残された時間/2 どさどさっと音を立てて、何かが頭に降ってきた。 驚いて目を開けると、それまで顔を伏せていたテーブルにはおにぎりやパン、紙パックの牛乳などが散らばっていた。 「賞味期限切れの肉や魚……冷蔵庫の中身まで計画性のない、本当に呆れた奴だ」 コンビニの袋を手にした一条が、テーブルの向こう側でカイジを見下ろしている。 いつのまにか窓からは朝日が差し込んでいて、あれから一条と向かい合ったまま寝てしまったことに気付いた。 ろくに仕事すらしていないのに、疲れていたのだろうか。しかも決して友好的な関係ではない相手を目の前にしながら。 散らばっているおにぎりを手にすると、それは温かかった。 「これ、俺のためにお前が買っ」 「いいから早く食え!」 カイジの言葉をさえぎって怒鳴ると一条は、腰を下ろしてサンドイッチを包むフィルムを開け始めた。 言葉や態度は荒っぽいが、もしかするとちょっといい奴なのかも……と、またしてもぬるい考えを浮かべながら、カイジは牛乳にストローを差し込んだ。 おにぎりやサンドイッチに紛れていた焼き鳥のパックを見て、地下での生活を思い出す。 この世のものとは思えぬきつい労働、プライバシーの欠片もない共同部屋、そして班長とのチンチロ対決。 解放された今では昔話だが、一条にとっては直面している現実なのだ。滞在時間が過ぎればまた地下へ戻ることになる。 あの生活に、カジノの店長として豊かな生活を送っていたはずの一条はどう耐えているのか。 「地下での娯楽なんて、冷えたビールや焼き鳥くらいしかなかったもんな……」 「ビールに焼き鳥だと?」 「労働の後に飲む、キンキンに冷えたビールはもう犯罪的に美味くて、俺は結局何日も続けてズルズルと……!」 自分で言って情けなくなってくる。あの初日すら耐えれば……いや、班長が気まぐれに差し出してきたあのビールがいけなかった。 まさにあれが豪遊という名の、甘美な地獄への入口だ。 外出券を得るにはぺリカを貯めなければいけないと分かっていながらも繰り返した無駄遣い。 「お前、本当に外出する気あったのか? 救いようのないバカだな」 一条の冷たい視線や、呆れたようなため息がカイジの胸に突き刺さる。 しかも『バカ』という単語をやたら強く発音しているのが腹立たしいが、反論の言葉すら浮かんでこなかった。 仲間と協力してあのチンチロに勝っていなければ、貴重なぺリカをビールや焼き鳥に変えて延々と消費し続け、娑婆に出ることすらできずにあのまま15年、地下での労働を続ける羽目になっただろう。 「ああっ、もう俺って本当に最悪……あの頃の自分を叱ってやりたい……!」 「朝っぱらから泣くな、うっとうしい!」 あの頃の自分を叱る前に一条に叱られたカイジは、悲しくなって更に肩を落とした。 しばらくすると、玄関のドアがノックされた。チャイムがついているというのに、ノックの音は次第に叩きつけるような乱暴なものになっていく。 家主であるカイジは立ち上がってレンズ越しにドアの外を覗くと、小さく声を上げた。おそるおそる振り返ると一条と目が合う。 「何だ」 「一条……外に居るの、確かお前のところの店員」 カイジが言い終わらないうちに血相を変え、一条はドアの小さなレンズに顔を近づけた。 そして青ざめた顔で唇を噛むとトイレに駆け込んでそこに閉じこもる。 「おい、何やってんだよ!?」 「あいつには、俺はここに居ないと伝えろ!」 「でも……」 「うるさいっ、もしばらしたらお前を絞め殺す!」 トイレのドア越しに伝わる切迫した様子にため息をつくと、カイジは玄関のドアを開けた。 着ているのはカジノの制服ではないが、その男は間違いなく一条のそばに居たあの店員だった。 「店長が、あの人がここに入るのを見たんだ!」 何の挨拶も名乗りもなく、店員はカイジを押しのけて中に入ってきた。 一条の動揺からして、この男が村上という名前の店員だ。 「か、勝手に上がりこむな!」 「あの人をどこに隠したんだ、この野郎!」 村上は一条の姿が見えないと分かった途端、カイジの胸倉を掴んで揺さぶってきた。 目に宿る凶暴な光。一条に逢いたいという必死な想いを、痛々しいほど感じる。 「お、落ち着けって……ここには俺以外、誰も居ない」 「嘘をつくな!」 「とにかく俺はこれから出掛けるから、帰ってくれ……!」 カイジは負けずに力を振り絞り、暴れる村上を強引に外に押しやってドアの鍵をかけた。 怒声と共に再びドアがしつこく叩かれるが、もう応対する気力はない。 一条と村上、わずか数分間で2人の板ばさみになって疲れてしまった。 トイレのドアを開けると、一条が背中を向けて立っていた。その肩が震えているのを見て、カイジは何も言えなかった。 本当は逢いたいんだろ、という言葉は喉に引っかかり、そのまま胸に重く深く沈んだ。 |