この胸で眠る猫 眠ろうとして目を閉じて間もなく、赤木が市川の布団へ潜り込んできた。 せっかく隣に布団を敷いてやったのに、これでは無駄骨だ。 さすがに狭く寝にくい。隣で寝ろと言っても頑固にも出て行かないので、もう好きなようにさせることにした。 忘れもしないあの長い夜。赤木に負けてから、代打ちを辞めたいという意思を組長に伝えると『お前が辞める必要は無い』と言われ、 散々しつこく引き止められた。 その数日前、赤木に敗れた若い代打ちの男は、牌を握れなくなるくらい心に深い傷を負って、自ら川田組を離れたという。 それなら同じような境遇の自分も、望めばすんなりと聞き入れてもらえるかと思っていたが、予想に反してうまくいかなかった。 素人の子供に全てを砕かれた屈辱を背負いながら、これまで通り仕事を続けろというのだろうか。それはどう考えても無理な話だ。 代打ちを辞めた今でも、川田組の新しい若頭などが手土産と共にこの家を訪ねてくる。 こんな先の短い年寄りのどこがそんなに気に入ったのか。彼らを追い返す理由もないので迎え入れてはいるが、よく分からない。 俺に負けた後はどんなふうに過ごしてたの、と訊かれたのでそんな話をしたところ、赤木は小さく笑い声を上げた。 「あんたは強かったからね。あいつらは熱心なファンなんだよ、きっと」 「……くだらねえ」 雇われている間も必要以上に頭を下げたり媚びたりはせず、ひたすら自分の思うがままに振る舞っていた。 それでも誰にも咎められることなく、市川は川田組での役目を終えた。 長く重ねた年齢のせいもあるだろうが、何よりも実力だけがものを言う世界だ。 「でも、俺のほうがあんたのこと分かってるよ。身を削るような勝負で向き合って戦ったんだ……まあ、実はまだ物足りなかったけど」 「もうとっくに結果は出たんだ、いい加減に諦めろ。物足りないなら、別の奴と打ってこい」 「あんたほどの相手には、なかなかめぐり合えないさ」 楽しそうな声、口調で赤木は食い下がる。 何をそんなに期待しているのか。もう2度とこの子供と勝負をする気は無いのに。 まだ13歳の赤木は、もっと広い世界を見る必要があると思う。麻雀に限らず、何事にも上には上が居る。 更に面白そうな相手に出会えば、そちらに興味が行ってこちらには見向きもしなくなるだろう。 いつまでもひとりの相手に執着して、これからもっと広がるはずの世界を狭めることはない。 「まだ俺のこと、欲しいって思わないの?」 そう囁くと赤木は、市川の薄い胸に顔をうずめてくる。浴衣の隙間から、唇が触れた。 ぎこちない誘いに全く心が動かない、と言えばきっと嘘になる。 「さあ……何のことやら」 聞こえない振りはできないので、とぼけてみせた。 そんな態度が気に入らなかったのか、小さな舌打ちが聞こえた。 以前、雰囲気に流されるように触れた赤木の背中や腕は、紛れも無く子供のものだった。 白髪であるということ以外、どんな姿なのかは知らない。 声はこんなに近くに感じるのに、その姿は永遠に閉ざされた深い闇の向こうだ。 無防備な幼い身体の内側、奥深くに触れたくなる時がくるのを恐れた。 近い未来に、そうなる予感がする。1度壊れてしまうと元に戻らないのは、形あるものだけではないのだ。 たとえば、赤木との勝負が終わった後の自分自身のように。 いつの間にか赤木は寝息を立てていた。その気配は主人に身を寄せて眠る猫を思わせた。 |