夕食の時間 何だこれは、という市川の言葉に、向かい側からの物音が消えた。 卓袱台を挟んで座っている赤木が静かに笑う。 「何って、あんたの好きな味噌汁だよ」 平然とそう言って、赤木は再び箸を動かし始めた。時折、箸が茶碗や皿とぶつかる微かな音が聞こえてくる。 自分が口に入れているものが分からなくて質問したわけではない。一体どういうつもりだ、という威圧的な意味を込めたのだが、 この憎たらしい子供には全く通じていないようだ。さすがは鬼の子、色々な意味で大した奴だ。 今日はいつも家事をしてくれる雇いの女が急に来られなくなった。なので何か買いに行かせようと思っていたところ、 赤木が夕飯を作ると言い出したのだ。普段はまともに皿洗いすらしないくせに。 そしてどうなるかと思いながら任せてみたらこの有様だ。正直、今では後悔している。 白い飯はともかく、酷いのは味噌汁だった。だし用と思われる煮干が頭や内臓も取らずに丸ごと入ったままで、 野菜は完全に火が通っていない半端な状態だ。汁と一緒に、沈んでいた溶けきっていない味噌まで飲み込んでしまった。 見た目にも酷いことになっていそうで、それを確認することができなくて良かったのか悪かったのか。 雇いの女が作る美味い味噌汁に慣れている舌は、赤木の作った斬新すぎるそれを受け付けなかった。 目の見えない自分では難しい火の加減や包丁の扱いはともかく、味見くらいはしたほうが良かったかもしれない。 「おばさんが作ってるのを見て、簡単そうだったから俺にもできるかなって」 「……本当に見ていたのか?」 「熱いお湯の中に味噌と煮干と、あと野菜を入れるだけだろ」 とんでもなく大雑把な説明を聞いて愕然とした。作った本人はこの酷い味噌汁を口にして、反省のひとつもしていないのか。 「なあ赤木よ、これはわしに対する嫌がらせか?」 「俺が市川さんに嫌がらせなんてするわけないじゃない……」 確実に裏がありそうな甘い言葉。それを聞いて何とも言えない寒気を覚える。 そんな赤木は料亭での勝負で、こちらが盲目であることを利用して牌をすり替えた。 あの出来事で市川は、赤木の無茶な要求を受け入れる羽目になってしまった。 市川は深く息をつくと、半分以上残っていた味噌汁を飲み干して立ち上がる。 「どこ行くの?」 「風呂に入る。後片付けはお前がやっておけ」 背後で赤木が何か言っているが、それを無視して風呂場へ向かった。 浴衣に着替えて部屋に戻り、布団に入るとそこには赤木が寝ていた。 隣には赤木の分も敷いてあるので、布団を間違えたかと思ったが何度確認してもこれは市川のものだった。 「あんたの布団冷えてたから、温めておいたよ」 「余計な世話だ、さっさと自分の布団に戻れ」 「ねえ、ここで一緒に寝ようよ」 誘いの言葉と共に伸ばされた赤木の手を振り払い、市川は隣に敷いてあるもうひとつの布団に入った。 何故ここまで苛立っているのだろう。赤木の味噌汁が酷い出来だったというだけなら、あまりにも馬鹿らしい。 恐ろしいほどの賭博の才能を持っていても、赤木はたった13の子供だ。嫌がらせではなく、純粋に市川に食べさせたくて作ったのだと したら、無情に突き放すような真似をしたせいで後味が悪い。 冷静になって考えてみれば、雇いの女が作る料理と同じ出来のものを期待するほうが間違っている。 この苛立ちはもしかして、屈辱的な過去を思い出したせいなのか。 赤木に背を向けて眠りにつこうとしたが、なかなか寝られない。 「あの味噌汁、あんたが風呂に行ってから飲んでみたよ。あれは酷いな」 「味見もしてなかったのか……呆れた奴だ」 「俺、誰かのために飯作ったの初めてだったけど、全部飲んでくれて嬉しかった」 あんなに酷い出来だったのに、と静かに言葉を続ける赤木に布団を捲り上げられた。 あくまで一緒に寝るつもりらしい。これ以上拒んでもしつこく追いかけてくるだけなので、したいようにさせる。 「もしまた作る気があるなら、見てるだけじゃなくて手伝いでもしてこい」 「また作ってもいいの?」 「その時はせめて味見くらいさせろ」 「ああ、分かった……でもその前に、こっちの味見もしてよ」 布団に潜り込んできた赤木は市川の手を取り、なめらかな太腿に触れさせた。そのまま内側のきわどい部分にまで導いていく。 こうなれば味見だけでは済まなくなることを、赤木は分かっている。しかも自らそれを望んでいるのだ。 途中で指先に感じた布の感触で、また市川の浴衣を勝手に着ていることを知った。大きさが合わず、裾を引きずっている様子を想像して 思わず口の端を上げる。そして甘えるように身を寄せてくる赤木の浴衣に手をかけ、雑に結ばれている帯を一気に解いた。 |