涙と雨音



朝から降り続く雨は、夕方になっても変わらずに街を濡らし続けていた。
仕事帰り、南郷は家の近くにある駅に着くと人ごみの中に見覚えのある姿を見つけた。
細身の身体、特徴のある髪の色、そしてどこに居ても目立つ白いスーツ。 石川や赤木と共に川田組の組長宅へ行った時、安岡が連れてきた青年だった。彼は赤木の名を騙り、川田組の代打ちをしていた。
そんな彼がこの大雨の中をたったひとりで、傘もささずに俯き加減で歩いている。
胸騒ぎを感じた南郷は後を追い、肩に触れて引き止めた。サングラスを外した素顔を間近で見た途端、生まれた動揺を隠せなかった。
降り続く雨を浴びたせいで前髪が下りていると、本当に赤木とよく似ていた。ここまで似た人間を、安岡はよく見つけてきたものだ。
突然声をかけられた青年は警戒していたが、南郷が赤木と青年の勝負の場に居合わせた人間であることを思い出したらしい。 かと言って、特に喜ばれはしなかったが。
無言で立ち去ろうとする青年の顔色は悪く、足元もふらついていた。
数歩も進まないうちに倒れそうになったその身体を、南郷は慌てて支えた。


***


南郷はアパートの部屋に着くと傘を閉じ、連れてきた青年にタオルと着替えを手渡した。
服は少し大きめだが、濡れたものを着ているよりはずっといい。そのままでは身体が冷えて風邪を引いてしまう。 青年が着替えている間、濡れた白いスーツやシャツをハンガーにかけて吊るしておいた。 こうしておけば数時間後には乾くはずだ。
青年は着替え終わると、畳に腰を下ろした。 両膝を抱える姿は、初めて見た時よりも小さく細く見えた。彼のために温かい飲み物も用意して、落ち着くのを待った。
その青年の本名は平山幸雄といい、代打ちとして川田組に雇われていたが、数日前に他の組が立ててきた代打ちに敗れ、 結局は赤木に助けられたことを南郷に告げた。
それ以来、安岡には会っていないことも。
麻雀に巣食う悪鬼達にぶつかれば必ず食いものにされる、という石川の言葉を思い出す。
順調だったはずの平山は、ついにその時を迎えてしまったのだ。

「あの人に認められなきゃ、俺には何の意味も……」

窓が激しい雨に打たれ、音を立て続ける。それは静かな部屋に大きく響いた。

「っは……あ……安岡さん……!」

赤木と似た顔をして、安岡の名前を呟きながら涙を流す平山をどう扱えばいいのか分からなかった。 安岡と組んで赤木の名を騙っていたこと、そして赤木とは別の種類の天才だということ。 南郷が持つ平山に関する情報はあまりにも少なすぎた。
安岡は何故、こんなふうに落ち込んだ平山を放っておくのだろうか。 組んで仕事をしていたのなら、そばに居て励ましてやってもいいのではないか。
どういう事情があるにせよ、これでは平山が可哀想だ。彼は安岡の仲間であるはずなのに。
平山にとって今、そばに居てほしいのは安岡だ。過去に1度しか顔を合わせていない自分では、何の力にもなれない。
まだ湿り気の残る平山の頭に触れ、優しく撫でる。平山は驚いたように身体を竦ませた。

「辛いこと思い出させて、ごめんな」

気の利いた言葉もかけられず、上手く立ち回ることもできない。それでも何かせずにはいられなかった。 まるで赤木が泣いているように見えたからだ。
赤木が年相応の、普通の青年ならば。こんなふうに素直に気持ちを示すかもしれない。
やがて平山が泣き疲れて眠ると、敷いてあった布団まで運んでそこに寝かせた。
布団はひとつしか無いので、南郷は自分の上着を身体にかけて畳の上に寝転んだ。


***


「……南郷、さん」

遠慮がちに身体を揺すられて、目が覚めた。
すっかり乾いた白いスーツを着た平山が、畳に横たわる南郷を見おろしていた。
雨が止んだらしい窓の外は明るく、かすかに鳥の鳴き声が聞こえてくる。
いつの間にか朝を迎えていたのだ。
常に敷きっぱなしの布団は、きれいに畳まれて部屋の端に寄せられていた。

「俺、そろそろ行きます」

そう言って平山は立ち上がると、玄関のほうへ歩いていく。
南郷は急いで身を起こし、その後を追う。
こちらを振り返った平山と目が合った。顔色も昨日より良くなっているように見える。

「もう大丈夫なのか?」
「迷惑かけてしまって、すみませんでした」

泣き腫らした目は、胸ポケットから出したサングラスに隠れて目立たなくなる。
そして丁寧に頭を下げると、ドアを開けて部屋を出て行った。
あんなに傷付いてまで、無理をすることはない。
これを機に賭博の世界から離れて、その頭脳を生かせる仕事に就くといい。
地味だが堅実な生き方。数年前までは死と隣り合わせの生活をしてきた南郷にとって、 それはやっと手に入れた宝物と言っても良かった。
階段を降りアパートから遠ざかる平山の背中を、南郷は見えなくなるまで眺めていた。

南郷が平山と言葉を交わしたのは、この日が最後となった。




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2006/5/15