんだ。早めに終わらせてくれや」 できればもっと若い頃に会いたかったぜ、と言って男は再び煙草を取り出した。 恐怖や緊張を微塵にも感じていないこの男に振り回されて、苛立ちが募っていく。 わざわざ鷲巣麻雀の説明をするまでもない、こんな中年と打って血を抜いても無意味だ。 今回ばかりは仰木の人選ミスに決まっている。 人選ミスどころか、こちらの要求をあからさまに無視している。若者を連れて来い、と言ったはずだ。 日本で過ごす最後の夜に、仰木のせいでとんでもなく不愉快な気分になった。 「勝負は中止だ、その男を連れて屋敷を出て行け!」 「俺と戦うのが怖いのかい、鷲巣」 「何だと……?」 「別にいいじゃねえか、相手が若者でも年寄りでも。俺はやりたいようにやるだけ」 男の言葉で、部屋の空気が固く張り詰めた。誰もが無言のまま時が過ぎていく。 そんな静寂を壊すように、鷲巣は声を上げて笑った。 「その減らず口、わしの前ではもう2度と叩けないようにしてやる」 鷲巣は椅子に腰を下ろすと、吉岡に透明牌の入ったケースを持ってくるように命じた。 男の実力がどの程度のものか、今から確かめる。 中途半端な小細工では生き残れない、この鷲巣麻雀で。 |