しげみと矢木さん・2 「私、オレンジジュースね」 何でも好きなもの頼んでください、と言われてメニューを開いた俺より先に、斜め向かいの席から上がった声。 そいつは俺が睨んでも平然としている。本当に憎たらしい、可愛げがない、腹立たしい。 「平山さんは俺に訊いてきたんだぜ、お前は関係ねえだろ……赤木」 「私はゆきこじゃなくて、あんたにおごってもらうつもりだけど」 赤木は真顔でとんでもないことを言い出した。昨日知り合ったばかりの男にそこまで図々しくなれるなんて、やっぱりこいつはまともな神経の持ち主じゃない。 「俺がお前におごらなきゃいけねえ理由でもあるのか」 「昨日あんた、私を電車で押し倒し……」 「あっ、あれは違うって言ってんだろ!」 正面の席に座っている平山さんは何を誤解したのか、赤木と俺の顔を交互に見た後に訝しげな視線をこちらに送ってきた。 すごく気まずいから、やめてほしい。そんな目で見ないでくれ。 女子高生ふたりと、人相の悪いチンピラ風の男ひとり。そんな俺達は大勢の客で賑わうファミレスの中でもかなりの勢いで浮いていた。 夕方、帰宅した俺をドアの前で待ち伏せていたのが今ここに居る赤木と平山さんだった。 赤木に免許証を抜き取られた時、どうやらそこに書いてある住所まで見られていたようだ。 まさか家にまで押しかけられるとは思っていなかったので、ふたりの姿を見た直後は驚いて声も出なかった。 平山さんというのは昨日の朝に痴漢されていた女子高生で、赤木とは同じ学校に通う友達らしい。 こうして並んでいると、双子じゃないかと思うほど似ていた。髪形まで同じだったら、見分けるのに苦労しただろう。 短めの髪を後ろに流しているのが平山さんで、彼女と同じくらいの長さの髪に小さな赤い飾りをつけているのが赤木だ。 昨日助けてくれたお礼がしたいと熱心に言う平山さんに、それならコーヒーの1杯でもおごってもらおうかと思って近くのファミレスまで一緒に来た。 当然のような顔をして、赤木までついてきたが。 「しげみ、髪飾りが曲がってる」 「そう? じゃあ直して」 赤木は何の遠慮も無く平山さんに頭を傾ける。 友達なのだから別におかしい光景ではないが、赤木に散々からかわれた俺は不愉快になっていた。 たとえ、どんなに小さなことでも気に障る。 「それくらい自分で直せよ」 「いいんです、私が気になっただけなので……」 「ゆきこがこう言ってるんだから、いいじゃない」 「……もう、好きにしろよ」 よほど几帳面なのか、平山さんは赤木の髪をていねいに指で梳いて、髪飾りを付け直す。 俺から見るとさっきとあまり変わっていないような気もするが。 しばらくして赤木がトイレに行くと、平山さんとふたりになった。 沈黙が続くのが耐えられず、何か話題を探していると平山さんのほうが先に話を切り出した。 「あの子、ちょっと変わってるでしょ」 「赤木が? まあ、確かに」 昨日の電車での一件で、赤木が変わり者だということは嫌というほど分かった。 利き腕1本を賭けた麻雀だの何だの、驚かされることばかりで参る。 無意識にため息をつくと、重なった唇の感触がよみがえってきた。 ……冗談じゃない、どうしてあんなことを思い出さなきゃいけないんだ。忘れたいのに。 「しげみが持っている感覚っていうのは、他の人とは違うところがあって……たとえば身体をの一部を賭けた勝負なんて、私には理解できなかった」 あいつ、俺以外の人間にも腕やら指やらを賭けさせているのか。どうしてそこまで危ない橋を渡るのが好きなんだ? その後の話で、平山さんは麻雀の腕に相当の自信を持っていたが、赤木に負けてからは牌にすら触れていないと知った。 並外れた記憶力を持ち、確率を重んじるという彼女の麻雀は、赤木の前では空しいほど通用しなかったらしい。 やっていることは同じ麻雀でも赤木にとってはギャンブル、平山さんにとってはゲーム。その心構えの違いが、勝敗を分けたのだと。 「もし矢木さんが、しげみから勝負を挑まれているなら、やめておいたほうがいいと思います。麻雀を商売にしているなら尚更」 しげみを侮っていると潰されますよ、と平山さんは真剣な口調で俺にそう言った。 やがてトイレから出てきた赤木が、俺達の居るテーブルに戻ってきた。 見た目は普通の女子高生なのに、その目には底知れない恐ろしさが潜んでいる。 まだ戦うと決めたわけでもない今から、こいつに負けて腕を差し出さなければならない瞬間を想像して、俺は身体の奥底から震えた。 |