甘い罠





俺は最初からこうするつもりだったんだぜ、という優しい囁きと共にベッドに押し倒された。
視界が陰り、男の薄い笑みに覆われる。ひとり用にしては大きめのベッドは、身体に心地良い感触で零の背中を受け止めた。 大きくごつい手のひらが零のシャツの裾からそっと侵入してきて、びくっと震えてしまう。
ずっと読みたかったがどこにも売られていない本を、この男が持っていると聞いて来てしまったのが失敗だった。
零は男がヤクザであることに対して、良い感情は抱いていない。それでも世の中の動きや様々な話題を深く濃密に語れる相手は、とても貴重だと思う。 そういう点では、この男はまさに理想的な相手だった。義賊の自分とは対極の立場だと分かっていても。
身をよじって抵抗しても、男はこういう行為に慣れているのか、動揺ひとつ見せずに零を押さえつけながら愛撫を続ける。乳首を摘ままれて、声が出てしまった。

「ほら、嫌がる振りをして実は気持ちよくなってんだろ」
「大人のあんたには俺みたいなガキ、相手にならねえよ」
「まだやり慣れてないガキだから、いいのさ」

愉快そうに笑うと、男は零の唇を奪う。舌を押し込まれ、狭くて生ぬるい粘膜の中で避ける余裕もなく捕らえられた。
誰ともしたことがなかったのに、気持ちとは関係なく無理やり奪われてしまうという情けない有様だ。ねっとりと舌で犯されているうちに気が遠くなる。
ようやく唇が離れ、男が更に何かをする前に力の入らない両手でその肩を必死で押し返す。

「俺は17なんだ、これ以上のことはまだ……誰とも」
「ほう、それはいいことを聞いた」
「頼むからやめてくれ」
「これからお前はその歳で、前でも後ろでも気持ち良くなる身体になるんだぜ」

想像しただけでぞっとするようなことを言いながら、男は零の性器のあたりに股間を擦りつけてくる。恐ろしいことに、すでにそこは硬く勃起していた。
説得を試みるも男の欲情を更に煽る羽目になり、どうしていいか分からなくなる。 震える手で肩を押し返していると、男はため息をついて零から離れた。あのまま強引に脱がされると思っていたので、少し驚く。

「悪かったな、大人げない真似して」
「本を見せてもらいに来ただけなのに」
「初めてふたりきりになって、我慢できなくなったのさ。俺も男だからな」
「俺は女じゃないぞ……」

確かに今までは、喫茶店など周りに人の居る場所で会っていた。男が言った通り、部屋の中でふたりになったのは、今日が初めてだった。
ベッドの端に腰掛けている男が、横たわったままの零の髪をそっと撫でる。その動きは巧みで、酷いことをされたはずが何故か心地よさを感じた。 不思議と気持ちが緩んだせいか零はしばらく閉ざしていた口を再び開き、誰にも打ち明ける予定のなかった話を始める。

「夜中の外国映画で、男の俳優同士がベッドで絡んでいてさ。びっくりしてテレビ消そうとしてたら、結局最後まで観ちまったんだ。 普通なら気持ち悪いって思うよな……やっぱりおかしいんだ俺って」
「それを言うなら、お前を抱こうとした俺だっておかしいじゃねえか」
「でもさっき、あんたに同じことをされかけた時は、怖かったんだ。まさか自分の身に降りかかるなんて思ってなかったから。それに……あれは映画だし」

画面の中で濃厚に絡み合っていたのも、甘い言葉を囁き合っていたのも、全て演技で作り物だ。 さすがに挿入の生々しい瞬間までは描かれていなかったが、俳優の表情や動きは全てそれを連想させるようなものだった。

「作り物でも、男同士の絡みをどうして最後まで観たんだ?」
「それは……俺にも分からない」
「実は興味があったんだろ、ん?」

まるで猫と遊ぶような調子で顎の下をくすぐられ、それを振り払うように背を向けると小さな笑い声が聞こえた。
あの絡みが不愉快なものなら、すぐにチャンネルを変えるなどしていくらでも避けられたはずだった。自分にも実はそういう歪んだ趣味があるのかと思い戸惑う。
いつの間にか背後で腰掛けていた男の気配が消えたかと思うと、再び現れた男が零の身体のそばに何かを置いた。この家に来た目的である、例の本だった。
実は先ほどの出来事の影響で、密かに本の存在を疑っていた。零を誘いこむために男がついた嘘かもしれないと。
ベッドから身を起こして本を開くと、中身も確かに本物だ。書店でも古本屋でも見つからなかった。すっかり気持ちが高揚して、この場で最初から読みたくなってしまう。
普通の会社員なら多分着ることはない白いスーツに身を包んだこの男は、自分の仕事のことを任侠ではなくビジネスと考えている。ちなみに本人いわく、刺青は入れていないらしい。

「貸してやるから、読むなら帰ってからにしろ」
「か、貸してくれるのか?」
「俺は寂しがりなんでね、お前が居る間は構われたいんだよ」
「何言ってんだか……」

顔に似合わない男の冗談に、零は苦笑する。押し倒されたことや、煙草の味がした強引なくちづけが全て夢だったかのように。




back




2009/5/5