しげみと矢木さん・5 夕方、車で近所を移動していると見覚えのある人物が歩道に居るのを見かけた。 両手には買い物袋が下がっている。かなり物が詰め込まれていて重そうだ。 今までは制服姿しか知らなかったので、ジーンズにTシャツという格好がどこか新鮮だった。 俺は歩道側に車を止めると、窓を開けて顔を出した。 「平山さん」 声をかけると彼女はすぐに気付いて振り返る。 額にはかすかに汗がにじんでいて、その荷物を運ぶのがいかに辛いかを示していた。 「こんなところで会うなんて偶然ですね、矢木さん。お仕事の帰りですか?」 「ん、まあ、仕事というか野暮用で。君もこの近くに住んでるの?」 「実はひと駅ぐらい離れてるんですけど、チラシを見たらこの辺のスーパーで欲しいものが安売りしてたので」 まさかこの距離をそんな大荷物を持って歩くつもりだったのか。いくら何でも無謀すぎる。 「良かったら家まで送って行こうか」 「えっ、そんな……私、大丈夫ですから」 「いや、俺にはとてもそうは見えないからさ」 すでに限界がきているのか、平山さんは両手の買い物袋を地面に下ろして深く息をついた。 開いた指の関節あたりは真っ赤になっていて、手提げ部分の跡が痛々しく残っている。 平山さんは苦笑いをしながらこちらを見ると、お願いします、と丁寧に頭を下げた。 助手席に乗った平山さんがシートベルトを締めたのを確認してから、再び車を走らせる。 今まで彼女が持っていた荷物は全て後部座席に乗せてある。それらを受け取った時に感じた予想以上の重さには愕然とした。 野菜や肉に混じっている缶ビールなどの酒の類がやたらと重かったのだ。親から頼まれたのか? そんなことを考えている最中、平山さんが彼氏と同棲していることを思い出した。本人から聞いたわけではなく、赤木情報だが。 彼氏は確か刑事だったか。そうとは知らない他の男が近づいて間違いが起きたら、ただでは済まなそうだ。 俺自身は平山さんに対する下心は全く無い。それなら赤木に対しては……と聞かれたら、情けないことにきっと何も言えない。 数日前のホテルでの件以来、赤木をはっきりと意識していた。告白されたわけでも抱いたわけでもないのに、何かがおかしい。 恋人の振りはもう終わったはずだ。それに赤木とは、親子でもおかしくない年の差がある。変な考えは捨てたほうが賢明だ。 しかし頭では分かっていても、心では割り切れていない。かなり手に負えない状態だった。 「赤木ってさ、肩のところに傷あるだろ。でかいやつ」 「そうです……って、どうして知ってるんですか?」 平山さんの驚いたような口調に、俺は血の気が引いた。 あんなところにある傷、よほど露出のある服を着ているか、もしくは裸にでもならないと見えるはずがない。 まさか風呂上りの赤木が俺の部屋で一晩過ごしたことは言えず、返事に詰まった。 話を進めるためには、強引にでも方向を切り替えるしかない。 「揉めごとがあった時に斬られた傷だって、本人に聞いたけど」 「まあ、色々……あったんです」 「いつもそうなのか?」 「……えっ」 「あいつは、そういう厄介ごとによく巻き込まれているのかな」 平山さんは黙ったままだ。運転中の俺は前だけを見ているので分からないが、困った顔をしているに違いない。 赤木の傷の話になってから、平山さんはどこか言葉の歯切れが悪い。触れられたくない話題だったのか。 まるで彼女を追い詰めているようで良い気分ではなかったが、それでも止められなかった。 「……言うべきかどうか迷ってたんですけど、矢木さんはしげみのこと心配してくださっているようなので」 そう言うと平山さんはゆっくりと息をつき、再び口を開いた。 「揉めごとっていうのは、ギャンブルが原因なんです」 「ギャンブル?」 「普段からしげみと対立しているグループが力や人数にものを言わせて、勝敗をひっくり返そうとしました」 「ひどいな……それって、ただの悪あがきだろ」 「本当はしげみが勝っていたのに、相手側はそれを認めたくなかった。だから卑怯な手段で握りつぶそうとしたんです」 「それで、その連中に斬られたんだな」 「脅されてもしげみは1歩も引かなかったから。危ないところを、駆けつけた安岡さんが助けてくれて……」 ギャンブルに関わっている限り、赤木はこの先何度でも同じような目に遭うだろう。 とんでもなく強い打ち手が現れて、赤木を相手に大勝すれば話は別だが……。 翌日、俺は赤木からの電話で近くの喫茶店に呼び出された。 約束の時間ぴったりに現れた制服姿の赤木は俺の向かいの席に腰を下ろすと、メニューも見ずにいきなり話を切り出す。 「時間と場所が決まったから」 「何の?」 「私とあんたの麻雀勝負に決まってるじゃない」 「……あれ、本気だったのか」 「冗談だと思ってた?」 それどころか俺は勝負を受けると言った覚えは無い。しかし今は、受けなければいけない理由ができた。 赤木は自分の意志を貫くためなら、ためらわずに命を捨てる。 こいつを死なせたくないと思った。たとえどんな無謀な手段を使ってでも。 どこまで出来るかは分からないが、他に頼める人間は居ないのだから仕方が無い。 「もし俺が勝ったら、ギャンブルにはもう手を出すな。お前の好きな麻雀も何もかも全部だ」 「もし私が勝ったらあんた、どうしてくれるの? そこまで要求しておいて、腕の1本だけじゃ済まないよ」 「腕でも足でも、好きなだけ持っていけ……お前にくれてやる」 「ふーん、思ってたより度胸あるじゃない。当日が楽しみね」 赤木は勝負の時間と場所を告げ、当日には俺の家まで迎えの車を行かせると言ってきた。 もし俺が負けた場合、赤木の要求次第では今の仕事を続けられない身体になるが、それでも悔いは無かった。 |