好奇心の行方





まずい、と思った時にはもう遅かった。
洗面台のそばに置いてあった小さなガラス瓶が、零の手に当たって落下する。甲高い音を立てて瓶が割れ、中にまだ 半分以上も入っていた香水が床に広がり甘い匂いが漂った。
板倉の家に着いた後で手を洗おうとして洗面所を借りたまでは良かったが、まさかこんな酷いミスをするとは思わなかったので 濡れた手を拭くのも忘れて呆然とした。
これは今日、零を迎え入れてくれた時の板倉の匂いだ。前に会った時とは違うので、最近変えたばかりなのだろう。
零は香水を付けたことはなく、あまり興味はなかった。なので瓶を見ただけではどこのブランドのものかは分からなかったが、あの板倉 が安物の香水を使うとは思えず、その辺りには売られていないような高価なものに違いない。それでも事情を話して、何とか弁償しなくては。

「おい、今の音は何だ」

背後から聞こえた板倉の声に、零は身を竦ませた。こちらから行く前に気付かれてしまったので、組み立てていた流れが全て狂ってしまった。

「ごめん板倉、俺……」

零は割れてしまった瓶を隠そうともせず、板倉のほうを振り返りながら起こったことを話す。 しかし最後まで聞かなくとも状況を把握したらしい板倉は、震えながらしゃがみこんでいる零のそばに膝をつく。

「怪我は?」
「……いや、大丈夫」
「俺が片付けておくから、お前は部屋に戻ってろよ」

近くに置いてあったティッシュを箱から数枚取り出すと、板倉は淡々と割れた香水瓶の後始末を始めた。
怒られると思っていた。それだけのことをしてしまったのだから、覚悟はできていたのに。
口には出さなくとも本当は怒っているのかもしれない。そんな考えが頭から離れないまま、零はタオルで手を拭くと洗面所を後にした。


***


大きな棚にずらりと並んでいる、零が好きそうな本にも今は意識が向かない。
几帳面なほど片付けられている部屋の中、ベッドに腰掛けたまま動けずにいた。今日こそ板倉と一線を越える覚悟で訪れたはずが、出だしからの失態で力が抜けてしまう。
せっかくの日曜、学校もないので昼過ぎの今から夜まで一緒に過ごせる。しかしこんなに気まずい雰囲気になってしまっては、ここに居ることすら申し訳なく感じた。 やがて部屋のドアが開き、板倉が戻ってきた。顔を見ただけでは怒っているのかそうでないのか分からず、零の隣に板倉が腰掛けるまで何も言えずにいた。

「さっきの香水ってさ、使い始めたばかりなんだろ」
「ああ、でも別に」
「俺、弁償するから。いや、させてほしいんだ」

板倉の言葉を遮るような調子で、零は言った。人のものを壊しておいて、それをなかったことにはできない。
返事を待つ零の隣で板倉が軽く息をつくと、首の後ろで結っていた髪を解いた。

「あれな、まだ日本では売ってねえんだよ。だから弁償する気があるなら向こうに行って買ってきてくれよ」

それを聞いて気が遠くなった。高価なものであることは想像していたが、外国製で日本では未発売のものだとは。弁償すると言った手前やっぱり無理だとは言えず、 どこの国かも聞いてないうちから恐ろしくなった。
板倉の手が零の肩に触れてきたかと思うと、そっと抱き寄せられた。香水の匂いが更に近くなり、先ほどの出来事を思い出して胸が痛くなる。

「そんな顔するなよ。あれは人から貰ったやつで、実は値段も買った場所も知らねえんだ」
「でも、俺は……」
「香水はまたどこかで買えばいいんだ、でもお前の代わりはどこにも居ねえからな」

そんな優しい囁きに頬が熱くなるのを止められない。身体を甘えるように寄せると、そっと抱き締められた。甘い気分が罪悪感を上回り、このままどうなってもいいと 思ってしまった。まだ空が明るいこの時間でも。

「そういえば零、昼飯は?」
「まだ、だけど」
「何か作ってやろうか、昨日買い物してきたばかりで材料は大体揃ってるぜ」
「……離れたくない」

自分でも驚くほど大胆な言葉を口に出して、零は板倉にしがみつく。板倉の優しい声と香水の匂いに満たされて、身も心も全てとろけそうだった。


***


ふたりとも服を脱いで全裸になり、再びベッドに乗る。
板倉の股間に顔を埋めると、まだ勃起していない性器を両手で包み込むように触れた。普通の状態でもそれなりの大きさと太さで、これが自分の中に挿入された時のことが 頭に蘇ってきた。本当に挿入されただけで、色々あったせいで板倉は中にも外にも出さないまま零から離れてしまったのだ。
しかし今日は違う。そのつもりでここに来たのだから、何が合っても引き返さない。

「無理するなよ、零」
「わかってる……」

亀頭を浅く咥えて、割れ目に沿って舌を小さく動かす。 やり方は教わっていないので、これが正しいのかどうか不安になって目線を上げると、板倉は微笑を浮かべて零の頭を撫でる。

「ここはずっとお前のものだからな、好きなようにやってみろよ」

冗談なのか本心なのか、思わせぶりな言葉に心が揺れる。根元までゆっくりと飲みこんでいき、何度か口で扱いているうちに板倉の性器は大きく硬くなっていった。
苦しいはずなのに、不思議と嫌な気分ではない。むしろこれが今から零の尻穴を拡げて腸壁を抉っていくのだと思うと、まだ触れてもいない自身の性器も淫らな興奮に 煽られて勃ち上がっていく。根元から先端まで舌先で舐め上げて亀頭の割れ目を強く吸うと、板倉の呼吸が乱れるのを感じた。
片方の手で板倉の性器を支え、もう一方の手は自らの尻のほうへ。そして慣れない手つきで穴を解していた。自分の指など今まで入れたことのない部分に、ためらいなく 指を挿入して内側で動かしている。そんな恥ずかしい行為を板倉に見られている零の亀頭からは、透明な先走りが流れてベッドのシーツを少しずつ濡らした。
動かしているうちに感じるところに指が触れてしまい、板倉の性器を咥えながら身体をびくりと震わせる。それと同時に、狭い腸壁が指を締め付けた。

「零、そろそろ欲しくなってきたんじゃないか?」
「あんたが早く俺に突っ込みたくなった、の間違いだろ」
「まあ、確かにそうだ……そろそろ入れるぞ」

その言葉に零が唇を離すと唾液に濡れ、反り返った性器が再び露わになった。身体を起こし、ベッドに仰向けになって足を開いていった。自分で尻穴を解していたおかげで、 すぐに板倉を受け入れることができる。

「いいのか、この格好で。終わるまでずっと俺に顔を見られちまうぞ」
「これでいい……」
「お前がそう言うなら、俺は構わねえよ」

解れた穴は板倉の亀頭を飲みこみ、その形に拡がっていくのを感じる。板倉は身体を前に倒して腰を進ませながら、勃起した性器で零の腸壁を抉っていった。 初めてではなかったが、数日ぶりの感覚に出てしまう声が抑えきれない。こんな姿を見られていると思うと、恥ずかしさよりも興奮が高まっていく。
そのうち板倉の動きが止まり、根元まで性器が入りきった。

「まさかまた動くなとか言うんじゃねえだろうな、さすがに今日は我慢できねえぞ」
「今日は最後までするつもりで来たんだ、やめないでくれ」
「……ずいぶんと健気なもんだな」

板倉はそう言って笑うと一旦腰を引き、すぐに零を強く突いた。今まで感じたのことない貫かれるような感覚に喘ぐような声を出してしまう。
これが気持ちいいのかもっと別の感じなのか、よく分からなかった。再び板倉が動き始めると、その逞しい身体に腕を回してしがみついた。何度も突き上げられて いるうちに、次第におかしな気分になってくる。上半身にうっすらと浮かんできた板倉の汗と息遣い、まだ陽が差し込んできている昼間から男同士でセックスしている という背徳感。そんな雰囲気が零を狂わせていった。
自分からくちづけを求めて、板倉と舌が触れ合う。まだ繋がったままこうしていると、本当にひとつになっているような気持ちになる。
もう出すぞ、と囁かれて我に返る。射精する時、板倉は外に出すのかそれともこのまま零の中に出すのか。どうするつもりなのかは聞いていないが、板倉は零の中から 性器を抜く気配もなく、零もしがみついたまま離そうとはしなかった。この状況だけで、口には出さなくとも答えは出ている気がする。
更に激しく挿入を繰り返した板倉が腰を震わせると、零の中に熱いものが何度もぶつかり広がっていった。やがて射精して萎えた性器を抜かれていくのを眺めながら、 心や身体に残る甘い余韻に浸った。

「それにしても意外だったな」
「何が?」
「自分で尻の穴いじりながら俺のをしゃぶったりしてよ、その歳で大胆すぎだろ」

からかうように顔を覗き込まれて、少し前の自分の行為が今更恥ずかしくなった。やはり雰囲気に飲まれていたのかもしれない。零の隣に寝転がった板倉に抱き寄せられ、 広い胸に顔を埋めた。 そうされていると心地よいのに、板倉の余裕を崩してみたいという考えが浮かんで顔を上げる。

「実は俺、板倉の前にも違う奴ともしたことがあるんだ」

そう呟くと、零を見ていた板倉の目つきが急に変わった。今にも獲物に襲いかかりそうな、凶暴な獣のような目。この男が堅気の人間ではないことを改めて思い出させた。 それを見て軽い気持ちで発した言葉を後悔したがもう遅い。

「この前の様子からして、それは絶対にあり得ねえな。でも誰かが俺より先にお前に手を付けてるってのは気に食わねえ」
「板倉……」
「そいつ探し出して潰す、いいな」
「ち、違うんだ、本当はあんたが初めてだったんだ」

板倉の恐ろしい言葉が冗談には聞こえなかったので、観念して正直に訴える。動揺する板倉を見たいがための、ちょっとした悪戯のつもりだった。 好奇心は猫をも殺すという外国の諺の意味を、痛いほど思い知った。

「ごめん、信じてほしい……」
「信じるも何も、最初から全部お見通しだ」

表情を緩めた板倉は零の手を取り、指にくちづける。少し舌を這わせた後で指先を甘噛みされて、その刺激にすら隠す暇もなく感じてしまった。




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2009/7/2