残された時間/1



裏パチンコ「沼」の勝負から2ヶ月後、仲間と共に地下の労働から解放されたカイジは、元のアパートでの生活を続けている。
約7億の勝ちをはじき出したとはいえ遠藤や坂崎への配分、そして自らのミスで生まれた恐ろしい金利などで、カイジの取り分は大幅に減ってしまった。
ギャンブルでいくら大金を手にしても結局、自分の元には残らない運命なのかもしれない。野良犬のようなこの身には豪邸生活よりも、狭いアパートのほうが似合っているのだ。
階段を上り、ドアの前で鍵を出した途端に背後から肩を掴まれた。
驚いて跳ね上がる心臓。しかも今は夜中で、これで冷静でいろというほうが無茶だ。
誰も居ないと思っていた背後には、ひとりの男が立っていた。
薄汚れたシャツにズボン、しかしその整った顔立ちは印象的で、よく知っている男だった。

「い、一条……!」
「久しぶりだな、カイジ」

口元には薄い笑みが浮かんでいるが、目は一切笑っていない。まるで獣のように鋭かった。 一条はカイジが「沼」を攻略した直後、帝愛の黒服達に連れていかれた。 その後は問答無用で地下に落とされたらしいが、まさかこれほど早く解放されるとは……。

「バカ言え、あの件で俺が帝愛に与えた損害は7億……易々と解放されるわけがない」

呆れた口調でそう言って、一条は左手首に巻きついているものをかざして見せた。 腕時計にも似たそれは、娑婆での滞在時間を示すものだった。
2ヶ月ほど普通に働いた給料だけで、1日50万ぺリカの外出券には届かない。 ということは何らかの方法で短期間に大量のぺリカをかき集め、外出する権利を買ったのだ。
そういえば、地下に落ちて1年未満の者は外出できない決まりになっていたような。
そんな決まりすら覆す何かを。智略に長けたこの男なら、やりかねない。


***


「で、どうして俺のところに来たんだ?」

ドアの前で立っていても仕方がないので、とりあえず一条を部屋の中に入れたカイジは訝しげにそう訊ねた。
テーブルの向こうに腰を下ろしている一条は、憮然とした顔で黙ったままだ。これでは話が進まない。

「一時的とはいえせっかく出られたんだから、お前を慕ってるあの店員のところに行けばいいだろ」
「……村上のことか」
「喜ぶんじゃないか、きっと」
「それはダメだ。このみずぼらしい姿を、あいつには見られたくない」

低く呟いた一条は、固く心を閉ざすかのように両膝を抱えた。

「はあっ、なんだそれ……わけ分かんねえ」
「人の上に立ったことのないお前に何が分かる!」

テーブルに拳を叩きつけた一条が怒声を上げる。
一条は、少なくとも部下の前ではカジノの店長だった頃のような、小奇麗で高慢な自分でいたいのだ。 地下に落ちて、みっともない格好の自分を知られたくない。失望されたくない。やたらプライドの高いこの男は多分そう思っている。
脳内で何かが切れたカイジは立ち上がり、一条の目の前に人差し指の先を突きつけた。

「こんなところでうだうだぐねぐねしやがって、つまんねえ奴だなお前は!」
「パチンコ台の前で、泣きながら失禁した奴に言われたくない!」
「あっ、あれは俺じゃねえよ! 人違いだ!」
「ふん……恥知らずが」

カイジの指を乱暴に手で払うと一条は、何事もなかったかのように髪をかき上げる。
しばらく続いた睨み合いに疲れ、カイジは再び腰を下ろした。
そんな時、ある記憶が頭によみがえってきた。手元に残った10万全てをパチンコで失い、解放された仲間の前へ出ていけなかった自分。 つまらない見栄、思い込みで、他人に背中を押されないと永遠に前へ踏み出せなかった自分。 それなのにこうして一条を責める権利などあるだろうか。

「まあ、考えてみれば……お前が買った時間をどう使おうが、俺の知ったこっちゃねえか」

否定も肯定もせず、一条は俯いている。
沈黙の中で、一条がカイジの元へ来た理由を考えた。 あのカジノへ出入りし始めた頃からカイジのことは調査済みだったらしいので、住所くらい知っていてもおかしくはない。
他に行くところはなかったのか。家族は? 親戚は?
一条の腕に付けられた時計は、残り時間をカウントし続けている。それはいくら抗おうとも確実に溶けていく。
時間は金持ちにも貧乏人にも等しく与えられる、その法則通りに。




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2006/8/13