ささやかな願い 「石田さんって家族想いなんだね」 赤木は薄く笑みを浮かべて、男の手を取りそこにくちづけた。1枚の写真がその手を離れ、裏返しの状態で地面に落ちる。 驚いたような顔をして赤木を見ているこの男は石田という名前で、どう見ても地味で幸の薄そうな雰囲気だった。 夜の公園は静かで、赤木と石田以外の人の気配は感じない。ふたりで腰掛けているベンチは色褪せていて、多分古いものなのだろう。 何の用もなく歩いている最中に辿り着いたこの公園で、石田はベンチに腰掛けて写真を愛おしそうに眺めていたのだ。 暇だったので近づいてみると、写真には石田とその妻や息子らしき青年が写っていた。 後ろから盗み見ていた赤木の存在に気付いても嫌な顔ひとつせずに、照れくさそうに笑った。 軽い世間話をしているうちに、気の弱いところはあるが誠実そうな石田に興味が生まれた。興味というよりは、悪戯心に近い。 年相応な子供の仮面を被り、真っ直ぐな目線で石田を捕らえる。 「俺、そこまで親に愛されたことなんかないんだ」 「赤木君……?」 「息子さんが羨ましいよ、石田さんみたいな優しい父親が居てさ」 くちづけた手に舌先を這わせると石田は明らかに動揺し始め、赤木に何かを言おうとしているようだが言葉にできていない。 魚のように口を何度か開け閉めしながら、赤木を振り払うこともできずにせわしなく目を泳がせ、されるがままになっていた。 「ねえ、まだ家に帰らないの?」 「これから、行くところがあるんだ。まだ帰れない」 「それじゃあ、ちょっとだけ俺と遊んでよ」 いいよね、と優しい調子で問いかける。そして答えを待たずに石田のズボンのジッパーに手をかけ、そこに顔を近づけた。 ここまで来ればもうこちらのペースだと思っていたが、そっと肩を掴まれて股間から顔を離された。見上げると、石田はどこか悲しそうな表情をしていた。 「寂しくて辛いのかもしれないけど、こんなことをしちゃいけない」 「何言ってるの、あんた……」 身売りをする若い女を諭しているかのような石田の様子に、赤木は調子を狂わされた。くだらないことを気にせず、身を任せて楽しめばいいのに。そう思って眉をひそめる。 石田は自身も体験したらしい助かる見込みのない悲惨な状況から、自力で這い上がっていった男のことを赤木に話した。最後まで決して諦めなかった、奇跡のような青年だったと。 要するに、投げやりになって自分を粗末にするなということを言いたいのか。あいにくだが別に投げやりになってはいないので、気のきいた返事が思い浮かばなかった。 すっかり萎えてしまった赤木は深く息をつきながら立ち上がり、ベンチに座ったままの石田を見下ろす格好になった。 「どこ行くの」 「え?」 「さっき、これから行くところがあるって言ってた気がするけど」 「うん……そうだね、スターサイドホテルっていうところに」 まだ営業していないのかどうかは知らないが、聞いたことのない名前だった。あまり口外してはならない情報だったのか、石田は手のひらで慌てて口を押さえる。 脅したり誘導したわけでもないのにうっかり喋ってしまうとは、馬鹿正直もいいところだ。 そこに何の用があるのかは興味がなく、後を追うつもりもなかった。地味な雰囲気の石田とはあまり結びつかないような、大げさな名前のホテルだと思った。 「あそこに行けば、きっと何とかなる……いや、しなきゃいけないんだ」 足元に落ちた写真を拾った石田は、真剣な眼差しでそれを見つめる。 多分この男にはいくらかの借金があって、先ほど口にしていたホテルでは借金が帳消しになるか、それとも多額の金を手に入れることができる何かがあるのだろう。 その分、ついて回るリスクも高いはずだが。甘い汁を吸うにはそれくらいの覚悟がなければ話にならない。 「そろそろ俺、帰るよ」 これから石田も別の用があるらしいので、これ以上居ても仕方がない。踵を返して公園の出入り口に向かいながら、これからどこで暇を潰そうかと考えた。 「あ、赤木君!」 名前を呼ばれて振り向くと、石田がベンチから立ち上がってこちらに手を伸ばしかけていた。 「何か用?」 「俺は臆病で不器用で、駄目な人間なんだ。そのせいで周りにも迷惑をかけてきたから、家族想いだなんて言われたのは初めてで……嬉しかったよ」 そう言って表情を緩めた石田を、赤木は冷めた気持ちで眺めた。上手く誘惑するために出した言葉に、まさかここまで感激されるとは思わなかった。 しかし全くの嘘ではなかった。家族の写真を持ち歩き、妻や息子のことを本当に大切な存在として語った石田は、優しい心を持った温かい人間だ。 いつかは大切な家族に見守られながら、その人生を閉じるに違いない。ほんの少しのそんな願いを込めて、赤木は無言で再び石田に背を向けた。 |