セレブ講座 今までは大して意識すらせずにできていたことが急にできなくなるとは。 広々とした庭で、警察や官僚などのあらゆる人物をひれ伏させてきた闇の王と呼ばれた老人が、向かい合った2本の木にくくりつけたハンモック相手に悪戦苦闘していた。 いつものやり方で乗ろうとしているのに、何故かひっくり返って草むらの上に落ちてしまう。 吉岡を始めとする白服達が、その度に真っ青な顔で駆け寄ってくる。 「なるほど……要するにそれは、乗ってはひっくり返ってを繰り返す遊び道具なのか?」 赤木はそう言って、草むらに膝をついている鷲巣を見下ろして低く笑った。 「ち、違う……わしを侮辱するのも大概にせんか!」 普段から鷲巣を舐めきっているふうな赤木に対し、少しでも優位に立とうとして考えたのがハンモックに乗ってみせることだった。 異端の天才である赤木も、さすがにこういう娯楽を経験したことはないはずだ。 「次はお前だ赤木っ、わしと同じように乗ってみろ!」 「俺が?」 「せっかく我が家に来たのだ、見ているだけでは面白くなかろう?」 乗れない手本を見せてしまったわけだが、鷲巣はそれを思い切り棚に上げて言い放った。 これ以上赤木の前で膝を折ることは、金と共に積み上げてきたプライドが許さない。 「多少の失敗は気にするな、初めてなのだから仕方あるまい」 赤木が見ているからプレッシャーとなって失敗するのだろうか。 こうなったら赤木が無様にひっくり返る様子を見届けないことには気分が鎮まらない。 そばに控えていた吉岡から杖を受け取ると、鷲巣はこれから見られるだろう愉快な光景を想像して上機嫌になった。 まともとは程遠い世界の住人である赤木には、例の鷲巣麻雀の際に散々煮え湯を飲まされてきた。 しかし今は違う。これこそが待ち望んでいた至福の時……齢75にして迎える快楽の頂点……! 「まあ、確かに乗る時は少し不安定だな」 「そうじゃろそうじゃろっ、この国の王であるわしにできぬことが、下民のお前にできるはずが……」 赤木の呟きに嬉々として振り向いた鷲巣だったが、次の瞬間に凍りついた。 背後では今日に限って鷲巣を何度も拒んだハンモックが、赤木を乗せて静かに揺れている。 鷲巣のハンモックを、まるで自分の所有物であるかのように余裕で乗りこなしていた。 「しかし乗り心地は悪くない」 「……」 「乗れないようなら、俺が手取り足取り教えてやろうか……ククッ」 ハンモックに揺られながら煙草の煙をゆったりと吐き出す赤木に、鷲巣は思わず肩を震わせた。猛烈な羞恥心と怒りで。 「おい吉岡、あの目障りな道具を今すぐ片付けろ! 地下にでも放り込んでおけ!」 「し、しかしあれは鷲巣様が長年愛用されてきたハンモックでは……」 「わしに口答えする気か、さっさとやれ!」 勢い良く杖の先を突きつけると、吉岡は足早にハンモックの元へ向かっていった。 ハンモックの件に限らず、鷲巣邸で飼っている獰猛な番犬が赤木の前では急に大人しくなったりと、納得の行かないことが多すぎる。 次はどんなものを使えば優位に立てるかと考えているうちに、この屋敷に赤木を呼ぶ機会も確実に増えていることに気付いた。 赤木はよほど暇なのかそうでないのか知らないが、鷲巣が呼ぶと必ず来る。そしてこちらを翻弄して満足そうに帰っていくのだ。 やがてハンモックを降りた赤木が、煙草を咥えたままこちらへ歩いてきた。 「毎回なんだかんだと理由をつけてはいるが、お前は俺に会いたいだけなんだろ?」 「なっ、生意気な小僧が……自惚れるなっ!」 「今度は呼ばれなくてもこっちから会いに行くさ、もちろん夜にでも」 赤木の甘い囁きに、鷲巣は動揺して杖を草むらに落としてしまった。 |