同じ世界で 連続した痛みが全身を襲う。しかしそれはほんの数秒のことだった。 仰向けになった赤木が顔を横に傾けると、上へと続く階段が見えた。 たった今、自分が転がり落ちてきた階段だ。 めったに使われない場所であるため、視線の先で少し埃が舞っている。 遠くから聞こえてくる、廊下が軋む音。それは次第に近くなり赤木のそばで止まった。 「何だ、今の音は」 耳に心地よい、低く静かな声だ。 この家の主である男は、こうして廊下に転がっている赤木の姿を前にしても何も言わない。 見えていないのだから、こちらが口に出して説明しない限り知ることはない。 その男が唯一見ているのは果ての無い闇。閉ざされた視力の代わりとして、研ぎ澄まされた聴覚や、 手で触れた感触で状況の全てを読み取るのだ。 時にはなめらかに、時には恐ろしく巧みに動く手に赤木は心を奪われる。 勝負の夜、思うがままに牌を操る姿をはっきりと覚えている。 数週間経った今でも目の裏に焼きついて離れない。忘れられない。 どうしようもない渇きを満たせるのは、まさにこの男だと確信した。 赤木の中では、まだ決着はつかぬままだ。 あの夜も逃がしたくはなかったが、無粋な大人達によって強引に幕を降ろされてしまった。 引き際など知らない。そんなものは。 納得行くまで戦えるのならその結果、死んでもいい。それでもいい。 「別に……大したことじゃない」 そう言いながら目の前に持ち上げた腕には、いくつかの青い痣が浮かんでいた。 時間が経つにつれて痛みは引いて行くが、この痕はしばらく消えないだろう。 赤木は唇の端に笑みを乗せた。階段から落ちたのは、おそらくそうなるという予感があってこその結果だった。 目が見えないとはどういうことか、それを試したくて一時的に視界を遮った。その最中に階段を踏み外したのだ。 わざと音を聞かせるかのように、赤木は脱いだシャツを畳の上に落とした。 ゆっくりと顔を上げた市川の前に膝をつき、その手を取ると裸の胸に押し当てる。 「小僧、何の真似だ」 「言わなくても分かるだろ、あんたを誘ってるんだよ」 「馬鹿なことを……こんな老いぼれを相手にして、面白いか」 「面白いかどうかは、俺が決める」 「……ふざけやがって」 表情も口調も苦々しいものだが、赤木の手を振り払おうとはしなかった。 背を這う乾いた手の感触に溺れながら、市川の細い肩にしがみつく。 本当にその気になっているかどうかは分からない。気持ちの流れが読みにくい男だからだ。 誘っていると言ったものの、赤木もそれほど経験を積んでいるわけではない。 それなら市川に全て教わるのもいい、まだ未熟なこの身体を奥深くまで使って。 息が甘く乱れてきた頃、腕の青痣に触れられて赤木は小さく呻いた。 市川もそれに感づいたのか、指で痣の部分を辿ると強めに押してくる。 知られないように息を詰めて耐えたが、そこばかりいじられて声が出てしまう。 「も、やめ……っ」 「怪我をしているのか、赤木」 「何でもねえよ、気のせいだ……」 「お前が言うなら、そういうことにしておくか」 そう言う市川の口元が、意地悪い笑みに歪む。そこから白い歯が見えた。 狙いを定めて、容赦無く攻められる。求める心と苦痛が入り混じり、何も考えられない。 愛する女のために、自分の目を針で突き刺した男の話を本で読んだことがある。 火傷を負ったこの顔をお前にだけは見られたくない、と嘆いた女の願いを、その男は偽り無く叶えてみせた。 そして、かつては美しかった女の姿だけを永遠に心に留めた。 女は盲目だった。同じ暗闇の世界へ、男は自ら足を踏み入れたのだ。 あれは狂気にも似た愛情だと思う。とても常人では辿り着けない、世界の果て。 もし、この目を潰せば。 市川と同じ世界に行けるだろうか。同じものを見て、知ることができるだろうか。 そこで待っているのが修羅でも構わなかった。 たとえ2度と戻れなくなっても。 |