残された時間/3 朝からうるさかった一条だったが、とうとう口を閉ざしてしまった。 逢いたくない、と頑固に言い張っている人間にはもう何を言っても効き目がないと思いながらも、辛そうに肩が震えている様子を見てしまっては放っておけない。 この家に村上が乗り込んできてから、決意はきっと揺らいだに違いない。あと、もう一押しなのだ。 決して小奇麗とはいえない今の服装が気になるなら、あの黒服のように何万か手渡してやれば……と思ったが、年中寂しいカイジの財布にそんな余裕はない。 最低限の食事をして、家賃を払っていくだけでもかなり苦しいのだから。 「……あいつ、何で俺がここに居るのが分かったんだ」 「コンビニ行った時、偶然見かけて後をつけてきたんだろ」 「言われなくても分かっている!」 明らかに言ってることがめちゃくちゃで、一条はかなり動揺しているようだった。 「別に……お前がどんな格好してても、あの店員は失望したりしないだろ」 一条に逢いたくて、なりふり構わず叫んでいた村上。 今更ながら、一条と口裏を合わせて追い返してしまったことに罪悪感すら生まれてくる。 「いい加減、変な意地張んのやめろよ」 実際、今の一条を見た村上がどういう反応を見せるのかは分からない。さっき自分が言ったことは単なる予想にすぎない。 しかしこのまま逢わないで地下へ戻るほうが悔いは大きいのではないかと思う。 またぺリカを貯めたとしても、帝愛が再び許可を出してくれる保証はどこにもない。 何事かを考えた後、一条は急に立ち上がって玄関に向かった。 「どこ行くんだよ」 「お前には関係な……」 苛立っているような口調で突っぱね、ドアを開けた一条の手が止まった。 開いたドアの先には、去ったと思っていた村上が驚いた顔で立っていた。 それ以上に驚いたらしい一条が後ずさりすると、その分だけ村上は中へ踏み込んでくる。 「店長、やっぱりここに居たんですね!」 「……村上」 「どうして俺を避けるんですか? あなたが戻ってくるのを待っていたのに」 「俺はもう、昔とは違うんだ。お前に合わせる顔がない」 「店長はあの店に居た頃から、何も変わってませんよ。だから……」 玄関のドアは村上の背後にあり、強引に突き飛ばしたりしない限り外へは出られない。 うっかり対面してしまった今、朝のように身を隠してやり過ごすこともできない。 そんな状態であることを分かっていながらもなお、一条は村上を避けようとしている。 これでは何も進まないし、変わらない。なかなか前へ踏み出せないでいる一条にカイジができるのは、新品の服を買う金を渡すことではない。 そんなものよりもっと効果的なのは……。 カイジは気付かれないように一条に近づくと、背中を強く押した。 不意打ちを受けた一条はバランスを崩したが、倒れる前に村上が駆け寄ってきてその身体を受け止めた。 「そいつと話したいこと、本当は山ほどあるんだろうが……!」 「……余計な真似を」 一条はそう呟いて舌打ちすると、村上の腕を掴んで玄関のドアを開ける。 「店長?」 「話したいなら早く来い、俺には時間がないんだ!」 村上の顔が明るくなり、一条に引っ張られながらついていく。 彼は何か言いたそうにこちらを振り返ったが、結局何も言わずに姿を消した。 カイジひとりになった部屋が、急に静かになった。 俺には時間がない、という一条の言葉を思い出す。あの男が買った外出時間はどのくらいなのか、カイジは知らない。 昨夜、ドアの前で顔を合わせた時に時計の存在を示してきたのだから、よく見ておけば良かった。 そして約1時間後、一条が再び部屋へ戻ってきた。 「部下との感動の再会ができて良かったな、一条」 「この世の中、そう簡単に感動なんてあるわけがない……!」 冷やかしを振り切るように言う一条の目が、かすかに赤くなっていたのをカイジは見逃さなかった。 「カイジ」 「ん?」 「不本意ながら、お前には感謝する。ほんの少しだけな」 こちらに背中を向けた一条の表情は見えないが、部屋に漂っていた重苦しさが消えた。 悔いを残したままの一条を地下へ戻すわけにはいかない、そんな気持ちになった理由はカイジ自身もよく分からなかった。 |