欲望と期待のくちづけ 何か食べたい、と言った赤木に市川が差し出してきたのは箱に入った小さな饅頭だった。 12個が隙間なく収められてるので、それまでひとつも手をつけていないことが分かる。 もしかしてわざわざ用意してくれたのかと思ったが、聞いてみると市川を慕う川田組の若頭からこの家を訪れた際に手土産として渡されたものらしく、一瞬でも期待した自分が愚かしいと思った。 「全部お前にやるから、食えよ」 「あんたは食べないの?」 「いや、遠慮しておく」 妙にしおらしいのが怪しい。しかしこの男が快く何かを食べさせてくれるのは珍しいことだったので、嬉しかった。 畳に伏せて置いていた点字の本に市川が再び指を滑らせるのを眺めながら、赤木は饅頭の包装を取って食べた。 ……甘い。しかも半端な甘さではなかった。饅頭は甘いものだと分かっていたが、想像の範疇を超えていた。 高級な店で売られているような小奇麗な箱に入っているので、決して質が悪いわけではないが気に入らない。 「どうだ、味は」 「ものすごく、甘い」 「そうか、やっぱりな」 たっぷりと不満を含ませた赤木の返事に、市川は肩を揺らして笑った。普段と変わらない、低い笑い声。 「まさかあんた、俺を実験台代わりに」 「人聞きの悪いことを。まあ、確かに甘いものは苦手なんでね……否定はせんよ」 強くて賢くて、思い通りにはならないけれど愛しい男。今はただ腹立たしいばかりだ。 子供ならとりあえず菓子を与えておけば喜ぶとでも思っているのか。 残った饅頭全てをその背中にぶつけてやりたい衝動を密かに抑えた。 甘すぎる饅頭よりもっと欲しいものがあるのに、肝心のそれをなかなか与えてくれない。 自分ならきっと、どこの誰よりもこの男と同じ深さまで潜っていける。どうなっても構わない。 たとえあの麻雀で負けた腹いせに身も心もめちゃくちゃにされたとしても。再び逢った時からその覚悟はできていたのに。 常に赤木から1歩引いたところで静かに笑っているのが許せなかった。 いくら誘ってみても余裕でかわされて、どうすることもできない。 腰を上げて静かに市川に近づくと、赤木はその唇を奪った。明らかに経験不足な、未熟なくちづけ。 口に残る甘さを共有させるかのように、一方的に舌を絡めていく。 先ほどの出来事が悔しくて、ほんの少しだけ意地になっていた。 最初は不機嫌そうに眉を寄せるだけだった市川は、何の前触れもなく深いくちづけで、赤木を攻めてきた。 苦しくなって唇を離そうとしたが、逃がしてはくれなかった。 とまどう心とは裏腹に、身体は恐ろしく素直に反応してしまう。 願望の欠片でも満たされたような気がして、悦んでいるのだ。 ようやく解放されると、赤木は息を震わせながら市川にしがみついた。 このままもっと深く暗いところまで連れていってくれないだろうか。 そんな想いを胸に市川の股間に触れた途端、手を掴まれて遮られた。 刺激を与えればその気になるはずだ、という浅はかな考えを見透かされたかのようだ。 「脅してやれば、少しは懲りると思ったんだがな」 「俺がそんなにやわな相手じゃないことは、あんたがよく知ってるくせに」 「……生意気な小僧が」 口の中からはもう、饅頭の味は消えていた。更に熱く甘いものを知ってしまったからだ。 |