しげみと矢木さん・4 「私、この人と付き合ってるから」 淡々とした口調でそう言う赤木の肩を抱き寄せると、目の前に居る男の顔が青くなった。 いかにも頭の軽そうな、服装も髪の色も派手な男。 赤木はこんなやつとどこで知り合ったんだ? 「おい、しげみ……お前本当にこのヤク、いや、そいつと付き合ってるのか?」 こいつ今、俺のことヤクザって言いかけたよな。 俺と目が合った途端に途中で言い直していたが、絶対そうに決まっている。 いっそのことヤクザになりきってやろうかと思いながらも、バカバカしいのでやめておいた。 しかし俺が気に入らないのはそう呼ばれたことではなく、もっと別の……いや、何でもない。 「何度も言わせないで」 「……分かったら、さっさと消えな」 男に向かって脅すように言った後、俺は赤木の耳にゆっくりと唇を寄せていく。わざと見せつけるように。 舌打ちをして走り去っていく男の姿が見えなくなると、赤木から身体を離した。 大きくため息をついた俺の横で、赤木は愉快そうに目を細める。 「お疲れ様、矢木さん」 「なんで俺があんなこと……」 数時間前に赤木からいきなり電話がかかってきて、ろくに理由も聞かされないまま俺は駅前に呼び出された。 先に着いていた赤木に、これからここに知り合いの男が来るから今だけでも彼氏の振りをしてほしいと頼まれ、 そんなの知るかバカ野郎だのと文句を言っているうちに、例の男が俺達の前に現れてしまったのだ。 もちろん納得は行かなかったが赤木には弱みを握られているため、強く拒否することはできなかった。 しかも日曜でも制服を着ているのはどういうつもりなのか。 「あの男、しつこくて。私に彼氏が居るって証拠を見せればもう近づいてこないと思う」 「もうやらねえからな」 日曜の駅前は人で賑わい、俺達はそんな中であのわざとらしい演技をこなした。 用事は済んだので帰ろうと思い踵を返すと、後ろから袖を掴まれた。 「せっかく街まで出てきたんだし、買い物付き合ってくれる?」 「はあっ、何言ってやがる。それなら平山さんとでも一緒に行っ……」 「仕事が来るまで、どうせ暇なんでしょ」 「わっ、そんなに引っ張るな!」 こいつの言うとおり、週に2、3度の代打ちの仕事が入るまでは特にやるべきことは無い。 結局また流されるまま、女の買い物に付き合わされる羽目になってしまった。 夕方近くになった頃、長い買い物にようやくひと段落ついたようだった。 どうして女はこういう時に限って、休む間も無く歩き回れるんだ。 俺の役目と言えば荷物持ちくらいで、これくらいなら他の誰でも良かったんじゃないのか。 「疲れたから、あの辺で休んでいかない?」 更にしばらく歩いた後に赤木が指差したのは、ご休憩やご宿泊と書かれた看板が並ぶホテル街だった。 サラリーマンが出張で泊まるようなところじゃない、どう見てもラブホテルだ。 休憩するなら喫茶店やファミレスという考えは、こいつの頭から消え去っているようだ。 「……ふざけるのもいい加減にしとけよ、赤木」 「眠くなったら寝られるし、ちょうどいいじゃない」 「寝たいなら家に帰ればいいだろ」 「面倒」 まるで病院にあるような、簡素で安っぽいベッドだった。 本来の使用目的通り、シャワーを浴びた後はやるだけ、という感じの味気無い部屋だ。 沈黙が重苦しい。ベッドの端に座っている、口を閉ざしたままの女子高生をどう扱えばいいのか分からない。 そんなに多く喋ったり、明るく笑ったりする奴ではない。淡々と、そして鋭く、人の弱い部分を攻めてくる。 好きとか嫌いとかそれ以前に、俺はこいつを恐れているのかもしれない。 「いつまでも立ってないで、あんたも座れば」 聞こえてきたそんな一言で、俺は我に返る。 赤木から人ひとり座れるほどの距離を空けて、腰を下ろした。 「赤木、もうあんなことするなよ」 「あんなことって?」 「付き合ってもいない男の前で裸になったりとか、そういうことだよ」 「私なりに、相手は選んでるつもりだけど」 「……この前初めて会ったばかりだろ、俺の何が分かるんだ」 「もう充分すぎるくらい」 一体どこまで知られているのか確かめたい反面、それを知るのが怖かった。 こいつに出会ってから俺は、散々振り回されて心を乱されている。 ただひたすら生意気で憎たらしい存在だったはずが、あの肩の傷を見て何かが揺らいだ。 「もし俺に襲われてもお前、何も文句言えなかったんだぞ」 「それでも、いい」 「……何だって?」 「傷の話をした後、隣で眠ってるあんたの顔をずっと見てるうちに、私は……」 顔をこちらに向けてきた赤木と、目が合った。 深く暗い海の底を思わせるそれは、沈んでしまったらもう2度と浮き上がれず戻れない、そんな気にさせた。 「あんたになら、どんなことをされても構わないって思った」 何考えてるんだこいつは。もしその意味を俺が妙な方向へ取ったらどうなるか、分かった上で言っているのか? しかしもう過ぎたことだ、あんな夜がまた繰り返されてはたまらない。 とんでもないことを大真面目な顔で言うのはやめてほしい。冗談だと思って軽く流せなくなってしまう。 「あんたに、もうひとつだけお願いがあるんだけど」 「今度は何だよ」 「ここで、恋人みたいに抱き締めてよ。そうしてくれたら、もう無茶は言わない」 「お前なあ、またそんなことを……」 いつまでもこいつのわがままに付き合ってやる気は無い。 そんな時、昨日の夜に見たシャツ1枚の赤木の姿を思い出してしまった。 よりによってこんな場所で……勘弁してくれ。 赤木の頼みをきかないと、多分ここから出られない。 仕方が無いのでベッドから立ち上がると赤木の手を掴んで引き寄せた。 引っ張られた勢いで俺のほうへ倒れこむようにしてきた赤木の身体を、腕の中で包み込む。 赤木は俺の上着の袖を掴んで、身を委ねてくる。 俺達は隙間なんて無いくらい密着していて、もはや逃げ場すら残されていない。 「あったかい……ねえ、もっと」 「ん?」 「もっと強く、してよ」 赤木を抱き締める腕に更に力を込めると、背中に細い両腕がまわされる。 いつもは生意気で腹立たしいのに、こういう時だけ大人しいのは何故だ。 ああ、こうしていると本当に恋人みたいだな、と血迷った気分になった。 相手は20以上も歳の離れた高校生だというのに、明らかに異常すぎるだろ。下手したら犯罪だ。 教師が生徒に手を出して逮捕、というニュースが他人事ではなくなりそうだ。俺は教師ではないが、年齢的に色々とまずい。 せめて赤木と似たような年代だったら、こんなに悩まなかった気もするが。 やがて身体を離しても、赤木は俺を真っ直ぐに見つめてくる。 無意識にその、かすかに紅潮した頬に触れてしまう。顔を少し上げて、目を閉じる赤木。 やばい、と思った。一体俺は何をしようとしている? このまま行ってしまうと後戻りはできなくなる。分かっているのに、自分を止められない。 俺が迷っていると赤木の目がゆっくりと開いて、唇が動いた。 「もう、出ようか」 「……赤木」 「私のわがままきいてくれたし、これ以上は何も要求しない」 赤木はそう言って、部屋のドアに向かって歩き出す。 伸ばしたままの腕を慌てて引っ込めると、赤木の頬に触れた手を強く握りしめた。 ホテルを出ると、辺りはすっかり薄暗くなっていた。 駅を目指して何も言わずに歩いていると、赤木の白い手が俺の指に触れた。 偶然ぶつかったにしては、それはずっと離れない。 赤木はひたすら前に目線を向けたまま、そっと手を握ってきた。 心臓の音が、途端にうるさくなる。いつからこんなに、赤木のことを……。 熱くなる頬に気付かれないようにしながら、手を繋いだまま歩き続けた。 |