たいせつにしたいひと





数メートル先に見える建物を、もう何分も電信柱の陰からこっそり眺めている。
ようやく決意して金を握り締めてきたくせに、なかなか踏み出せない小心者ぶりが情けない。悔しくてミツルは唇を噛んだ。
以前、あの薬局に風邪薬を買いに入った時には、店員の背後にある棚に置いてあったはずだ……何種類かのコンドームが。
零とそういう関係になってから数週間が経ち、少しでも楽しむための情報を集めようとしてインターネットで検索していると、 男同士だと妊娠の心配がない代わりに色々とリスクがあることが分かった。元々あの部分は、性器を挿入されるためのものではないのだから。
零の身体を傷つけてしまってからでは遅いので、まずはコンドームを用意することから始めようと思った。 まだ零本人と話し合ったわけではないが、いずれは必要になる。行為を繰り返しているうちに手遅れになってしまうのは避けたい。
零のためだ、と自分に言いきかせながら1歩前に踏み出す。しかしそこから先に行けない。

「やります! やってます!! ってアピールしてるみたいじゃないか!」

見た目からしてまだ高校生であるミツルがコンドームを買って、店員に不審な目で見られて通報されたりしないだろうか。思わず頭を抱えてしまう。

「いや、実際やってるんだけど……つい最近」

そして買い終わって店を出た途端、数人の不良に囲まれて『こいつ高校生なのにゴムなんか買ってやがる! シメちゃおうぜ!』と言われる恐ろしい妄想まで浮かんできた。
バイクに乗った複数の不良に周りをぐるぐる回られて涙目になる自分の姿を、慌てて頭の中から振り払う。最近はまった、昔の不良漫画の読みすぎだ。
対立する不良グループを次々に蹴散らしていく、強い主人公に憧れていた。あれほど強ければ大切なものを守ることができる。今の自分にはなれそうもない、全く正反対の存在。
しかしいつまでも後ろ向きなことを考えていてはキリがない。勇気を出さなければ。
そんな時、背後から肩を叩かれる。驚いて振り向くと、いつの間にか零が立っていた。

「何やってんだミツル、こんなところで」
「じ、実はコンドームを買おうと思って」

恥らうように答えるミツルに零は驚いた表情を見せたが、それはすぐに穏やかなものになる。

「それなら中学のころ、他のクラスの奴らが風船代わりに膨らませて遊んでたぜ!」
「えっ、いや俺はそんなこと……」

中学生でコンドームを遊び道具代わりにするなんて、どういう奴らだ。自分は高校生なのに買いに行く勇気すら出なかったというのに。 そう思いながら、ミツルは愛想笑いをした。すると逆に零が急に真剣な眼差しを向けてくる。

「お前まさか、彼女ができたのか?」
「ええっ!?」
「コンドーム買うってことは、そういう関係になる女の子が居るって意味だろ……」
「彼女なんて居ないよ!」

肝心の零が、予想外の方向へ話を運んでしまったのでミツルは慌てた。今までずっと、女の子と恋に落ちた経験すらないミツルに、彼女ができるわけがない。 こんな性格なので欲しいとも思わなかった自分は、今の高校生男子としては異常だろうか。
ここで正直に言うべきかどうか迷った。人通りのあるこの場所でこれ以上、込み入った話をするのは恥ずかしい。しかも男同士のセックス目的で買うため、ますます大声では 言えなかった。零は本当に、ミツルがコンドームを使おうとしている相手が誰なのか分からないのかと疑問に思う。男同士なら使う必要がないと思っているのかもしれない。
挿入をせずに、ただ裸で抱き合っているくらいなら付けなくてもいい。ここまで悩む必要もないのだ。

「か、帰る!」

ミツルは零をその場に残して、来た道を走って引き返した。背後からミツルを呼ぶ声が何度も聞こえたが、気付かない振りをしてひたすら走る。
とても買いに行ける状況ではなくなってしまった。この辺りの薬局といえばあの店だけなので、今日買うならしばらく経ってから再び向かうしかない。
そういえばインターネットの通販でコンドームが買えるサイトはなかっただろうか。それなら店員に顔を見られたり、店を出た途端不良に絡まれてしまう危険はなくなる。
偶然見つけてしまった、大人の玩具の通販サイトに行ってみようと思っていると携帯が鳴った。立ち止まって確認した着信画面には零の名前が出ていて焦ったが、震える指で通話ボタンを押す。

「もっ、もしもし……!」
『ミツル、さっきはどうしたんだ。急に逃げたりして』

やはり零は何も分かっていなかった。素人3人を義賊として上手く動かすほど頭が良く落ち着いている男のはずが、こういう時に限って苛立つほど鈍感だ。

「零には関係ないよ……もう忘れてほしい」
『そうか、やっぱり使う予定の彼女が居るんだな』
「そんなの居ないって言っただろ、しつこいな!」

思わず強い口調で答えてしまってから後悔した。電話の向こうから気まずい沈黙を感じる。よく考えてみれば零とのセックスで使う予定なのだから、頑固に秘密にしている必要はなかった。 しかし零があまりにも鈍感で、ミツルに彼女ができたのだと有り得ないことを言うせいで気持ちが捻じ曲がってしまった。

「ごめん零、怒鳴ったりして」
『いや、いいんだ。俺もしつこく聞きすぎた』
「あのさ、誤解してるかもしれないけど、あれを使おうとしてる相手は女の子じゃないんだ」
『えっ、じゃあ男か』

零だよ、と言うと驚いたような短い声の後で再び沈黙が流れた。やはり自分だとは予想していなかったようだ。

「零以外に、抱きたいって思う相手なんか居ないよ」
『そう言ってくれるのは嬉しいけど、俺にそんなもの使う必要ねえだろ』
「あるよ……零のこと、大切にしたいから」

ミツルは男同士でのセックスでも危険はあるという話を、零に説明した。電話越しなので顔は見えないが、ちゃんと聞いてくれているのが何となく伝わってきて安心する。
あのきつく締め付けられる感触を何度も味わっているのに、急に薄い膜で遮られてしまうと物足りなくなるかもしれない。
しかしミツルばかりが気持ちよくなるのは、間違っていると思った。

「とりあえず1度、付けてやってみよう……お願いだよ、零」
『……お前がそこまで言うなら、分かったよ』

とりあえず納得してくれたらしく、安心した。零には辛い思いをさせたくないので、これが1番いい方法なのだ。
電話を切って、自分が今立っているのが人通りの多い商店街だと気付く。こんな場所で抱くだの大事にしたいだのと甘い言葉を発していたことを思い出して、ミツルは耳まで真っ赤になってしまった。




back




2008/4/27