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懐かしい足音 大切な人の名前が刻まれた墓石は、多くの人間に削り取られて無残な状態になっていた。 そのうち、欠片も残らず消えてしまうのではないかという不安が胸をよぎる。 そこに定期的に訪れては、近況報告と共に手を合わせる。 赤木は、ひろゆきの想いに気付いていたのかいなかったのか。 嫌われてはいなかっただろうが、いつでも感情をむき出しにはしない人だったので、今となっては分からないままだ。 彼のように生きたいと思う。未熟な自分に、色々なことを教えてくれた憧れの人だった。 みずから命を閉じようとする赤木を、結局は止められなかった。しかしあれは紛れもなく赤木自身の意思で行われたことだ。 最期の穏やかな表情は、どこか満たされたようにも見えたのは気のせいか。 それでも時々、懐かしい赤木の声が聞きたくなる。もう叶わない願いだと分かっていても。 手を合わせた後、顔を上げると背後から誰かの足音が聞こえてきた。 振り向いた先に立っていた青年は、薄く笑みを浮かべながらこちらを見ていた。 年齢に釣り合わない白い髪、色素の薄い肌。まるでしなやかに動く獣のような、鋭く隙の無い感じは赤木を思い出させる。 本当に不思議な青年だ。 赤木の血縁、もしかすると隠し子かもしれないという笑えない冗談すら浮かんでくる。 青年は数歩進んで、赤木の墓に手を触れる。長い指が、削り取られた面をゆるやかにたどっていく。 「面白い形の墓だな」 そう言って青年は低く笑った。そんな部分まで、赤木に似ているとは。 「ねえあんた、ここにはよく来るの?」 「ええ、まあ」 「歳はいくつ?」 「……32、ですけど」 「へえ、歳のわりには若く見える。俺は19」 彼は年下なのに、問いかけには何故か敬語で答えていることに気付いて奇妙な気持ちになった。 気を取り直して咳払いすると、ひろゆきは青年と目を合わせる。 「君は、誰かの墓参りに来たの?」 「いや、気付いたらここに居た。それだけ」 あっさりと、よく分からないことを口にする青年に疑問を覚える。 ここは墓地だ、気まぐれや無意識で足を運べるような場所ではない。 「それは、僕の大切な人のお墓なんだ」 少しだけ冷たい風が、目の前に居る青年の白い髪を揺らす。 「中学の頃に断崖へ向かって車を走らせたり、ヤクザ相手の麻雀で指や腕を賭けたり、昔はかなりの無茶をしたみたいで……それでも僕は、あの人のことがずっと好きだった。気持ちを伝えられないまま、こうして離れちゃったけど。たとえ実らなくても、伝えれば良かったって後悔してる」 そこまで言うと、青年の姿がにじんで揺れた。今まで懸命にこらえていたものが、あふれそうになる。 「赤木さん……」 震える声で呟くと、青年がこちらへ向けて手を伸ばす。その指先が涙を拭い、青年の唇がひろゆきの頬に触れた。 突然の出来事に、思わず身体が熱くなる。 「あんたみたいなのって、なんだか放っておけなくてさ」 どこか淡々としたささやきが、胸を締め付けた。 さっき、初めて会ったばかりなのに。心を全て開いて、さらけ出してしまいそうになる。 敬愛する赤木の墓前で、他の男とこんなことを。罪の意識に支配されながらも、青年を突き放すことができない。 耳にかすかな息遣いを感じて、これ以上立っていられなくなりそうだ。 「あんた、名前は」 「井川……ひろゆき」 「そっか、俺は……」 名乗ろうとする青年の言葉に耳を傾けていたが、意識に霞がかかり何も聞こえなくなった。 やがてその姿さえも、見えなくなった。 気が付くと青年は消えていて、墓前にはひろゆきだけが残されていた。 あの出来事は夢か、それとも現実か。 愛しさ、そして懐かさを感じさせる足音と共に現れ、ひろゆきの心を翻弄した。 名前も住所も知らないので、再び会おうとするなら偶然に頼るしかない。 数日、数週間が流れても忘れられずにいる。赤木に似た雰囲気を持つ青年のことを。 |